まだ私がダイビングにはまっていたころの話である。当時熊本のダイビングショップ(ブルーアース21新屋敷店)に通い、夏も冬も、週1くらいで天草に通っていた。妙見ヶ浦が一番多かったが、時に牛深の海中公園や小森などでも潜った。またナイトダイブで、大矢野島の弓ヶ浜海水浴場や、西港の反対側などにも潜った。

でも一番潜ったのは、やはり妙見ヶ浦であった。一番最初の講習もここであった。左の湾は大きな石が多くビーチエントリーには向かないので、右の湾の左側から潜った。

DSCN1139

20日は結構風が強くて、白波もたっていた。これだとビーチエントリーはきついかも。でも、そうしたことも次第に慣れてくる。

最初はウエットスーツで潜っていたが、冬場に潜るとさすがに寒いので、ドライスーツも購入した。当時のライセンスではオープンウォーターが1と2があって、その上にアドバンスがあって、そのさらに上にインストラクターがあったような気がする。アドバンスまではライセンスを取った。

海の中の地形は、ある意味陸上の地形の延長である。なので、海の中もその延長のような風景が広がるはずであるが、あとは潮の流れが悪いと視界が悪くてよく見えない。妙見では条件が良ければ10mほどは見渡せたような気がする。

朝6時ごろ熊本をでて、11時ごろ1本目を潜って、上がって昼休み。昼食をとって、午後の1本目。15時ごろ妙見を出て、17時ごろ本渡の温泉センターによって塩を流して、ビールを一杯。それからバスに揺られて20時ごろ熊本着。というのが当時の流れであったような。

ダイビングにはまっていた当時は、大学院生であったので、時間の都合がついた。しかし、大学院を出て、産婦人科の常勤となるとそうもいかない。まして、熊本を離れると・・・・。それこそ夏休みをもらって、どこかのリゾートに行かないと難しい話で、確か、石垣と宮古に入ったような気がする。ちなみに、大学院時代には、吐噶喇列島や西表や渡嘉敷に行った。今となっては遠い思い出となった。またハネムーンでは家内に頼み込んでモルジブに一緒に行った。

ダイビング機材も、年月が経ち劣化したこともあり、処分してしまった。でも、いつの日か、と心の中で思っている。目標は、バハカリフォアルニア・タヒチ・インドネシアをワインを味わいながらゆっくりいけたらいいな、と(このブログのタイトルの南の島である)

DSCN1142

だいたいここら辺からビーチエントリー。




父のこと、コロナのこと、そして私自身の年齢のこと、などさまざまな思いがある。頭の中を真っ白にするために、土曜日半日休暇を取ることにした。

2月20日土曜日、12時に大学の先生に業務を委託して、退出する。スターバックスによって、珈琲と軽食を手に入れて、高速に入る。松橋で降りて、三角半島を回り、戸馳島を眺めながら、三角港へ。戸馳で蘭を観たいという思いもあったが、時間の都合で先に進んだ。三角港にも、魚釣りの思い出があるが、波止場にもよらずと。

そこで一つ躊躇したのが、新1号橋。結果として、旧1号橋を渡り、昔ながらのルートをすすむ。(昔ながら、といっても、天草五橋のルートが完成したのは、昭和41年らしいから、私が小学校入学前後である。なじみ深いのは、”彼女が水着に着替えたら”という映画がはやったころ、私はスキューバダイビングにはまっていたので、毎週1回はこの道を通っていた。当時は、熊本を出て、大矢のヒライで昼食を調達、下田の妙見ヶ浦を目指し、片道3時間であった。

そして今は、五橋の終わりに、松島から有料道路がある。ここから四郎ヶ浜までショートカットすることで時間が短縮される。200円の通行料。熊本のスターバックスを出たのが12時30分で、14時過ぎに本渡についた。

本渡には天草中央病院時代に1年6か月住んだ。本土の町中も少し変わったような・・・。マックができているし、新しい橋も作られつつある。時間があればと思いつつ、先を急ぐ。で、丸尾焼を探す。

丸尾焼も20年前とは少し変わった。ここで素焼風味の器を探すつもりであったが、残念ながらなかった。丸尾焼も、中心となる世代がかわったのか、あるいは作風をかえたのか、と思いつつ、片口の器を一つ購入する。本日の主たる目的はここではなくて、小田港の十郎窯である。以前いくつかお願いをしていたことがあり、そのお礼かたがたと。


DSCN1107

こちらの窯元は以前は下田の北にあったのであるが、この小田港の傍に10数年前に移転された。


DSCN1106

展示場のすぐ裏には海岸線が広がる。この日は風が強く、潮騒の日であった。こちらも依然と少し作風が変った。本当は以前の作風のものを探したが、残念ながらない。


DSCN1103

ただ最近自分ですこし片言調理をするようになったせいか、どうせこの先生きていくなら、好きなものに囲まれて生きたいと思うようになった。なので、お好みの皿と小鉢皿と茶碗をお願いした。また少し思うところがあり、ちょっと依頼をお願いした。この結果は1年後となる。

さてこれで4時過ぎ。今日の目的はこの窯元の訪問、あとは高浜ワインか、夕日である。どちらにするか悩んだが、夕日を選択した。そしてこの界隈も現在あちこち工事中である。この十郎窯も、上に有料道路が通るらしく、トンネルと橋げたの工事中である。

DSCN1132

明治40年、この天草の下島を富岡から高浜まで5人の文化人が歩いた道がある。文学遊歩道となっている。で、その道をちょっと歩いてみる。

DSCN1116
DSCN1115

今でこそ歩きやすく整備されているけれど、その当時はきっと・・・・

そこら辺の話がどこかに書き継がれているらしいし、この後に北原白秋が邪宗門という詩集をだしたとある。

DSCN1117


中ほどに程よい展望台があった。

DSCN1129

DSCN1128

ここから海を見ると、海面が白く光る。そして夕暮れ時になれば、と。ただ、残念ながら、少しかすんでいて、この日は海に沈む夕日は少し難しそうである。なので、思い出の妙見に足を伸ばして、写真を撮って17時過ぎに帰途に就いた。熊本着は20時。


DSCN1138

人間ドックが終わって、クリニックに帰ると、避難訓練が待っていた。避難訓練は確か、年に2回くらい行わなければならないが、コロナでこの1年ご無沙汰であった。なのでこの水曜日にと企画していたが、私はそれをすっかり忘れていた。なので、え?と。

2021-02-17 16.04.14


でも、ま、避難訓練だからこんなものでしょう。出火は厨房から、ということでこの写真の時点では、報告後の避難をスタッフ間で検討している状態である。

この日は結構寒く、外に誘導するわけであるが、あまり風が冷たくて、玄関内に再集合とした。経過中、私は帝王切開術後の患者に扮したスタッフの移動のお手伝いをした。その姿がインスタに投稿された。

さて、これがすんだら、次はコロナ感染への熊本市からのWEB配信である。G-MIS、Y-SYS、そして耳慣れない新しい言葉としてK-SYSが出てきた。これはなんだ?

配信内容からすると、どうもコロナへのワクチンの対応は、一部の施設では始まっているが、それ以外の施設にはまだ詳細は決まっていない。いわゆる見切り発車のような面がある。いい例が締め切りが2月17日と言いながら、その締め切りの内容がしめされていない、とか・・・。

ということは実際の当院での医療従事者向けのコロナワクチンの接種が始まるのは、3月末に間に合うかどうか、のような・・・・


2021-02-17 11.40.54

そして肝心のKSYSであるが。どうもコロナワクチンの予約システムの熊本県仕様ということらしい。おまけにこのシステムの運用はJTBである、と。JTBで旅行を取り扱う施設と思っていたが・・・・

どうもJTBや近畿日本ツーリストなどが、旅行予約のシステムを利用したあらたなシステムを構築してそれを利用するらしい。熊本ではJTBであるが、関西では近畿日本ツーリストと聞いた。

またこのコロナワクチンに関しては様々な憶測があり、妊婦様の問題もある。接種は義務であるけれど、強制ではないとも聞いた。まだまだ情報量が不足している。

2021-02-17 11.40.47

写真は現時点での、二階の青バラである。こんなに寒いのに、大輪を開かせようとしている。果たして本当にきれいに咲くかどうかは、微妙であるけれど・・・

↑このページのトップヘ