赤ちゃんの泣く声は、当然ながら、千差万別である。ひときわ響き渡る声もあれば、どこか甘えたような感じの声も。人には個性があり、新生児であっても当然同じ顔ではない。顔が違えば、口や鼻の形も異なるわけであるから、当然そこから発生される音も異なる。
DSCN4980


また声を出すという行為は、空気の中で可能であって、お母さんのおなかの中で羊水に囲まれた状態で声が出せるはずもない。ということは、生まれてから、各新生児が自分の技量?で習得するものであるから、やはりそこには技量の差がでる。(これは習熟が優れているあるいは劣っている、ということではなくて、こちらはこのように習得し、そちらはこのようにと習得するという個性の問題である)

DSCN4979


種が同じで撒いた時期も同じであれば、一見すると同じようにみえても、環境によって、微妙に異なる植物のように、ということかな、と。

DSCN4977

そして新生児も、生まれて時間が経過すれば、その鳴き声のトーンも少しづつ使い分けていくのでは、とも思う。ま、私が子育てをしたのは、もう30年近く前であるし、その時期の私の子供の泣き声を覚えているはずもない。

ただ、私は毎日新生児室で赤ちゃんの泣き声を耳にするけれど、微妙に違うし、甘えたような声も時に耳する。

不思議なのは、その泣く際に、涙を流している赤ちゃんがいることである。なぜ涙をながすのであろうか、と。悲しいわけでも、うれしいわけでもなかろうに、涙を浮かべているのである。ということは、泣くという行為に自動的に付随するということであろうか、などと考えながら、後にする。

DSCN4975

月曜日、連休の好天の一日の午後に、天草の戸馳島に足を延ばした。ランの栽培で有名と聞いた。残念ながらここでランチをとるためには、前もって予約が必要ということで、ご飯は食べられなかった。パンもなかった。

DSCN4976

また天気のいいときに、行ってみよう。