① どれくらい待つかわかりませんが、ここでしばらくお待ち下さい。
② あの道を選んでいけば、遠回りですが、到着します。

という場合、どちらを選択するか、と。たぶん、あれこれ考え悩み、あれこれするより、ずっとそこに我慢している方が、結果として余計なエネルギーを消費せずに済むし、意外と待ち時間は短いものである。それがたぶん正解である。

ほかに選択肢がなくて、どこにも行きようがなければ私でもそこで待機する。例えば、私が持病で通院する施設(歯科他)や、そこにしかないお菓子であれば、あれこれ考えても仕方がない。そういう場合は、最初から覚悟を決めて、本でも持っていて待つ。

しかし、ちょっと遠い場所にいく、いくつかの道があり、目の前の道は混んでいる。というのであれば、遠回りでも、自分の記憶力あるいはGPSを頼りに別ルートですすむ。そうした場合うまくいけば早く着くが、結果として変わらない、あるいは逆に遅くなる場合もあるかもしれない。しかし、渋滞であれこれ気をもむくらいなら、そうしたすいすいと流れる道で気持ちよく走る方気持ち的には楽である。

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つまり、私の中では、”さっさとやってさっさと帰ろうぜ”の精神がまだ残っているのである。

その方針は私の診療方針の基本でもある。つまり大体1時間が限度であろうから、クリニックにお越しの方は、大体1時間で診療を済ませて帰っていただければ、と願っている。それは時には、お産が診療と重なったり、外来に診療に時間に要する方が重なったりして、予想以上に時間がかかる場合もある。また、私以外の医師の診察の場合にも・・・・。

基本は私以外の医師が診療している場合、私はそれを前提に何らかの行為(お産であれば、帝王切開であれ、あるいはそれ以外の雑用)を予定している場合が多い。しかし、やはりお待たせするのは本意ではないので、助っ人として外来を手伝うことも多い。

巷の話では、診療の予約を取るために待って、それから予約して、果てしなく待って、ようやく診療となり、終わると一日の大半が費やされるという施設も存在すると聞く。そうした施設で時間を要する理由は、いくつかの複合的な要因が重なっているのであろう。でもたぶん、待つことが当たり前であり、それに対する積極的な改善策を講じる中枢的な存在がないのであろうと私は思う。

ということは、そういう施設を選択するということは、待ち時間というデメリットをはらってでも、その方がよい何らかのメリットがあるから選択するということであろう。これは個々の判断であるから、どうぞご自由に、ということになる。

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そこで、時に当院で妊婦検診だけ受けて、出産は別な施設という方もいらっしゃる。それはその方の個人の選択であるし、当院で妊婦健診ということでご利用いただくので、まそれはそれでもいいか、と。

しかし、妊婦健診という地味な通院という行為によって、その施設のシステムやスタッフになれるということもある。また大きな病院であれば、その病院自体が看板であり、医師個人はあくまでもその所属スタッフである。しかし、少数の医師の医師施設であれば、その施設の担当する医師と早めにあって、相性を確かめておくということは大切なことであろうと思っている。

お互いの良く知り合う機会が少ないと、話が違う、ということもあるかもしれない。なので、転院するなら、さっさと転院して、その施設のシステムとスタッフに早く慣れ親しむことをお勧めする。

里帰りの場合には、そこに様々な事情が絡むので、一概に言えない。でも、当院で出産される予定であれば、出来れば少しでも多く通院して、当院のシステムとスタッフに慣れ親しんでほしい、と願っている。当然慣れ親しめなければ、通院しても意味がないので、転院をお勧めするけれど。

写真は当院の連結部にあるツバメの巣。そろそろそうした季節である。ただし、現在ツバメの巣はない。昨年の台風で巣が落ちた。以来ない。しかし、先日ツバメが飛び回っていて、ここら辺に現れていたので、新たな巣をつくっているのでは、と思う。


国盗物語という小説がある。司馬遼太郎作で、1973年のNHKの大河ドラマにもなった。たぶん、私の母がその大河ドラマの原作として小説を読んで、でそのあとに私がその小説を読んだのではないかと思う。当時私は中学生であったのでは、と。

話は、何も持たなかった坊様が、還俗し、京都の菜種油の商家の夫となり、それから美濃の領主として君臨する斎藤道三という人物の話であったと思っていた。半分はそうであるが、実はそのあとは、娘婿の織田信長と、娘のいとこの明智光秀の話である。まだ読み終わっていないが、たぶん本能寺の変までは続くことであろう。

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私の中での国盗物語は、斎藤道三による美濃という国の国盗とばかり思いこんでいた。たぶん性格的には最後まで読まない納得しない性格であるから、織田信長と明智光秀の話も読んだはずであるが、全く欠落していた。中学生ごろの話だから遠い昔で忘れていたのか、あるいはそれだけ斎藤道三という人が印象的であったのかと。

ここでググってみると、斎藤道三は平幹次郎であった。そういえばテレビで国盗物語を見たかもしれないが、当時私は寮生の中学生で、まだビデオの普及する前の時代であるから、夏休みにみたのであろうか、でも夏休み頃だったら、もう斎藤道三は滅ぼされていたかも、と。

最近こうした昔読んだ小説を読み返したいという思いがある。そして読んでみると、過去読んだ記憶と、現在の読んだ感覚が必ずしも一致しないことに気が付く。つまり、私自身の記憶の中では都合のよい部分あるいは印象的な部分だけが残っていて、ほかの分は曖昧である。

人間の記憶とは、えてしてそうしたものかもしれない。きちんと覚えていたつもりでも、実は都合の良い部分だけ覚えている、と。

ちなみに、この国盗物語を探すのがちょっと面倒であった。アマゾンで中古本をとも考えたが、あえて図書館通いをすることにした。なので、現在、熊本県立図書館と熊本市市立図書館のカードを作った。

先週は結構忙しかった。そのため、土曜日の帝王切開後に手術録を書くのが精いっぱいであった。なので書き終わると、あとは青木先生に外来をお願いした。早めの夕食としてワインを2杯飲んだら眠たくなって、18時には寝た。起きたのは朝4時で、それから前日の仕事の後片付けをして、日曜日の朝を迎えた。

日曜日、午前中は外来に数名お越しになる。で、午後は?。ちょっと気分転換も必要。先週はほとんど外出といっても、マックㇲバリューに牛乳を買いに行ったくらいなので、ちょっと母と玉名の菖蒲祭りを見に行った。


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こんなに咲いているとは思わなかった。

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青、紫、白、微妙な色の混じった菖蒲である。これだけ咲けば・・・・

ちなみに、このお手入れは誰が、と尋ねたら、専門の業者の方らしい。やはりこれだけを一斉に咲くように管理するのは、難しいかな、と。人はそれなりに。でもお土産屋さんがなかったので、大半の人は見て、写真を撮って、帰宅。でもそのおかげで、駐車場は回転が良くて、止めるのに困らなかった。

いい気分転換になった。でも、天気が崩れるまえに庭の管理をしたかったが、これは今週以降に持ち越すこととなった。

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