最近世の中は、ガイドラインやEBM(証拠に基づく医療)流行で、経験に基づく医療というと白い目で見られそうである。それこそ推奨レベルD、いやEだったか、と。

でも医療は同じことは二度となくて、いつも状況が微妙に異なる。そしてその場での対応が求められたとき、ガイドラインを取り出すわけにもいかない。(診療がおわったあとでこっそり見ることはよくあることであるが)。そうなると、自分の頭の中にどのように整理され、過去の経験からどのように私自身が学んでいるかということをもとにその場での医療行為となる。

しかしそうした医療行為をづっと続けていれば、どこかでちょっと違う方向に進んでいるかもしれない。そうしたときに、ガイドラインやEBMに基づき、自分の基本路線を修正するということになるのではと思う。ま、問題はどこで振り返るか、あるいは振り返るべきかと感じるべきか、ということであるような気がする。

これは私自身に限らず、当院のスタッフに関してもおなじことであろう。忙しい中で、仕事をこなすだけ、ではなくて、生じた事象をどこかでちょっと振り返ってみる、そしてじかに生かそう、と思うこと、そのために特に勉強が必要であろう。

仕事をこなす、のではなくて、普通に仕事を意識せず行うということも大切かも知れない。この二つの行為は似ているようで、ちょっと違う。こなすというと、何となく、そこには主体的な意思が感じられない。そうではなくて、本来の主体としての意識はあるが、それは通常は心深くに秘めておいて、異常時にそれが表面に出てくる、そうした状態が望ましいのでは、と思っている。

といいつつも、まだ私もわかっていないのかもしれない。表現がうまくできないのかな、と。意識はするけれども、それが前面に出らずに背後で控えている、そうした状態での医療(これは医療に限らないかもしれないが)がのぞましいのでは、と思っている。

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最近は好天が続く。でもその分灰も降る。部屋はざらざら。それでも窓を開けている方が気持ちがいい季節である。