私自身は、産婦人科開業医の息子であり、小学生まで実家で過ごし、中学・高校は久留米で過ごし、大学時代は再度熊本で過ごした。そのため、産婦人科開業医である父の姿を間近に見て過ごした。昭和の終わりに大学を卒業し、熊大の産婦人科医局に入局し、結果として父と同じ産婦人科開業という道を選んだ。

もしかすると、私の中では、その開業は、ある意味では父の開業の形態を意識していたのかもしれないな、と今は思う。何かを比較するとき、その比較の基準をどこに持ってくるか、ということである。今はこうして開業して10年近く経過し、私の中ではこれが私の開業といえるけれども、そこに至るまでの私の理想とする開業の形態は、あるいみでは実家の開業医の形態を参考にしてたのかもしれない。

私の実家は、現在の熊本市の西区に所属する。実家の前の道路は、昔は国道3号線といっていた。小さい頃に道路のアスファルト舗装工事を眺めていたような気がする。その後3号線バイパスができ、そちらが3号線となり、目の前の道路は、県道四寄木(よもぎ)線となった。

私にとって熊本市の中心は、今も昔も上通り・下通の鶴屋界隈である。その町の中心まで、バスで10分、近くには住宅街が広がるそんな古い場所に実家はあった。父の開業は昭和42年ごろで、私の生年が昭和35年であるから、私が小学生から高校生ごろが実家の最盛期であったのではと推測している。

残念ながら、その最盛期の写真は今は手元にない。以前実家を撮った写真はあったが、その写真も行方不明。今とともにあるのは、開業を意識して、今は地震で登れなくなった熊本城の天守閣から実家方面を撮影した2005年当時写真があるだけである。

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さて、この写真を拡大して、と。

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画面の中ほどにある、青い看板の横に貯水タンクが写っている。この貯水タンクがある部分が、実家の産婦人科の屋上である。昭和42年(1967年)に開業し、確か平成22年(2010年)ごろの閉院であったような気がするから、約40年間の開院であったこととなる。今は、この屋上の貯水タンクも赤さびて放置されている。そろそろ解体という問題もでてきた。

この西村産婦人科が、ある意味では、私の開業の原点なのかもしれない、と今改めて思うばかりである。実家がこうだったから、私はこうしようとか、他の施設を見学して実家との相違点を参考に取り入れようとか、常に判断の基準にあったような・・・。ただし、それが別なクリニックのやとわれ院長となった時点で、その比較の基準点が新たに加えられ、さらにそれが増え、それらをもとに、(つまり比較しながら)現在のグリーンヒルを作った、というのが正確な表現かもしれない。

そして、こうやって作って、それに手を加えてみてわかることは、物事は最初が肝心である、ということである。最初の基本設計がいい加減だと、その尻りぬぐいに後々まで手をわずさわれることなる。その点でグリーンヒルは、手間味噌であるが、よく考えられていた。後々、あれこれ手を加えようと考えたとき、結果として何もしないほうがいいかもしれない、という結論になることもある。

どうしても産婦人科診療所は大きな建物となるのであるから、作る前には本当に良く考えて、そしてそのあとには、本当に必要なときだけ手を加える、というのがいいのかもしれないな、と。

さて、ここまで考えてみると、実家の西村産婦人科を本当に解体すべきかと思わないでもない。実家の土台は結構しっかりしている。建物内部の配管や、窓その他は劣化しているし、その当時の製品であれば、40年もたてば仕方がない。でも土台というか、基礎部分だけは意外と劣化がすくなければ、その基礎部分を使ったほうがいいような気もしている。

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裏庭の繁ったサツマイモ。裏庭の半分くらいを占めている。その半分を芝桜とそしていわゆる雑草が占めている。

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サツマイモの収穫はさておき、来年こそはもっと茂らせて、雑草取りをしなくていいようにと思っているが・・・。