私の基本は、あるがまま受け入れる、というようなスタイルであるとおもっている。日常の生活で得られたものに何かイレギュラーなものがあっても、そのまま受け入れる。人によってはクレームを付けて交換ということもあるかもしれないが、ま、それも天命と受け入れることも多い。なにより、交換が面倒というjこともあるかしれない。ま、個人的なことは、それで他の人が困らないなら、本人が納得しているなら、それでいいことである。

医療の世界においては、あるがまま、つまり自然の流れに、ということが基本であると思っている。人間の体のもつ維持する力に期待する、というところであろうか。しかし、そこに時に様々な異常が出現するわけで、それが病気であったり、がんであったり、風邪であったりと、。中には自然の治癒力で治るもののあれば、治らないもののある。また自然に任せてもどうにもならず、さらに悪化する場合もあるかしれない。

つまり医療においては、自然の流れを大切にしつつも、そのままではどうにもならないことがあるので、その場合には医療的な介入が必要である。その介入のタイミングと方法によって、その結果も異なる場合がある。しかしその見極めは常に難しい。じっと待ったつもりでも、様々な事情で待てなくなって、介入に踏み切るとタイミングが早かったということもあれば、遅かったという場合もある。いくら経験を積んでもこれはなかなか難しい。

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お産においては、やはり基本は待つことであろう、と思っている。しかしお産の進行は人さまざまであり、初産であっても1時間程度で生まれる人もいれば、2-3日かかっても生まれない人もいる。その差がどこから生じるのか、誰にも分らない。

また、お産は基本的には病気ではない。ここが難しいところで、病気ではないので、自然に様子を見るということになるけれど、その妊婦様と胎児の状態を常に観察し、病的な場合には介入を速やかに行わなければならない。しかしそうなると、いったいどこから観察をどのような手技で始めるのか、ということになってしまう。

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さらに、遡るなら、妊娠中の経過も同様で、妊娠の経過中に異常を見つけた場合にどうするか、という問題もある。残念ながら、今の医療では、妊娠22週以前の胎児の発育を支えることは不可能である。つまり妊娠22週までに何かを見つけたとしても、あとは自然の成り行きに任せることしかできない。(この場合、母体優先ということになる)

一方妊娠22週を超えれば、胎児の生存の可能性があるので、ということになる。でも残念ながらすべての胎児を助けることはできない。(これは統計上明らかである)。また、児に何らかの致死的な異常があった場合、治療不可能な病気であることが判明した場合の対応も限られている。

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お産の進行過程においても、どこまで待つか、医療的介入が必要か、と常に悩ましい。早すぎても、遅すぎても、と。とはいえ、基本はお産においては待つことが大切であると、信じている。児の状態が良ければ、基本は待つ(見守る)。この末ということの基本は、児の状態が中心であるけれども、時には母体の疲労が著しければそちらにも配慮が必要である。

そしてようやく生んだ、と思ったら、今度は産んだ後にも何かがある。まず陰部の損傷状態を確認し、修復作業(いわゆる縫合)が必要であるし、産後腫kj血が多かったり、血腫をつくったりということもある。生まれた新生児の低血糖、多呼吸などの問題もある。生んでおしまいというわけにはいかない。

さらに言うなら、退院した後も・・・。やはり妊娠出産そして育児は大変なことである。そしてその経過を2回、3回、あるいはもっと繰り返す女性の心意気に感服申し上げる。ということは、私とこのクリニックにとってできることは、そのお手伝いである。そのタイミングを伺いながら、皆様のお手伝いを、と。

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さて、写真の解説を。数日前のことである。窓に鷹(?)の幼鳥が来て、コツコツと窓枠をたたいていた。たぶん巣合ったばかりであるのか、まだくちばしも黄色い。

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さて、その数日後、稲刈りの済んだ田んぼでは、鳩が落穂ひろいをしていた。その周囲に烏がとまり、威嚇するような声を上げて数羽がいる。烏の頭を向ける方向に一本の木がある。この木をよく見ると、どうもこの鷹(?)ノスリ?がいる。

つまり、現在この地で、烏軍団と鷹(ノスリ?)の間での縄張り争い、が勃発しているようである。たぶんもう少ししたらこの鷹は南に飛んでいくのでは、と思うけれど・・。