世の中、過重労働が問題となり、医師の世界でも残業の制限という話が出ている。月100時間以上の残業は・・・と。今の流れでは、勤務医は残業により統制することも可能かもしれない。ま、それも時の流れであれば、仕方のないことであるが・・・。

私は自分がこうだったから、こうしろというつもりはないし、また、難しい言葉で応召の義務だから、というつもりもない。とはいえ、過去のトレーニングの結果として、今の私自身があることも事実である。その結果として、私は、開業医として、平均的なレベルではあると、思っている(と、信じている)。しかし、もしかしたらそうではない、といっている人もいるかもしれない。

医師の技がいいから、必ずしも繁盛するわけでもないけれど、すくなくもそのクリニックが無事に継続できるためには、医師の技量はそこそこのレベルであることは必須であろう。あとは、それ以外のいくつかの因子(スタッフ、施設、背景因子)などにより、成業するかどうか、決まるような気がするので、幸い、クリニックをまだ存続することができてありがたい限りである。

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さてその医師の技量を習得するためには、過去にどのような経験を積んだか、ということは大切なことであると私自身は思っている。いざとなった時に、テキストを開いたり、パソコンで検索することはできない。自分の頭の中にどの程度の知識と経験が蓄えられているか、そしてその扉を開いてどのように活用できるか、これは大切なことである。

また日々の診療においては、そうした緊急の事態はない。しかし日々の診療の中で、何もないと思うのか、あれこれはと感じることができるのか、それは大切な医師としての嗅覚(第6感とでもいうか)があるかどうかも、時に大切なことである。それはいつもその嗅覚が正しいとは限らないが、時には大正解ということもあるわけで、その大正解の結果、そのお越しになった方の治療がより正しい方向に進めば、それに越したことはない。

そうした嗅覚はどうやって磨くのか、といわれても難しいけれど、これもやはり日々の積み重ねの結果である。医師という職業においては、やはり過去の経験がきわめて重要であると私自身は思っている。過去の経験を(成功であれ、失敗であれ)自分なりに分析して、そして次回のより良き対応への一歩とすること、これしか平凡な私に道はないし、またこうした道が通常の医師のたどる道ではないかと思っている。

そう考えてきたときに、過去に緊急に呼び出されたり、時間外に病棟や当直室で調べたり、経験したことは、決して無駄なことにはなっていないと思う。自分の体力と知力の許す限り、さまざまな経験を積むことは決してむだなことではなくて、自分自身のためである、と私は思っている。

自分自身のために、残って勉強することは当然ながら残業ではない。しかし残ってそうした場所にいれば、何かあったときに呼ばれることは事実であり、そうなると残業ではあるが、しかしその残業から得られるものは多い。

と同時に、そうした状態が常態化すると、医師自体にも様々な負担が重なり、精神的にも肉体的にも疲労著しい状態となることも事実であろう。疲れたときには休めばいいのであるが、様々な理由で休めなければ、結果として過労と判断されるわけで、そうなると残業の制限もと思わないでもない。

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基本は、つかれた休めばいい。元気になったらまた頑張ろう、と。ただそうこうするうちに心にも、体にも様々な重しが引っ付いてくことであろう。その重しから解放されるためには、心機一転しかないであろう。私自身のの心機一転はまだ少し先の様であるが・・・。、かりに心機一転しても、自分にはこれしかない、と思えば、また戻ってくるような気もする。

写真はそろそろ開き始めたチューリップ。ピンクで統一したつもりであるが、ピンクにもいろいろある。どのようにさいてくれるかな、と。