やはり安くてうまい、が一番であると思っている。その時の懐具合と腹具合とそして一緒に囲む仲間によっても状況は異なるが、やはり気の合う友人と、ゆっくり語り合える環境がベストであろう。ただ、コロナ過の昨今、友人との会合も人数が多ければむつかしい。もう少し落ち着けば、と思っている。

当然ながら、腹が減っていれば、何を食べてもおいしいのではあるが、やはりそこには好き嫌いの問題もある。またせっかくおいしいものを食べていても、その環境が悪ければおいしいとは感じないかもしれない。なので、立食は嫌いだし、あまりうるさくて声が通らないも嫌だし、時間制限で食べるのもいやである。

我儘かもしれない。しかし、これからいつかはなくなる日まであと何千回の食事の機会があるかわからないが、すくなくともこれまでの回数より長くなることはないであろう(つまり120歳までは生きるはずもないと思っている)。となれば、その限定された期間をどうやって過ごすか、と。

時にはお試しもするけれど、お試しは1回で十分。それで気に入らなければ、やはりいつもの定番の方がいい。そして定番であるならば、お気楽なお値段がいい。1万円の高級なお酒や料理よりも、2000円で5回安心して味わえる方がいい、と考える次第である。

まだ時には見栄を張らないといけないこともあるかもしれない。でもそうした年齢は過ぎつつあるし、あとはスタッフや家族の結婚式くらいであろうか。幸いにもコロナ過で学会関係の行事が少ないのはありがたい。どうもスーツ姿では落ち着かない。

普段の姿で、いつものように、というのがいい。つまり父のなくなる前の姿でもある。ようやくそうした心境に達した。


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さて、そうなると、次の段階は?と。

多分シンプルライフということになるであろう。そろそろいろいろなものを整理して、必要最小限での生活を目指したいな、と。

と思いながら、丸尾焼と十郎窯で器を求めてしまった。でもたぶんこれは私の中での一つの区切りかもしれない。丸尾焼は少しスタイルが変わった。十郎窯は、窯の場所が変わり、灰の種類が変わり、焼き方も変わったし、奥様の絵付けも増えてきた。こちらもやはり変わった。

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人は変わるし、時代も変わる、と。その中で、私の好みのものがあればいい。

写真は十郎窯のボタン柄の絵付け皿と小鉢、そして茶碗と湯呑。(湯呑はサービスでいただいた)