開業にあたって、自分の中で漠としたイメージがあっても、それを具体化しないと、実現はできない。なので、そのために、自分の理想とするものを探し求めて、いくつかの施設を見学に行く、ということなる。

日本全国で、産婦人科の優勝診療所がいくつあるのか、正直言ってよくわからない。多分1000から2000前後と思うけれど、さらに産科の病院があって、総合病院があるわけで・・・。でも私に必要なのは、産科施設の有床診療所で、かつそれなりにお産があって、にぎやかな施設である。

で、できれば他施設と競合しながらお互い切磋琢磨しているような施設を探せばいい、と気づいた。なので、当時お付き合いのあった乳業会社にお尋ねして、いろいろな地域で評判の良い産科施設を教えてもらって、そこをきちんと見学に行くことにした。

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福岡にいたとき好きだったホテル


実は正直言うと、19年くらい前(2000年ごろ)にも同じようなことがあって、福岡・島根・大阪・東京の施設を見学に行った。そこで見た施設の中で採用されているシステムも見せてもらって、それをもとに熊本で様々な方と議論をして、そして設立に至ったのが、とあるクリニックである。その後事情があり、私はそこを離れ、2002年ごろから福岡で勤務していた。

最初の3年で勤務していた施設は、4つの産科施設を持ち、そのうちの二つが松山建築設計室の設計であった。(公式には、姪浜にあった施設が松山建築設計室の産科施設の1軒目であったと思う)残念ながら、そのクリニックは現在取り壊され、その場所には別な施設が建てられている。そのため、基本的な雰囲気をのこしているのは唐津にある施設となった。

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唐津のクリニック

その施設を離れた後は、1年ほど福岡県の古賀市の施設で働いた。それから開業に専念するため、勤務医を離れ、アルバイト生活となった。各施設で診療をしたり、当直をしたり、あるいは子宮がん検診にあちこち行った。

もともとカメラが好きであったと思う。で開業を意識するに様になって、あちこち行く際に写真をとるようになった。当時はガラケーの時代であり、ガラケーの写真よりカメラの写真が大切で、当時はニコンD80あるいはD8を使用していたような気がする。

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伊万里のクリニック

広島、大阪、京都、大津、福岡、佐賀とあちこち行った。あちこちであれこれ考え、食べて飲んで、建物の基本構想を設計関連のスタッフと語り合うことは、楽しかった。

2005年前半に今の場所を選定し、青写真を描き、本設計が始まり、2006年夏に地鎮祭であった。そして2007年5月に開院である。

ということは、2004年から2005年の前半までが検討期間で、以後は実際の設計図との検討というこになる。松山建築設計室の建物はすべて見て回ったような気がする。(当院は松山建築設計室の手掛ける7件目の産婦人科であったと思う)。

なんでも最初はマネから始まる。真似をしてある程度自分の中で理解が進んでから、自分の中でオリジナルの形となる、ということではないかと思うし、たぶんこれは皆様も同じであり、そしてそれはすべてに当てはまるような気がする。

なかには、最初からオリジナルで突き進むという方もいらっしゃると思うけれど、私にはそうしたオリジナリティは乏しい。

そうしてマネから始まったものであっても、数年たてば色があせ、劣化する場所もでてくる。そうしたときにオリジナリティで補修するか、あるいは原型に戻すか、これはなかなか難しい選択となる。でもそこでそうして考えることで、また原型への思いが深まるのかもしれない。

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百道の福岡市図書館。

当時は図書館に通って、いろいろな本を探していた。当時であったのが、ジェフリーディーバのリンカーンライムものである。現在も愛読しているし、最近ジェフリーディーバのインスタをフォローしている。