このブログは、現在自分で朝からコツコツと書いている。で、題目を使って、その都度思い浮かぶことをその時間で書き綴っている。昨日のタイトルと特別扱いは、あとで思うこともあり、少し追加することとした。

特別扱いということは、他の人とは違う扱いをされたということで、特別扱い=偉くなった、ような気がしていた。しかし、考えてみると本当にそうだろうか、と。

ということは普通の扱いはそんなに劣っているであろうか、とまず思う。普段の扱い=標準のサービスということであろう。標準のサービスとは、何かを始めるときに最初に想定された行為であろうと思う。何かを始めたと時には、経済的には十分でなければ、何かを代用することはあるかもしれない、何かがいたらないこともあるかもしれない。でも、そうやって始めたことが、他の方々の理解と共感を得られたからこそ、そのサービスを続けることができたのであろう。

確かに、ある程度成功すれば、余裕ができてて、そうなると付加価値を付けたサービスをということになるのがよく目にする機会であるが、そうなると根本的なグレードでの対応は不十分なものとなって、付加価値を付けたサービスが本来の提供するものということになるのであろうか、と。

次にたまたまにしかしないことは、どうしても抜けが多くなるような気がする。毎回おなじようなことを、同じような形でしているから、自然な流れ中で、抜けがなくなるであろうし、万一抜けたこと、あるいは欠損した事態があったとしても気づくことも容易であろうし、修復もたやすいことであろう。つまり一連の流れの中で対応すると。

ただし、その場合、流れになれてしまうと、惰性で単に繰り返すこととなり、これはまた困った問題を起こすこととなるので、その流れの中にありながら、その流れがきちんとした流れの中にあることを確認するという冷静な目が必要である。

そして、私自身が今その方向に変わりつつあるのだが、余計なことはあまりしたくないな、と。物事はできるだけシンプルにということを心がけている。複雑な工程となればなるほど、その用意も、修復も大変である。簡素な方が見直しもしやすいし、と。そのスタイルで考えれば、物事はする、か、しない、であり、そこに特別な行為を付け加える、ということは面倒だな、と感じてしまう。

こう考えると、症例に応じたそれなりの対応は必要である。しかし特別扱いはしない。その時点での修正が必要であれば、全体の行為自体を変更し、オプションはつけない、というほうが私自身としても、そしてクリニックの医療行為としても、望ましいような気がしてきた。

ウィメンズクリニック グリーンヒルは、原則として個室であり、特別室なし、食事は標準で同じもの、特別御膳なし、診療も特別な診療はなし、と考えてみれば、最初からクリニック自体のスタンスがそうしたものであった。クリニックの原点が特別扱いなし、から始まっていたことに改めて気づくばかりであり、その原点は私自身が設定したものであるから(そこにはそれなりのいくつかの理由があったわけであるが)、その原点は結果として私にあっていた、私にとっては正しかった、ということかもしれない。

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駐車場の片隅で、バラのつぼみが膨らんでいた。今年は、可能ならこのバラの株分けに挑戦したいな、と思っている。また水仙や芍薬の種の栽培も挑戦しようかな、などとも考えている。