ちょっと前の私の経験談で、手術時に痛みをとることの重要さを痛感した。する側と、される側と立場が異なり、よく理解できた。基本的には、大の大人が痛い痛いと叫ぶなんて、と思っているので、歯科に行っても、整形外科に行っても、痛いと叫ぶことはないけれど、やはり痛いのは痛い。どこまで見得をはれるか、ということであるような気もするけれど・・・・。
ある一定のところまでは耐えられる、でもその一線を超えると痛みには耐えられない、というライン(閾値)があって、このラインは人によりさまざまである。閾値が高いということは、つまり痛みに強いということであるけれど、痛みに鈍感であるかもしれない。一方閾値が低いということは、痛みに弱いし、痛みに敏感であるということとなる。
お産の痛みが分かりやすい話で、お産の痛みは、当然痛いと思って陣痛だということで皆様お越しになる。しかしその痛みの感じ方には個人差があるわけで、診察して、分娩の進行度を見ながら、入院かどうかの判断となる。残念ながらまだこれでは、ということでお帰りをいただくこともある。
痛いと思ってきたのに、と感じられるかもしれない。しかし、お産の進行状態は千差万別であるけれど、少なくとも今すぐ生まれるような状態でなければ、もう少しお産が進行するまではどこかで待機いただけなければならない。その間、少しでもリラックスできる場所が一番であり、いったん帰宅となる。それから痛みが強くなって再度お越しになるかもしれないし、あるいは痛みがいったん遠ざかってしまう場合もあるかもしれない。
で、次にお越しになるときには、当然最初にお越しになった時とは比べ物にらないくらいの痛みとなっているわけで、その時の痛みが強ければ、やはり妊婦様から声が出ることもある。
これは私の推測であるけれど、いったん痛いと叫んでしまうと、堤防が崩壊するようなもので、あとは生まれるまで叫び続けることが多いように思う。当然ながら、この痛みのクライマックスが、赤ちゃんが出るときの痛みなので、それまで声が響き渡ることとなる。
で、産んだら痛みから解放されるか、ということ、必ずしもそうではない。まず胎盤が出るときの痛みがあるし、産後の縫合もある。胎盤がつるんと出ればいいけれど、なかなかでない場合や、出た後に子宮が柔らかく出血が多い場合には、子宮の収縮を促すために子宮のマッサージをおこなうことになるけれど、これが結構痛そうである。なので、時におなかを触らせてもらえない場合もある。
そして縫合である。麻酔をせずに縫うことは、無痛分娩以外不可なので、会陰部をチクチクと刺して局所麻酔薬を注入する。当然のことであるけれど、この麻酔をするから痛みが取れて縫うことができるけれど、この行為が痛いのである。
で、こうした行為が続くと、あまりの痛さに、そして縫合への不安・恐怖感から産後の女性の防御姿勢となってしまう場合がある。腰が引けて、足がとじてしまう。そうなると、縫合という作業がさらに大変になり、時間もよりいっそうかかることとなるので、結果として痛みや不安を感じる時間が長くなる、という悪循環に陥る。
その点、無痛分娩は楽である。なぜなら、分娩時に痛みが取れるあるいは軽減していたことを経験したので、痛みに他する不安もすくなく、実質痛みもないので、腰をどっしりと構えて、姿勢としても縫いやすい。
さっさとやって、さっさとかえろう、というのがモットーである私にとって、この痛み、あるいは痛みに対する不安や恐怖感をいかに克服しつつ、医療作業を速やかに適切に行う、ということは改めて大切であるな、と思うばかりである。
日曜日、結局どこにも行けず、午後から草取りをした。これは患者様から頂いたオクラ。どうも成長過ぎて、これは硬くて食べられそうにない。なので、これは来年の種用とすることにした。
と書いていたら、お産です、と呼ばれた。電話口の背景に、痛い、という声が響いていた。
ある一定のところまでは耐えられる、でもその一線を超えると痛みには耐えられない、というライン(閾値)があって、このラインは人によりさまざまである。閾値が高いということは、つまり痛みに強いということであるけれど、痛みに鈍感であるかもしれない。一方閾値が低いということは、痛みに弱いし、痛みに敏感であるということとなる。
お産の痛みが分かりやすい話で、お産の痛みは、当然痛いと思って陣痛だということで皆様お越しになる。しかしその痛みの感じ方には個人差があるわけで、診察して、分娩の進行度を見ながら、入院かどうかの判断となる。残念ながらまだこれでは、ということでお帰りをいただくこともある。
痛いと思ってきたのに、と感じられるかもしれない。しかし、お産の進行状態は千差万別であるけれど、少なくとも今すぐ生まれるような状態でなければ、もう少しお産が進行するまではどこかで待機いただけなければならない。その間、少しでもリラックスできる場所が一番であり、いったん帰宅となる。それから痛みが強くなって再度お越しになるかもしれないし、あるいは痛みがいったん遠ざかってしまう場合もあるかもしれない。
で、次にお越しになるときには、当然最初にお越しになった時とは比べ物にらないくらいの痛みとなっているわけで、その時の痛みが強ければ、やはり妊婦様から声が出ることもある。
これは私の推測であるけれど、いったん痛いと叫んでしまうと、堤防が崩壊するようなもので、あとは生まれるまで叫び続けることが多いように思う。当然ながら、この痛みのクライマックスが、赤ちゃんが出るときの痛みなので、それまで声が響き渡ることとなる。
で、産んだら痛みから解放されるか、ということ、必ずしもそうではない。まず胎盤が出るときの痛みがあるし、産後の縫合もある。胎盤がつるんと出ればいいけれど、なかなかでない場合や、出た後に子宮が柔らかく出血が多い場合には、子宮の収縮を促すために子宮のマッサージをおこなうことになるけれど、これが結構痛そうである。なので、時におなかを触らせてもらえない場合もある。
そして縫合である。麻酔をせずに縫うことは、無痛分娩以外不可なので、会陰部をチクチクと刺して局所麻酔薬を注入する。当然のことであるけれど、この麻酔をするから痛みが取れて縫うことができるけれど、この行為が痛いのである。
で、こうした行為が続くと、あまりの痛さに、そして縫合への不安・恐怖感から産後の女性の防御姿勢となってしまう場合がある。腰が引けて、足がとじてしまう。そうなると、縫合という作業がさらに大変になり、時間もよりいっそうかかることとなるので、結果として痛みや不安を感じる時間が長くなる、という悪循環に陥る。
その点、無痛分娩は楽である。なぜなら、分娩時に痛みが取れるあるいは軽減していたことを経験したので、痛みに他する不安もすくなく、実質痛みもないので、腰をどっしりと構えて、姿勢としても縫いやすい。
さっさとやって、さっさとかえろう、というのがモットーである私にとって、この痛み、あるいは痛みに対する不安や恐怖感をいかに克服しつつ、医療作業を速やかに適切に行う、ということは改めて大切であるな、と思うばかりである。
日曜日、結局どこにも行けず、午後から草取りをした。これは患者様から頂いたオクラ。どうも成長過ぎて、これは硬くて食べられそうにない。なので、これは来年の種用とすることにした。
と書いていたら、お産です、と呼ばれた。電話口の背景に、痛い、という声が響いていた。
コメント
コメント一覧 (4)
私の出産歴は自然分娩のみですが、陣痛よりも、お産の痛みよりもなによりも、会陰切開の縫合がなによりも堪え難い試練でした。
しかしその痛みは忘れてしまうものなのか、結果的に4人の子宝に恵まれました。全て痛かったはずなんですが。。
第一子を出産した他県の産婦人科では、縫合中に出産時より大きな声で叫びまくり挙げ句の果てには担当医師の顔面を蹴ってしまうという所業を結果として残してしまいました。そんな中でも穏やかに対応してくださり、今思い出すだけでも頭が上がりません。
幸いにも処置には影響しませんでしたが。。。
そちらでお世話になった時にも、叫ぶ体力が残っていたのか縫合時が1番無駄に叫んでいたと思います。
院長先生は足蹴りされるというご経験はありますか?
当時は処置される側も、処置する側も同等に痛かったと思います。
術後まだまだお大事になさってくださいね。
足蹴りをされた覚えはまだありません。しかし、縫合中に足が閉じていって頭が挟まりかけたり、患者様のお尻が上の方に逃げて行って、極めて縫いにくくなったことはあります。痛い思いを患者様に刺さるのは本意ではないのですが、局所麻酔の現行方式(つまり針を刺して薬剤を注入する)では避けて通れません。いつの日か、スプレー式、あるいは蚊の針式の注入方法が出てこない限り、不可でしょう。
それまでは、この形で、日々患者さまを励まし、激励し、そして時には叱咤しながら、麻酔と縫合に励みたいと思っています。
いつも興味深く拝見しております。
私は出産の時叫ぶなんてことないだろう、とたかをくくっておりましたが、何の問題もなく
うぉおおおおおと叫びました。笑
私の場合、痛みももちろんあったと思いますが
自然にいきんでしまうという現象に抗うため、
息を吐くために叫んでいたような感覚でした。
実際は声を出さず息を吐いた方が抵抗がないので吐きやすいというのは分かるのですが
どうにもうまく息を吐けず叫んでいたように思います。
今でもいきんでる時に赤ちゃんの心音が遠ざかっていくような気がして怖かったのを思い出します。
でも、もうあの痛みや叫ばないと息を吐けない感覚やいきんでる時の必死さは、記憶から薄れつつあり
2人目欲しいなあと呑気に思っています。
忘れる って大事な人間の機能なのかもしれないですね!
なるほど、そのような感覚で思わず叫んでしまう、とよく理解できました。ま、お産に集中した結果では、と思います。忘れられるから、次もできるし、新たな感動もある。忘れること大切なことだと思います。