2015年02月

次回に書くとしてしまったので、そのままにするのも宿題が残ったようで嫌なので、さっさと書くことにした。

DSC_4050 (640x427)

さて無料クーポン券の本来の狙いは、基本的には低迷している子宮がん検診の受診率の向上である、と思っている。この場合の子宮がん検診とは、子宮頸がんであり、このがんに対する対策は早期発見、早期治療であり、そのために他の先進国並みの子宮がん検診の受診率が望ましいが、日本はそうした国に対して圧倒的に受診率が低い。その結果、子宮頸がんでの死亡率や有病率が、そうした国々の約2倍である、と先日聞いたような気がする。

その受診率向上のために、妊婦健診の補助券の1回目に含まれるようになったり、子宮がん検診の無料クーポン券が配布されるようになった、と聞き及んでいる。無料クーポン券により受診率は以前に比べれば上がったけれども、予想ほどには上昇しなかった、とも。つまり、配るだけではだめであり、配った後はちゃんと受診するように働きかける。結局受診していない人には、今回のように二回目のクーポン券が発行される、と。

子宮がん検診の受診率向上のために、子宮がん検診の際に合わせて産婦人科を受診し、何かを相談するいい機会ですよ、と広報することは理解できる。いろいろな受診の動機があり、その結果として子宮がん検診の受診率を上げるという目的である、と。

しかし、そうした他の目的に合わせて産婦人科を受診して、子宮がん検診を受ける場合、に話がややこしくなる(前回の話である、混合診療の問題である)。また、各種の相談であれば、病気ではないかもしれない。となるともともと保険診療とは異なる話であり、各種相談ということであれば、その相談費用はどなたの負担となるのであろうか。無料クーポン券だから、相談も無料なのであろうか?

また最近聞いた話では、子宮がん検診の精度に関していえば(つまり正確な子宮がん検診のためには)、必ずしも内診は必要ではないと、聞いたような気がする。検体の正確な採取、保存、判断が、正確な検診業務には必要であり、内診や超音波検査は、その他の病気や子宮頸がんの正確な最終診断のためには必要かもしれないが、子宮頸がん自体の発見につながる検診業務に関してては必ずしも必要ではない。

つまり受診率向上のために、何でもできますよとしてしまうと、いろいろなものが混在して話がややこしくなるし、業務は複雑となるのであるし、結果としてその負担を誰かがこうむることとなる。

無料クーポン自体を否定するわけではないが、無料クーポンはあくまでも子宮がん検診の一環であり、細胞診検査だけであると広報しながら続けるほうが、いいような気はするのであるが・・・(あくまでも私個人の見解である)。

DSC_4052 (640x427)

さて、今日は2月28日。今日がクーポン券の最終有効日である。今日何名お越しになるかな、と。個人的には、クーポン券を利用して当院で子宮がん検診という機会を得て、後日何らかの疾患がある、あるい妊娠した、というときにお越しいただけることを切に願って、検診業務に精を出す。

とはいえ、あまりこの検診が多いと、本来の診療に差しさわりが出ることも事実であるが、差しさわりが出るほど来院いただくことは、この2月に数日しかなかったので、何とか大丈夫であろう。

写真は、昨日の冷え込んだ朝の隣の畑の霜柱である。まだ霜柱ができるんだ、と改めて思った。

DSC_4048 (640x427)

その霜柱に囲まれた、野菜である。確かこれはサニーレタスのはずであったが、このような形になってしまった。








世の中、無料クーポン券流行であり、巷にはそうしたクーポン券を手に入れる機会も多いと思う。新聞広告、メール、各種の無料誌、・・・と。

産婦人科においても、お役所の発行する無料クーポン券が発行された時には、びっくりした。子宮頸がんを対象とした子宮がん検診に対して数年前から発行された。理論上は、一通りの年代(対象となる年代は、若年者の世代に限られていたが)に発行が済んだので、受け取っていない人はいないはずであるが、受け取るということと、実際にその券を使うということは別問題である。ということで、その券が使われたことが確認されていない人に対して、再度発行された、と聞いたような気がする。

その子宮頸がんのクーポン券の有効期限は、2月28日までである。ということで、ここ数日そうしたクーポン券を持参して産婦人科を受診される方も多い。昨日は10名以上はお越しになったようで・・・・・。

DSC_4024 (640x427)

さて、ここで子宮がん検診ということに関して一つ。健診にしても、検診にしても、これらは基本的には自由診療の一環である。つまり、病気ではなくて、子宮がん(厳密にいえば頸癌)があるかどうかを目的として調べる検査である、ということである。

平成19年5月に当院は開院し、保険診療を6月から開始した。保険診療に関する元締めは厚生局であり、開業後に数回にわたり、九州厚生局から温かいご指導をいただいた。なかでも、自由診療と保険診療の区別、診療録の記載、適正な保険請求については再三のご注意をいただいた。

私としては不正請求をしたつもりは一切ないが、指導する側からすれば当然指摘すべき事項であり、かつ不適切な診療と認められる、ということで結果として返金せざるを得ないと判断される。こうしたせめぎあいは、月々の保険請求でも生じていることであり、その結果として当院が適正な保険診療として請求した事項に対して、全額の支払いは認めない、ということになるのである。

というような戦いを述べることは、ここでの主旨ではないが、ま、こうしたことが背景にあるというにご理解いただきたい。そのような暖かい指導もあり、当院としては指導に従い、適切な医療を順守するのであるが、そうするとそこに患者様との間に軋轢が生じることとなる。

まず、当院にお越しいただいて、無料クーポン券を使うということは、実は子宮頸がんの検査を行うということである。リスクが高ければ、子宮体がんの検査も併せて行うことができる。しかし、それ以上ではない。かつこれは自由診療であるというところがポイントである。

産婦人科に来たのだから、ついでにという心情も十分に理解できる。ついでにという項目が自由診療であれば何も問題はない。ピルの処方とか、避妊に関する相談とか、妊婦健診とか、緊急避妊であれば、そうした項目に関しての費用を自由診療で負担いただくという原則を守っていただければ、何も問題はない。

しかし、そこでついでに卵巣腫瘍や子宮筋腫の検査をということになると、まずここで問題一つ。本来のクーポン券には、そうした検査は含まれていないのであるから、これは別問題である。しかしそこで目くじらを立てても仕方ないし、あくまでも患者サービスの一環として超音波の検査を当院では行っている。その結果として、何かが見つかってほしくないのであるが、見つかる場合もある。見つかったとすると、話がややこしくなる。

なぜなら、超音波検査は本来の検査に含まれていないので、当院からのサービス(無料奉仕)であるが、見つかって、紹介状を書くとなるとそうはいかない。適切な施設に、適切な紹介状を書く、ということは保険診療という医療行為である。本来自由診療に、保険診療を同時行ってはならない、という厚生局からの通達があるので、厳密にいえば、その紹介状は自費で負担いただくか、病気が見つかった時点で保険診療に切り替えるか、ということになる。

保険診療に同意いただければ、保険診療を行うこととなり、保険診療分の医療費の負担が発生する。そこで、お越しになった方は”あれ?、無料のはず”と思っているので、ささやかなトラブルが生じることとなる。こうしたシステムをもともとご理解いただいている方であれば、何も問題はないが、大方の人はそうは思っていないので、その説明(混合診療、自由診療云々)の話を、診療の片手間に披露するということになる。

そうなると、結果として予想以上に時間がかかり、外来の診療時間が割を食うこととなる。私としては好意でしたことであるが、その好意が結果としてあだとなる。そしてその説明を十分にしてご理解いただかないと、不適切な行為と誤解される。

では、そうした行為をしなければいいのであるが、他所では超音波検査をしてもらった、とか、最初からそうしたことをあてにしてお越しいただいた方々に、一から説明していては、時間ばかりかかって仕方がない。ということで、結局あくまでもサービスの一環として超音波検査をして、異常がないことを願うばかりである。

こうした自由診療に関してはほかにもいくつかの陥りやすいトラブルがある。しかし、ここまで十分長くなったので、次回に。今日は無料クーポン券に伴う、超音波検査に対する私の見解ということで。

DSC_4021 (640x427)

写真は、梅一輪。梅はやはり一輪、ひっそり咲いているほうが風情があっていいよな、と。前川珈琲店、改装が進んでいます。昨日は夜灯がついて、内部もすこしうかがえました。いつオープンかな、と。

まだ寒いけれども、この季節は、梅、桃、桜と続く楽しい季節でもある。年が明け、蝋梅がかおり、水仙が開いた。新しい花芽が観察される。クリニックでも梅が咲いていた。

DSC_4022 (640x427)

花は均等に咲いているというわけではなくて、どうも偏りがある。でも匂いはきちんとします。この梅は、たぶん3年くらい前に植えたような気がする。しかし、植えた年の夏の芝刈りの際に間違えて切り取られた。あ~あ~と思ったら、その翌年にそこから細い枝が伸びて、そして3年目の今季に花が咲いた。

空気の澄んだ朝にどこからか心地よい香りが響く、そうした情景が好きである。だからクリニックの中庭にも、蝋梅があるのであるが、残念ながら待合室の方々が匂いを感じることは不可能である。でも可憐な黄色の花を目にすることは可能である。

一方この白梅は、国体通りに面した芝生の中に存在する。まだ地べたを這うような場所にようやく咲いた、という感じで、まだ匂いを遠く運ぶことは不可能である。芝生の中に入って、顔を近づけると、ようやく感じることができるという代物である。今年の夏こそ、芝刈りに気を付けて、そして来年にはもっと花をつけてほしいな、と。

桜は匂いという点ではさみしいが、やはり春を彩る主役の一人である。今季植えた桜が、来年には花を咲かせることを願っている。しかし、どうも日当たりが悪いかも、と心配しているのも事実である。

DSC_4023 (640x427)

去年の末にシクラメンをもらったような気がする。二鉢もらった。一鉢は途中で花が咲かなくなったので、今退避中である。もう一鉢は、まだ元気に咲いているので、玄関脇においてある。

DSC_3990 (640x427)

どうしてもう一鉢は咲き終わりで、こちらは咲き続けているのであろうか。

たぶん環境の差と、もともとの容量の差かな、と。花が咲かなった鉢は、これより二回りほど小さくて、それを待合室の日の当たる場所に置いておいた。十分に水をやったが、突然花芽が出なくなった。

一方この玄関わきの鉢は、場所は半日蔭、温度も0度にはならないが、基本的に寒い。鉢はやや大きい。

つまり、余力のあるものは、そこそこ厳しい環境でも生き続ける、と。一方余力の少ない方は、恵まれた環境であれば、一挙に開花させてしまう、と。人の世界にも通じそうな話である。

しかし、さらにもう一歩考えれば、どちらが幸福であろうか、と。つまり、さっさと咲いて、次節に備えて眠りにつくことは、当たり前といえば当たり前。一方、長く咲くということは、耐えながら長くのばされているようなもので、さっさとお休みになりたいであろうにも、と人様の同情を誘うかもしれない。

これが人間であれば、またそこにあれこれ絡む話かもしれないが、今回はあくまでもシクラメンの話である。

私個人の気持ちとしては、きれいに咲いているのであれば、咲いている間は咲かせてあげたいな、と思っている。花芽がお休みなったら、できれば非難、そして来期も咲いていただければ、と。

赤壁の戦いであったろうか。川を渡った軍が、渡った時に使った船を焼いて、退路を断って戦うという故事であったような・・・。腹をくくるという言い方もある。

また、かごの鳥の生活ということも、かごの鳥の生活状態であることを認めれば、その次の段階として、その中での生活を考えることになる。住めば都というのは、かごの鳥の生活になれれば、その次の段階としてとる行動の際の心境のような気もする。

こうした言葉は、一連の流れで考えられるような気もする。つまりその状況をきちんと認識しないと、次の段階にすすめない。中途半端な妊娠期では進めない、と。きちんと現況を認識することが、先に進める、ということなのか、と最近思う。

さて、そこまで考えると、私の現況は・・・・・。まいろいろと考えることはあるので、その中で優先度の高いものから片付けつつ、懸案にもそろそろ取り掛からなくては、ということろかもしれない。これは私の状況と、私を取り囲む状況が絡んでいるのは、一概に言えないのであるが、私自身に問題意識があれば、少しづついい方向に向かうであろう、と信じたい。

DSC_3979 (640x427)


そうした中で、やはり自分なりの楽しみも必要なわけで、やはり楽しみがないと続けられません。特にかごの鳥の生活と割り切っていても、そう感じます。本当は週末に天気が良ければ、自転車に乗ってみようと思っていたのであるが、天気が悪く、断念した。

夕方久しぶりに走ったら、以外と暖かった。このまま春になるとはおもえないが、行きつ戻りつ、春は来る。桃の花、梅の花も目につくようなった。そして家庭菜園でも芽が出てきた。この芽からどのような結末になるか、楽しみである。

種から植える、というのはなかなか楽しみがあっていいな、と。眠っている種をそろそろほかにも撒いてみようかな、と。

DSC_3978 (640x427)

上段と下段、ことなる草花です。成長を見守ります。

↑このページのトップヘ