3月28日 日曜日 雨天。父の49日であり、法要後に納骨となる。時期的に彼岸の季節であったけれど、ついに父は川を渡りあちら側の存在となった。終了後に実家によって、お仏壇の整理をして、初盆が迎えられるように配置をする。

この49日の期間は、気持ちの整理の期間でもあると聞く。個人への思いを、各人の立場から語って、心の中を少しづつ整理して。残念ながらコロナ過であり、多数の人が集まってというわけにはいかないので、親族間での話にとどまる。そうやって、いくつかの話をまとめて、少しづつ父の知らなかった一面もわかってくることがある。


2021-03-26 12.06.43


父の幼少時のこと、母との接点、父と兄弟との話など、知らなかったことも多い。私が生まれる前の話であるから、知らないのは当然であるけれど、そこには様々な時代の流れがあって、だからこそ今があるのである、とわかることもある。

小さいころ連れていかれた場所に、このような意味があるとわかるのは、いまになってと改めて思うばかりである。ま、小さい私に説明しても仕方がないし、まして中学高校と熊本を離れていたし、とは思うけれど・・・。

ルーツ探しにこだわるつもりもないけれど、父の話からそうした西村の家の流れがわかることもある。

そういえば、納骨堂には、新たに加わった父の分も含めて7つの骨壺があり、父の分、祖父母、そしてその父母の分と幼くして亡くなった子供の分と聞いた。ここにも歴史があり、その歴史は私には記憶がないことでもある。今度母に尋ねてみよう、と思う。いつか私が自分の息子に語れるように。


2021-03-26 12.06.48

時が過ぎ、いろいろな人といろいろな思いを語り、心の整理がつく頃が49日である、というもうなずける話でもある。さて、49日が明ければ、残された家族の生活をという面もある。少しづつ気持ちを切り替えて、と。

といっても、この49日の間、私は葬儀でお休みをいただいた以外は、家族に甘えて診療を続けていた。ある意味診療が続けられることは、他の家族の存在があったからでもある。


2021-03-26 12.06.33

中庭の紫蘭が、少し花開いてきた。今日からの好天で、気温も上がればさらに開花も進むかな、と。

ちなみに、この紫蘭咲き始めはいいのであるが、咲き終わると独特のにおいが残る。なので咲き終わり、葉っぱが色づいてきたら、さっさと撤退がのぞましいと個人的には思っている。