このブログに移行したのが、2014年10月なので、このブログにあれこれ書いて5年ということになる。3年前の4月14、16日が、熊本地震で、震度7の揺れと遭遇した日で、そこら辺の思いは、その当時のブログに記載した。あれから3年ということになる。

出来れば二度とあのような地震には遭遇したくないけれど、こればっかりは何とも言えない。万が一に備えて、ということで建物の補修を行い、非常用電源の設置を行った。また仮にそのような災難に遭遇した場合の、クリニックの維持という問題も短期間であれば解決できるめどは立った。非常用の備品も用意した。

阿蘇方面の崩壊した道路鉄道網も、整備が進み、2020年度にはあるていど復旧が進むと聞いた。それだけ広範な範囲の大規模の災害であった。とはいえ、日本に限らず、世界各地で様々な災害が報告される毎日であり、ということは各地で日々様々な活動があり、そして復興に向けての尽力が尽くされていることであろう。

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土曜日、益城のふるさと市場に行って、帰りがけにチューリップ畑にあった。ざっと1万本くらいあるかもしれない。

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2017年11月に実施とあって、今年は2019年だから、ということはこのチューリップ畑は2年目ということで、夏場はヒマワリになるのかな、と。

種にしても、球根にしても、蒔く、植えるという行為が必要であろうから、この地区の方々の復興への思いであろう。

被災地の方々の皆様のより一層の復興が進むことを願っています。と同時に、当院でも今後の万が一にそなえて、と。


4月13日土曜日。朝から眠たかった。原因は、午前1時30分に起こされて、それから眠れなくて・・・。でも午後は外来を西村佳与子医師に任せられるので、午後は一息つける、と何とか外来をクリアーして、帝王切開も無事終わった。

シャワー浴びて、すっきりして、手術時記録を書いて、外を見ると好天。やはりこれは益城に行かなくては、と思い、益城に向かう。目的は食材確保であるけれど、オープンカーで好天の下車を流すということもあるので、あまり渋滞には近寄りたくない。

最初の目的は益城市場。しかしここにはお目当ての食材がなかった。
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空港の先に益城ふるさと市場へ向かう。丸勢でこれを見つけてしまった。
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魅力に抗えずウルメイワシを2尾購入。それから市場で、野菜と果実を購入。帰宅したのは、17時30分。ちょっとだけ外来をお手伝いして、18時に部屋に戻る。さて、いよいよ切って乗せて盛るだけ料理の開始である。

まず、裏の花壇で、今週のアスパラガス5本を切ってきた。人参、スナップエンドウ、アスパラガスをゆでて、玉ねぎとナスとピーマンを炒めて、と。相棒は今日は赤ワインで、ちょっとだけ飲みながら、下ごしらえが終わり、ようやく19時。さてここからが真打登場。

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写真撮影後に新聞紙を敷いて、さてうろこ取り、と思ったら、出刃包丁がないことに気がつく。院内探し回るが、実は厨房にもない。厨房に届く魚はすべて下ごしらえが済んでいるので、出刃包丁は不要と。仕方がないので、手持ちの包丁で歯が欠けてもよさそうな包丁を、砥いで、さて、と思ったら、なんとこのイワシにはうろこがなかった。

既にうろこは取ってあった。なので、通常のイワシに比べて光具合が違ったのである。でも内臓はまだとっていない。頭だけ落として、料理用ハサミで腹をさばいて、内臓を取って、あとは手引きでさばいた。なので、中骨はそのままついている。この時点で19時30分。

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さていよいよ切って、盛り付けようと思ったら、患者様が急きょお越しになると。そこで30分中断。あれこれあって、再開は20時30分、刺身とカルパッチョ風味でとこの様な形に。
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21時試食開始。刺身に小さく切ると、中骨が歯に当たって食べつらかった。少し大きめに切ってカルパッチョ風味で野菜と一緒にというほうが食べやすかった。

調理中からワインを少しづつ飲みながら、そして睡眠不足もあり、22時に就寝。




自分史を振り返ることは、過去に目を向けることである。過去の自分を振り返ってみれば、きっとだれもで穴に隠れたいような失敗もあるであろうし、人に自慢したいようなこともあるかもしれない。

でも、たぶん自慢したいような事象から学ぶことはない。というよりも自慢したいような気持ちで、同じことを繰り返してのぼせ上って、失敗をする、ということであれば学ぶこともあるかもしれない。やはり失敗から学ぶことの方が多いと思う。

失敗した、次こそうまくやろう、という気持ちで、過去を振り返り、失敗しないような工夫を加えて、次に成功のレベルに近付ければ、その次はもっとうまくいく。とはいえ、全く同じ様な状況で、新たな事態が同様に生じることはないかもしれない。ということは、その状況に応じて、過去から学んだことに微妙な修正を加えながら対応する、ということが望ましいかな、と。

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この形が単純に応用できないのが医療の世界である。対象である患者様に対して、物は試しにやってみよう、というわけにはいかない。医療においては、対象者の安全を考慮しながら、その対象が少しでも今後いい方向に向かうように、お互いの合意の上で診療を進める必要性がある。なので、よほど打つ手がないような難病ならともなく、通常の診療においては安全策を推奨することとなる。

しかしそれでも時に何か望ましくないことが生じるわけで(合併症・偶発症ほか)、それは様々な因子が絡んで生じることもある。というよりも、対象は人という生きている生物であり、そして十人十色で人は様々であり、その人を取り囲む様々環境や社会的背景、本人の持つ精神的肉体的因子で変わりうるわけで、かならずしも同じ病気だから、同じ治療が成功するとは限らないのである。

そうした観点からすると、やはり外来診療ということは学びの場であるような気がする。外来診療なんて、時間も短いし、一見さんでおわるかもしれないし、と。ところが、外来に何らかの形で悩んでお越しになる方は、1回では問題が解決しないからまたお越しになるわけで、そうした状況で外来で診療を続けることは、おのずと過去の治療歴を判断しながら、今後の治療を検討せざるを得なくなるわけである。場合によっては、専門医を紹介することも一つであろうし、自分なりにいろいろと調べて、新たな治療法を探すことも勉強となるかもしれない。

医療とは、やはり見るであり、診るであり、観るであり、看るであり、視るでもあるな、と改めて思うばかりである。つまり、出来るだけ正確に様々な情報を取得し、その評価を行い、実行する。そしてのその結果を見て、場合によっては修正して新たな治療を行う、と。今の私にとって、最善の学びの場は、外来であり、病棟である。そしてそうやって学ぶことが続けていける間は、診療を続けていくことができるかもしれないかな、と。

いつかは学ぶことができなくなる時が来るかもしれない。その時はまだ先であることを願おう。

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写真は中庭の紫蘭。ようやく咲き始めました。

そして裏庭のチューリップは散り始めました。次は芍薬のシーズンです。でもその前に、早くビアフレンド(枝豆の品種)を植えなくては。


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