私は小学生のころまで熊本市内で過ごし、中学高校と久留米で過ごし、大学以後は再度熊本で過ごした。私が実家を出たのは、医学部の最終学年の頃で、以後は基本的に結婚するまで独り住まいである。父との生活は大学までが中心ということになる。

父は昭和42年(1967年)の2月6日に西村産婦人科医院を、熊本市出町で開院した。当時は住所として二つ表記があり、熊本市清水町津浦(つのうら)という表記と、新出町という表記があったような様な気がする。この地で父は西村産婦人科医院を42年間診療を続けた。

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開院当初と周囲の家並みが少し変わった。父の実家は隣にあったが、そこは解体され、庭の部分に新しいうちが作られた。西村産婦人科の西側に父の家が開業後に作られた。北側には、従業員の宿舎と厨房が作られた。その後道路に面した北側の家の解体に伴い、そちらの土地を買い取る形となり、間口が広がった。

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42年も診療すれば、その中で父独自のスタイルとなる。診察室はこのような雰囲気であった。

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所せましとあちこちに何が置かれ、掲示され・・・と。一度父の代診中に私が整理したら、怒られた。何がどこにあるかは父の頭の中で整理されている、と。以来、この診察室に手を出すことは控えた。

開業時父は40歳。それから42年をこの診療室で過ごした。診療時間が終わった後でも、時に夜はこの部屋で残された仕事をしていたし、日曜祭日も過ごしていた。

今にして思えば、私が今していることと同じことであり、スタイルは違うけれど。つまり、私は父の姿を見て育ち、そして同じ道を歩んだ、ということである。

2月8日8時前に、叔母より入院していた父の容体が急変し、今から病院に行く、という連絡をいただいた。そのあとに、入院先の病院より私に連絡があり、心停止の状態で発見され、現在蘇生を行っている。という連絡をいただいた。私は、月曜日の診療開始前の時間帯であり、母と叔母と妹に今後の対応を依頼せざるを得ないので、そのまま診療を続けた。

そのあと死亡を母が確認し、葬儀社に移動すると連絡をいただいた。私は午前の診療を済ませ、午後の診療を青木先生にお願いして、斎場に向かった。友引と葬儀社の都合により、8,9日が仮通夜、10日が本通夜、11日が葬儀と決まっていた。

2日も仮通夜なんて、と最初は感じたのであるが、考えてみれば、実はその方が都合がいい。11日はちょうど祭日だし・・・。ただ、2日も仮通夜は長い、と感じた。

8日午後に葬儀場に家族が集まり、手順を決めた。葬儀の内容、祭壇、一般公開の有無、棺桶、骨壺と決めることは多く、すべてが決まるはずもない。そして午後5時過ぎに、納棺師2名の方により、父はきれいに棺桶に収まった。祭壇はまだ有り合わせの状態ではあったが、ようやくこれで仮通夜を迎えられる状態となった。


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母も、叔母も、妹も、朝の連絡時に急いで駆けつけてそのままの状態であった。なので、その日は夕方には家族はいったん帰宅となり、私と私の長男とで斎場を見守った。

9日、午前中、私は診療を行い、午後は青木先生依頼して、斎場に顔を出す。コロナ過もあり葬儀は家族のみで行うこととしていた。しかし、こちらの連絡の手違いで、お悔やみの広告が熊本日日新聞に掲載されてしまった。そのため9日当院にも、実家にも各方面から連絡をいただいた。ということでそれならばと、家族で行うという趣でお悔やみの広告をこちらからも掲載することにした。新聞社と打ち合わせをして、掲載は10日朝刊となった。

10日は当院では帝王切開を予定していたので、予定通り帝王切開を行った。午後6時からお通夜であったので、私がお通夜に参加して、妹が術後の方とその間のクリニックの対応を行った。結果としてその間に分娩が進行し1名妹が担当する形となった。午後8時に妹と交代する。

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11日本葬。朝10時におときを身内にて行い、11時に集合写真、12時に本葬、13時に出棺、14時に火葬、17時に斎場に戻り解散となった。

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葬儀は無事終了いたしました。何分急なことであり、当院を通院中の皆様にもご迷惑をおかけいたしました。青木先生、妹の協力により、診療が無事継続できました。皆様、どうもありがとうございました。この場をかりて、深く感謝申し上げます。

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カメラ修理中である。なので、古いカメラを使っているが、どうもこちらは古い分・・・。仕方がないので、古い写真から、と。ちょうど今頃の写真をみていると・・・


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日付は2007年2月であるから、このころにはこの梅が咲いていたことになる。撮影地は久留米で少し北であるけれど・・・。

個人的には桜より梅、それもこのように一輪、二輪と咲いて、で、かつ寒くてちょっと暖かくなって、風がない状況で、かすかに香る、というのが好みである。しかし、私自身も加齢により嗅覚も衰えていくような気がするから、今後どうなるか、と。

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これは中庭の蠟梅。蠟梅は葉っぱがついているよくわからなかったが、1月末の冷え込みでようやく葉っぱが落ちて、結構咲いている。これくらい咲くと、近くによると香ってくる。本来なら、待合室で待機中の皆様に香りを届けたいところであるけれど、ちょっとむずかしい。ということで、時に枝を切って飾るけれど、これだと香るのはちょっと1日くらいで・・・

なお、この写真は実は2010年のこの時期のものである。写真の左側に緑の看板が見えている。たぶん香味彩と合ったはずである。あ、香味彩はもう復活しないだろうな、と。

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でも蠟梅の写真で一番のお気に入りは、今年撮ったこれである。

さて今日は祭日、時間があればあちこちの梅見物に行きたいところであるが、ここ数日所要が込み入っている。来週にはすこしじかんができるといいが・

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