時たま、患者様から尋ねられます。どうして産婦人科医になったのか、と。で、大体そういうときには、父が産婦人科であったから、と答えています。しかし、果たして本当にそうであったろうか、とおもわないでもない。

医学部は6年制度で、大体3年目の頃から様々進路を考える。4年目5年目は、あれこれ考え、麻酔科、外科、精神科、産婦人科、基礎の教室、などで悩んで、少しづつ絞って、最後は麻酔科・外科・産婦人科で検討して、結果として産婦人科となった。

私の父は口下手で、私にどちらに進めとは言わなかった。しかし、私が産婦人科にすすむというと、父も母も喜んでくれたような気がする。当時、私の父は熊本市内での産婦人科開業医であった(昭和42年開業の西村産婦人科医院)。産婦人科にすすむといっても、かならすしも父の後を継ぐことを意味しないが、同じ分野にすすむことで、父なりに喜んでいたような気がする。

私なりにあれこれ考えて、結果として産婦人科を選んだのであるが、私自身が取り立てて産婦人科をやりたいという気持ちはそのころにはまだあまりなかったような気がする。父と母の喜ぶかを見たいから選んだのか、あるいは産婦人科医のなり手が少ないから選んだのか、今となっては正直言ってよくわからない。

でもそれを言うなら、大学受験も微妙であることに気が付いた。最初は、関西の大学に行きたかったけれど、いつのまにやら地元の大学に。その動機はと思えば、地元だから、ということかもしれないが・・・。そう考えると、あまり私はどこそこに飛び込んで冒険をするというより、手堅く進むということかもしれないし、自分で選ぶというより周りの意向を気にして、というめんもあるかもしれないな、と今更のように感じるのである。

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あの時、別の選択をしていれば、別の道があった。これは何でも当たり前のことであり、仕事でもプライベートでも。そこには様々な選択肢があった。でも結果として今の状況に至る道を選んだのは、私自身であり、自分自身なりに当時一生懸命考えたうえでの選択である。今更その選択をどうこう言っても、現況が変わるわけではないし、今の現況に自分なりに満足しているので、それをどうこう言うつもりもない。時たま、酒でも飲んで、友人と語り合うときに、あの時こうしていれば、という話になることもあるが、それはあくまでも仮定の話である。

きっと生まれ変わったとしても、今と同じような道を進むような気がする。私はきっとそんな人間である。なので、なんで産婦人科を選んだのか、なぜ開業医を選んだのか、と問われれば、いまなら、私はそれが私の運命であり、天職であったから、と答えるような気がする。

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私自身、植物に興味を持つなんて、と思わないでもない。でも、まこれも天命でしょう。開業して、ここから動けないので、この院内のさまざまな植物を見て、好奇心を満たしている。掘り上げたバラ(ブルームーン)もようやく芽が出てきた。今年の初夏は、ここで青い花が開き、芳香がただようといいな(ブルー系統のバラは強香なので)。