2015年04月


 最近どうも私の体内リズムが変調をきたしている。基本的に、目覚ましを使わないので、朝目が覚めたときが、起きるときとしている。朝と思って目を開けると周囲もまだ暗い。時計を見ると3時過ぎ。まだ早いよな、と思って眠ろうとするのであるが、眠れない。で、仕方なく、起きる。そうなると早くから起きているので、夜がまた早くから眠くなる。そしてまた3時に、というパターンである。

 調整しようとして、何とか11時まで起きて眠ってみても、同じである。困った。思い当たる原因がないでもない。私は現在クリニックの4階に居住している。私の睡眠パターンは、最初からいきなりどーんと眠るというパターンなので、寝いりっぱなに起こされるので一番つらい。であとは、浅い睡眠状態で、何かの刺激があるの目が覚める。

 4階にいると、朝方に人の出入りの音が結構響くのである。ごみの収集車であったり、当院に宿泊した家族が早朝に離れたり、あるいは早朝に陣発で入院するために来院されたり、そうした際の出入りの音で目が覚めているような気もする。でもこれは仕方のない音でもあり、どうしようもない。部屋の防音をといっても、大体朝方は、人気も少なく、音も響く時間帯なので、仕方がないと思う。時に一緒に寝ている息子は、こうした音に目を覚ますことなく、しっかり寝ているから、私の問題であろう。

 もう一つ困ったこともある。最近運動公園までのジョギングのあとの筋肉の疲れ・張りが結構残るのである。2年くらい前から1-2日おきくらいに片道3.5kmを往復でちんたら走っているのであるが、どうもここ数日太ももの裏が張っているな、と感じる。走り方を変えたわけではないのであるが・・・。

 こちらで思い当たるのは、最近その走る靴の調子が悪いのでその性かな、と。ということで靴を新しい靴に変えてみることとにした。

 睡眠にしても、筋肉にしても、私の体調管理の問題であるの。そういえば虫歯の問題もあった。日曜日何もなければ歯医者さんにいこう、と、。

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珍しい来訪者である。クリニックの周りや、夕方運動公園まで走っていると、よく見かけるものでもある。朝起きて、屋上の扉を開けたら、うずくまっていた。きっと昨日夕方に帰り損ねたのであろう。夜間は温度が下がるので、お休み状態。気温が上がった、昼間にはいなくなっていた。


 当院での外来は大体平均1日60名くらいである。その大半は妊婦健診である。残りの半分がそれ以外ということになるわけである。不妊症や検査結果確認のための通院、妊娠初期の通院などがのその半分を占め、新患は大体10名前後である。新患といっても、全くの新患(診察券を始めて作る)という場合もあれば、以前何らかの理由で当院を受診され、そのお久しぶりに外来を受診される場合ということもある。

 クリニックの盛衰にかかわる大切なことであるから、新患がお越しになることは極めて大切なことである。私個人としては以前何らかの理由で当院を利用され、その後再度当院を受診いただく、ということは特にありがたいことであると思っている。

 以前の理由が子宮がん検診や、前回の妊娠であった。今回新た妊娠したので受診した。というようなケースはやはりありがたいな、と思う。また友人や家族が当院を何らかの形で利用したので、その本人も当院を受診したというような新患のケースもありがたいなと思う。

 こうした受診は、以前の受診や家族の対応がそれなりの心に残るものであったので、受診いただいたわけであろうから、以前の対応が大きくは間違っていなかった、と。これは私も含めてクリニック方向として間違っていなかったということであろうと改めて感じる。

 そういえば最近当院で純粋に4回出産された方もいらっしゃった。4回も当院で出産するということは、その通院期間も含めれば相応の期間を当院を受診いただいたことなる。ありがたいことである。

 とはいえ、当院で苦い思いをした人は、きっと当院にはお越しにならないわけであるから、そうした苦い思いには気づかないだけのことかもしれないが・・・。

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駐車場で2か所バラが咲いている。駐車場は風が強く、バラも時に折れてしまう。ということでこの週末にはちょっと工夫をしようと思っているが、しかし何分素人なので、下手にやると不評を買うしな・・・・。

赤ちゃん(新生児)は泣くのである。ちょっと触っただけでも、音がしても、すぐ泣くのである。泣く、鳴く、啼くといろいろあるが、通常であればヒトの新生児は泣くのであろう。

それまで刺激の少なかった母体の中で、羊水にくるまれ、刺激としては母体の心音を聞きながら暗闇で育っているのであろう。しかし生まれてくると、羊水はなく、光と音と匂いにつつまれ、自分に触れる何かもある。息を吸って、ものをごくごくすることもちょっとだけできる、五感の存在となる。今までにない何かにびっくりするとき、その結果として新生児にできることは泣くことしかない。しゃべることも、体を動かしてその刺激から遠ざかることもできない。結果としてできることはそれしかないのである。

そのうちに様々なことを学習し、五感も働くようになってくる。けれども、やはり何かあれば、すぐ泣くのである。

泣けばいい、泣けば済むと思っている、というような言い方がある。また子供が自分の思い通りにならないときに、泣き叫ぶ場合もある。こうした行為も、基本的には原始的というか、生まれたときから身についている反応なのであろう、と思う。大人になった時に、それをどこまでコントロールできるか、ということでもあるが、しかしやはり大人でも、感情が高ぶったり、あるいはコントロールできない状況となれば、きっとなく。ということは、泣くという行為は、ある意味新生児に戻るということかもしれないな、とも。

でもそうやって泣くことで、新生児なりに何らかの主張をしているということもできるかもしれない。泣けばうるさいのでやはり誰かがお世話をすることになる。おむつを替え、だっこして、おっぱいをあげて、それで泣き止まなければどうするか、と。で根気よくだっこすることとなる。

逆にいえば、泣かない赤ちゃんのほうが心配かもしれない。なぜなら赤ちゃんにとって泣くことは、胸郭を震わせる一大運動である。赤ちゃんにとってカロリーを消費する最大の運動は、泣くこととおっぱいを飲むことであるといわれている。つまり余力なければ、そうした運動はできない。泣かない、飲めない、そして寝ないとなるとと病気を心配してしまうのである。

こう考えてくると、赤ちゃんが泣くことは、元気であり、何らかの主張をしている、と理解できる。でもこれはあくまでも第三者的な話であって、当事者である新米パパママにとっては新生児泣く状況は、それころ親にとっても泣きたい状況であるかもしれない。そうやって新米パパママも成熟パパママとなるのではあるが・・・

今日も元気に新生児室では赤ちゃんが泣いていることであろう。大きな声で泣いて、あるいは寝て、あるいはウンチをして、体外生活に慣れてほしいものである。

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バラも咲きだした。ピンクと黄色のバラが咲いています。

ヤマボウシの新緑が心地よい季節となった。ハナミズキの白やピンク色の花(たぶん花弁であったか)を目にすることが多くなったが、同じハナミズキ科のヤマボウシの花は、ハナミズキのシーズン後に送れて花開く。今は、新緑が開き始め、みずみずしい色であり、雨上がりは特にいい色合いである。

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で、さらにちかくによってみると、音がする。そうか、また鳩の巣作りである。例年この数本のヤマボウシで鳩ノ巣づくりが行われている。しかし、残念ながら、これらのヤマボウシは木が小さく、梅雨時の大雨に耐えられないので、大雨の翌日にヒナが下に落ちているということがここ数年続いている。今年はどうであろうか。

またヤマボウシの花が咲いた後になる実が食べられると、聞いたような気もする。今年はその実に挑戦してみようかなと、思っている。

さて、4月末から梅雨前の季節、これがやはりベストシーズンである。戸外も気持ちがいい。ドライブしても、走っても、自転車でもなんでも気持ちがいい。欲を言えば、南の島でダイビングが望ましいが、これはかなわない夢。まずはこの時期の戸外の生活を楽しむこととしたい。

そうしたいい時期であるが、工事が続いていることが憂鬱である。音や匂い、そして床がざらざらする。工事終了までは仕方のないことであるが、早く無事に終了することを願おう。そして患者様にかかる負担が少しでも少なくて済むことも願おう。(しかし、どうも工事はGW明けにも続きそうである)

人工妊娠中絶術において、よく言われる問題は、三つである。①麻酔のトラブル②子宮穿孔③不全除去となる。

麻酔の問題は、手術の時間は眠って、終わったらさっさと覚めて、というものが望ましいのであるが、なかなかそう万能のものはない。また、対象が人であり、いつも同じパターンでいいという代物でもない。でも、そうした麻酔のトラブルを避けるために、様々な補助機械が導入された。

そういえば、昔私のいた大きなな病院の部長先生は、患者さんの鼻の上に綿花を乗せていた。これは何のためか、といわれれば、鼻から吐き出される呼気で綿花がひらひら動くのを確認する、という基本的な方法であり、きっと部長が工夫されたのであろう。ということは、麻酔に伴って呼吸停止という苦い経験があるのかもしれない。

部長のころから約20年が過ぎ、血中酸素飽和度モニターが広く普及するようになり、そうした工夫をしなくてもよくなった。こうした機械と万一の時のアンビューバッグを備えておけば、安心である。逆いえば、こうした用意がないままで手術をすることはない。(これも私の経験である)。そうした経緯からイソゾール系ではなくて、ケタミン系を使うようになった。夢だけが、残された課題である。

次に子宮穿孔と遺残であるが、これはある意味表裏一体である。一生懸命取ろうとしてやればやるほど穿孔のリスクも増す。ちなみに、子宮穿孔とは、手術に用いた器具が、子宮壁を越えて腹腔内に到達することである。子宮穿孔の時点で気づけばいいが、気づかず続行するととんでもないことになる、といわれているが、その経験は私にはまだない。

子宮穿孔は技術が未熟だからということではなくて、いくつかの要因が重なると思う。操作しにくい状況で、子宮がどちらかに偏っていたり、子宮頸管が難かったり、既往の手術があったりと、そしてそこに取り残しを恐れてゴシゴシすればアッと思う間もなく、と聞いている。

超音波で観察しながらすれば大丈夫という人もいるかもしれない。しかし、超音波で観察できる器具の先端と、実際の器具の位置には微妙にずれがあるので、そればかりを信じるわけにはいかない。また、観察しながらやると、手元がおろそかになることもある。とはいえ、私も時に超音波を併用しながらやるわけで、あくまで参考所見と思うにとどめている。

人工妊娠中絶術にしても、流産手術にしても、確か昨年か1昨年に、どこかの公的組織(WHO?)からこの手術の手技は吸引法が望ましい、という勧告が出ていたと思う。当院は平成19年開業であるが、開業以来基本は吸引法である。そして臆病者の私は、子宮穿孔が怖いので、やりすぎない様に心がけている。

その結果として、取り残しが生じる場合もある。しかしこれにもまた一理あり、簡単に吸引除去てできない組織であれば、それは手技的な原因(下手)もあるかもしれないが、基本的にはその組織が子宮内に強く引っ付いている(つまり子宮の組織と強固に結びついている何らかの理由)のかもしれない、と思う。そうした組織を一度に取るより、二回に分けて取るほうが結果としてはいいのでは、と思っているので、取り残しが生じた場合には経過観察し、場合によっては再度手術と。

これらの話は、過去の私の経験と考えからこのような流れになったわけで、今後の世の中の流れでまた変わるかもしれない。願わくば日本でもRU486が使用できるよういなるといいな、と思っているが・・。

最後にこの人工妊娠忠節術の話は初期の妊娠(11週くらいまで)の話である。12週以降となると別物である。それはまた別の機会に。なお、個人的には、妊娠11週くらいでの手術は引き受けたくないので、妊娠10週までが当院の対象範囲である。

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芍薬のつぼみが目立ってきた。ただこの場所は、風が強いので、頭の重い芍薬の花では風に耐えられない。対策が必要だよな、と。

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