正直に言うと、託麻88ヶ所めぐりのなかで、2か所はうしなわれているので、86ヶ所めぐりであり、今回3回に分けてめぐり、その内数か所は到達できなかった。ただそのために、あちこち回ってみたわけで、それでまたいろいろなことに気がつき、私なりの推測を立ててみた。

もともと、この戸島小山界隈は、戸島小山村であり、そこが一つの行政区画であった。さらにいうなら、戸島村、小山村であったかもしれない。そうした村の基本はどこかに中心があり、それは役場であったかもしれないし、神社であったかもしれないし、山であったかもしれない。

神園山、小山山、戸島山は信仰の対象であったともきく。実際のその山の周辺にはさまざまな史跡が多い。寺、神社、地蔵堂、薬師堂・・・と。人口の荒廃、神仏混合、と様々な歴史の中で、失われたものもあれば、残ったものもある。そしてその残ったもの、あるいは痕跡があったものを、たぶん誰かが(戸島小山村の教育委員会?)がいったん整備してその歴史を残したのであろう。その一覧のようなものが、そういえば託麻公民館に表示されている。

IMG_0564 (640x479)


また、今回はからずも小山山と戸島山にちょっとだけ登ったのであるが、やはり山の中に入ってしまうと、右も左もわからない。夏草が生い茂り、小道が残っていなければ、高さ300-400mの山であっても迷子になりかねない。そうし際に、数か所水が湧いている場所を見つけた。

戸島小山地区は、阿蘇の外輪山につづく丘陵地帯で、基本は台地であり、水が自然に湧き出すところは少ない。人の営みにおいて、水が得られるということは大切なことで、水と山があって、人が集い、さまざまな信仰が発達したのかなと。さらに言うなら、自然の破壊力は時にすさまじいものがあり、時に人知ではどうしようもないことがあったことであろう。その犠牲になった人々、そして自然への恐れがあり、さまざな地域の地蔵様がつくられたのな、と。その流れで88ヶ所めぐりもつくられたのか、と。

IMG_0608 (640x478)


猿田彦命の石柱も数か所で見かけた。また、ここらへんのお宅には、門の一角に小さな祠を作って、地蔵様あるいは仏様を待つってあるところが多い。

IMG_0622 (640x462)

部屋にこもってあれこれするより、こうやって外に出て、あれこれ見て回ることは、健康のために、頭のためにもいいことと思う。しかし、不動明王を探して、小山山の中腹で迷いかけたときには、いまここで携帯が鳴っても帰れないよな、と感じた。おまけに、不動明王到達後には体力の喪失著しく、やはり夏場は、十分な水分とカロリーの補給、さらに山の中に入るならそれ相応のいでたちでと、感じるばかりであった。

さて秋口からまた託麻88ヶ所めぐりの講座も再開することであろう。そうした会や、託麻公民館にのこる戸島小山村史などからもうすこし学んでみることとしよう。