2016年04月

当院では大体40名から50名前後の新生児が誕生する。ということは1日1名から2名生まれる勘定となる。しかし不思議なもので、生まれる日もあれば生まれない日もある。熊本地震は、1回目が4月14日の夜、2回目(此方がさらに大物)が16日未明である。

当院では、4月13日に帝王切開と自然分娩で2名生まれ、14日に3名生まれた。で、地震が来て、15日は何とか外来をして、つかれて夜が来て、その夜に2回目の大物に見舞われ、停電した。16日の外来は休んだ。で、17日はさしあたりやれやれと思っていたら、陣発で1名入院し、出産となる。

それからしばらくお産はなくて、19日に2名、20日に3名、21日に1名、22日に2名、23日に4名、24日に2名、25日早朝に1名、ということで、17日以降に16名の新生児が誕生したこととなる。

地震の時に出産という事態にならなくて、本当に良かった。2回目の地震後は、停電となり、水も使えず、入院された方々には様々な制限を強いることとなった。それでも母児ともに元気に退院できて何よりであった。

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実はこの震災後の期間に帝王切開を予定していた方々がいた。16日、20日、23日と。これらの方々は、当院での対応は不可能と判断し、高次医療施設を紹介した。急遽な転院で患者様にはご迷惑をおかけした。申し訳ございません。

さて、震災後1週間が過ぎた。まだ余震は続くけれども、ま何とか診療はできる。部屋の掃除も昨日少しできた。ようやく、一息つけた。お産のある施設では、日曜祭日であろうと、夜間であろうと何かある。そこに震災後の対応も加わり、本当に多忙な1週間であった。

震災直後から各方面から支援をいただいた。皆様の熱い気持ちに深く感謝申し上げます。そしてそうした皆様の支援の気持ちが、私自身を前を向いて歩く勇気をいただくと、改めて感じるはかりである。

今の私にできることは、普段通りの診療を普段通りに続けることである。


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写真は、玄関わきのヤマボウシ。帽子の花が開き始めた。

 熊本地震前後でも、当院では出産はあった。帝王切開はちょっと難しいかも、ということで帝王切開と帝王切開予備群の方を高次医療施設にお願いした。外来診療は通常通り4月18日から行った。4月21日から給水も水道管で開始され、各種食材や備品も手に入るようになってきた。そうなると・・・・

 外来に今お越しになる方々は、通常の診察に加えて、不安と恐怖感から様々な症状となりお越しになる方々も少なくない。中には救急車でお越しになる方もいらっしゃる。根底にあるのは、衣食住の環境の不備と地震自体のへの恐怖であろうと思う。残念ながら、余震の続く今、地震自体への直接の恐怖を和らげる方法は思い浮かばない。また、皆様の衣食住を最低限確保することは、私個人の力ではままならない。

 それでも、やはり妊婦様の体調を考えてクリニックにできることは、とここ数日考えていた。救急車でお越しになった方は、当院で一時的に1泊あるいは2泊されて、少し元気になって帰宅される。クリニックで提供したのは、家族で過ごすささやかなスペースを提供した程度である。

 ということは、と考え、クリニック内で妊娠36週以降の妊婦様とその家族向けの避難所を設けることとした。クリニック1階のマザーホールを提供する。広さは20㎡くらいしかない。でも空調と電気はある。水道とトイレも使用可能である。残念ながら、食事を提供することは、今のクリニックの能力では不可能なので、食事は自力で探していただくしかないが、冷蔵庫と電気ポットと電子レンジくらいは使用可能である。またクリニックのシャワーも使用可能とする。困った時はお互い様である、と思っている。

 ただし、当院クリニックの併設なので、いくつかのルールを守っていただくこととなる。外来や病棟の診療の妨げとなったり、また入院されている方々にご迷惑をかけるわけにはいかない。県と市にも電話で相談し、許可をもらった。後は支援物資を手に入れなくてはならないが、今しばらくというかここ数日本業のお産が忙しく私とスタッフは動けないので、入所される方々の中からボランティアを募らざるを得ない。

 当然社会基盤が整えば、当院の施設は不要となるわけで、そうした日が早く来ることを願っている。

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中庭のバラはここ数日の好天で、一気に花開きだした。

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時には花を眺めて、現世を忘れられればいいが、余震が来るとすぐ現実に引き戻される。特に夜中の大きめ余震はいけない。今朝も3時に余震で起こされ、そのあとにお産もあった。今しばらく、今しばらく、と呪文を唱え続ける。

熊本市水道局とその支援者の尽力により、16トンの受水槽は満タンになった。雨の中タンクを確認していただいた。さて、水は届いた。しかしどこでもそうであるように、濁っている。果たして飲用に使えるかというと・・・。しかしそれでも、その水により、洗濯や食器洗い、そしてトイレの水洗に使えるようになる。こちらに水がまわせれば、いままでそこに費やしていた労力が、別な方向に向けられる。

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当院では、4月18日より診療を開始し、帝王切開を制限していたが、この水の給水により制限する理由はなくなった(水がないと、術後の患者様の介護、使用した機材の水洗などに不自由をきたすという理由で)。とはいえ、以前の状態に100%戻ったわけではない。給水再開後の様々なトラブルがあり、そうしたトラブルに対応しながら、というし運転状態である。

たぶん基本インフラの整備が最優先であり、倒壊しそうな建物の解体や、住むところがなくなった人の住宅再建が急務であり、となると当院の補修に手が回るのは少し先のことである。ただその間安心して使用できるのか、という問題もあり、早急の点検だけ好意でしていただいた。

肝心の補修はまだ先の矢先に、漏水問題発生。どうも地震で、排水のねじが緩んでいたようで、幸い解決したが、その結果病室が一つ使えなくなった。これは頭が痛い。そろそろお産のラッシュもまた始まり、また搬送した患者様を受け取るためにも病室が必要である。

水も当面はペットボトルの水となる。飲用用の水も必要。

でも個人的には牛乳がほしい。私の朝のスタートは十分量のカフェオーレで開始されるので、牛乳がないと・・・。今のこの時期になかなか手に入らないし、まして、私の場合、買い出しに外に出ることもできない今の状況では、ちょっとだけ個人的なお願いをすることとした。ということで昨日牛乳1000mlが届いた。ありがたい。

さて、今日も頑張るか。病棟に目を向ければ、お産予備軍の方が数名。外来もそこそこ増えてきた。また利用できなくなった産婦人科が数件あって、そうした産婦人科支援のために患者さんが来院されることもある。いまは、目の前の仕事を、自分にできる範囲でと。

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撫子が咲き始めた。ようkみるとヤマボウシも咲きつつある。疲れた体を、ふと目をやると春爛漫である。

断水の状況が続き、新ためて如何に水を使用していたかと、思う。水といえば、調理や手洗いを思い浮かべる。確かにそうしたことにも水を使う。しかしそれ以外に使う水のほうがはるかに多い。

トイレ、食器の洗浄、衣類の洗濯、そして沐浴。当院の場合、お産をする施設なので、沐浴は、お母さん自身の健康を維持するためにも、そして新生児の健康を保つためにも、大切なことである。つまり、水がなければこうした行為はできない、ということは、断水した今、当院で診療を続けることは極めて難しい問題を含むことになる。

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当院は、19床の診療所で、お母様もいれば新生児もいるということを想定して、16トンの貯水槽が設置された。満床の場合、想定では、この16トンの水を2日で使い終わると聞き及んでいる。で、この16トンの貯水槽は1階にあり、それを電動のポンプで1階から4階まで通水する、という形である。

そのため、停電をすると水が出ない。停電は2回目の地震(16日未明)後に発生し、それから断水となった。16日夕方には電気が通った。で、貯水タンクがあるから水も出て、万歳と思っていた。

しかし、その二回目の地震の後から熊本市のいたるところで漏水が発生し、そして熊本市水道局も水道の給水を停止した。漏水の補修後に順次再開ということで、熊本市の断水は順次解決され、のこり16%となったとホームページにある。13区の排水区域の内、まだ給水されない1区が高遊原地区であり、その高遊原地区にクリニックは存在する。

給水がとまったということで、クリニック内の水の使用を極力制限し(必要時の沐浴、器具洗浄)、各地に支援を応援し、飲用の水は確保できた。また近くに農作業用の井戸があり、そちらから水を分けてもらうことで、トイレや日常の手洗い、洗濯用と何とか確保できた。

ただ、問題は、その水を運ばなくてはならない、ということであった。少量の水でトイレを流しても、ものが流れない。結構な水が必要である。少量の水で流し続けると、排水管が詰まるということもある。また、その水を運ぶためには人手が必要でもある。ましてや洗濯となると、大量の水を建物の選択する3階まで運ばなければならないが、エレベーターは緊急停止のままである。

エレベーターは、18日の午後に回復した。これで水を上げることの負担が少し減った。18、19日と救援の物資が届き、水と食料と衛生用品が届き、これでひと段落となった。さらにありがたいことに、給水車で約1トンの水を差し入れいただいた。(節水しているが、タンクの容量は今半分)。またクリーニングの支援もいただき、これで患者様のリネン類も洗濯により補充できた。

あとはいよいよ給水の再開が待ち遠しい。そうなれば、ようやくクリニックも本来の能力を発揮できるし、職員も本来の業務に専念できる。しかし給水が再開されるまでは、職員総出で水の運搬が大仕事となる。

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写真は開き始めた中庭のバラと、裏庭の満開の芝桜。そして育ちつつあるカサブランカと、開花も近い芍薬である。

やはり私自身も地震が怖かったのであると思う。そして今も怖い。あの夜中の2回目の地震は、下から浮いて、それから左右に動いて、これは建物が崩壊するかと、思った。あのあと、外に出て、車で朝を迎えた。朝方に患者を大学病院に搬送して、帰りがけに空が明るくなっていた。

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この写真は、15日の朝。(1回目の地震の後)

16日は土曜日であったが、診療は不可の状態(停電と断水)であり、外来診療は中止した。その間院内の各種対応で帆走し、体が単純な作業で動いているうちは、余計なことを考えなくてよかった。で、夕方に電気が復旧した。入院患者様は一部退院をされたので、数も少なくなった。しかし分かれて眠ることは、患者様にとって不安であろうと、みんなで固まって1階で雑魚寝した。実はこの時、私地震が一番不安であったのかもしれない。

17日日曜は、本来なら後片付けに専念すべきであるが、診療や院内の各種体制に従事し、また月曜日以降の会計上の問題への対応もある。あれこれして、また夜が来た。仕事があるせいもあるが、実はなかなか眠りたくなかった。でも仕事があるからと、今回は自分の部屋で寝る。夜が怖かったので、本当は酒でも飲んで眠りたいところであるが、そうもいかない。

18日は月曜日。診療をしなくてはならない。震災後だし、まだ少ないだろうと思っていたら、60数名の方にお越しいただいた。妊娠したかもということでお越しになった方もある。いっぽう震災で体調不良でということでお越しになった方も。

実は、この間私自身は、自動運転モードのようなもので、単に仕事をこなしているようなきがして、もうすべてが終わった後のような、そんな感覚であった。しかし、目の前の患者様への対応、そして義捐物質が届くようになって、ようやく現実の世界へと気持ちが戻ってきた、というか・・・・。明日のことを考えられ無かったが、ようやく先のことを考えようという意欲が、出てきた。

改めて、ご支援をいただいた方々に感謝申し上げる。支援物質が届いたということもありがたいが、その皆様の気持ちに応えるためには、私自身が動かなくては、と感じたことが何よりであった。

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これは15日朝に飛んでいたヘリコプター。日曜まではよく救急車が通っていたが、月曜日には聞く回数は減った。相変わらず余震は続いているような気がするが、それとも単に私が震えているだけかもしれない。余震はよくわからなくなった。

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