ま、これはしかたのないことであるけれど、時に当院の2階のフロアに、”痛い”という叫び声が響くことがある。

鼻からスイカが出るくらい痛いという表現をどこかで見たような気もするけれど、それくらい痛いのであろう。残念ながらというべきか、男でよかったというべきか、私は性別上男性であり、その分娩を体験することはできない。

2017年は590件のお産があり、ただ当院で、お産にたずさわる身としては、昨年は年間590のお産を横から眺めていたことになる。

この590の中には、106件の帝王切開があり、203件の無痛分娩があり、残り281件の通常の分娩があった。で、その中で1件だけ私の都合により立ち会えず、黒田先生にお願いしたので、280件のお産に立ち会って、縫合したこととなる。(昨年は、自宅出産はなかった)

自然な分娩であっても、つるりと生む人もいるし、眠れない思いをして産む人もいるし、やはり叫ぶ人もいるのである。こればっかりは、仕方がない、と思う。

お産という極限の状況であれば、やはりどうしてもその人の本性が出るようなきがする。でも、となるとつるりと自然なスタイルで生む人もいるわけで、そういう人は根本が常に平静なのかもしれない。あるいは隠しおおせているのかもしれない。

一方叫びだすと、次第にそれはエスカレートしていくようで・・・。自己陶酔というわけではないけれど、一線を超えてしまうと、青天井となるような気がする。叫ぶだけでもつかれるであろうに、そして叫んだからといって、お産が早く進むわけではない。でも叫ばずにはいられない、ということであろう。

そして二人目、あるいは三人目だから落ち着いてお産ができる、というわけでもない。時にお産に子供を立ち会わせるお母様がいら者るわけであるけれど、あまりの痛さに子供の前でも大きな声で叫んでしまう場合もないわけではない。

ただ、そうなると子供のお母さんを見る目が少し変わるようで、お子様をお産に立ち合わせる場合には、できるだけ平静を保つようにお願いしているし、不可であれば無痛分娩にすることをおすすめする。また、夫や実母に痛いと叫んでしまう自分をさらけ出したくないのであれば、そういう場合にも無痛分娩をおすすめする。

なお、誤解の無いように付け加えておくと、お産で叫んでいけない、ということではない。叫びたければ叫んでもいいけれど、そのままお産となってしまうと、余計なところに力が入って、産後に筋肉痛と咽頭痛になやまされることであろう、と私は心の中で思っている、ということである。(ちなみに、これまで産後に声が出なくなるほど叫んだ人にはまだであったことはない)

叫ぶお産であろうと、叫ばずに淡々と進むお産であっても、そして無痛分娩であろうと、帝王切開であろうと、お産に変わりはない。できれば、そうしたお産の経験が、妊婦様自身の人としての成長につながればと願っている。

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これは阿弥陀如来。斎場の入り口に鎮座するせいか、きちんとお参りの用意がしてある。ただ、花は萎れていた。

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