痛みの自覚は、人間のある領域に分布している神経が痛みを自覚して、それを頭に伝えて痛いと認識することで発生する。そしてその痛みを自覚することで体に危険が迫っていることを教えて、その痛み刺激から逃避するという行動をとるように仕向けるのであろう、と思う。

この痛みを痛みとして感じるには、ある一定以上の痛み刺激が必要で、それを閾値という。閾値を超えた痛みであれば、痛いと感じるけれど、それ以下の刺激であれば、かゆいあるいはくすぐったいと感じると聞いたような気がする。

そして人間は同時に強い痛みを2か所から感じることはできない、とも聞いた。二つの痛みがあれば痛い方が優先される、と。なので、陣痛が来ている時に、会陰切開を無麻酔で行っても痛くない、と。しかしタイミングが遅れると当然痛い。

というのが、私が学生時代に生理学で学んだことであり、そしてそれを今の診療でも体感している。


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しかし、現実の痛みは、必ずしもこの学んだことの様にいかないことも多い。効いているはずなのに、聞いていない。あるいは効いていないはずなのに、効いている、ということが起こりうる。

つまり、痛みを自覚するシステムに、影響を与える因子がほかにもあるということである。

興奮しまくった状態では、横から何を言っても聞こえないことがある。この状態では何をしても無駄で、落ち着くまで待つしかない。一方、無痛分娩で痛みが抑えられた状態でで、痛みをいったん自覚すると、それまでの頑張りあるいはこらえていたものが堰をきったよにあふれ出し、痛い、痛いと叫ぶこともある。

そうした状態を冷静に見つめるのは難しいし、実際その痛みを取ってあげたいけれど、本人が落ち着くことがまず一番であるように思うし、そうなるとやはり時間が経過して自然に落ち着くのを待つ方がいいような気もする。

私個人のことであれば、どれくらい痛みが続くかとか、あるいどの程度かということがおおよそ予想できる範囲であれば、我慢する。声を上げてもどうなるものでもないし・・・。しかし、それは私が陣痛にさらされたことがないからかもしれない。私が男性であるある限り、そうした痛みに遭遇する機会はない。あるとすれば、何らかの癌にかかって、がん性の疼痛に出合った場合かもしれない。そうした場合には、痛みにひれ伏して、あるいは逃げ回って、あるいは・・・と考えないでもないが、現況そうした状態にないので、想像がつかない、というのが正直なところである。

写真は、2年前のピンクのカスミソウからこぼれた種で咲いた今年のカスミソウ。大きくなるといいけれど・・・・。