2017年01月

巷では、2017年の最初の3連休であったかもしれない。私は久しぶりに当直の先生も来ることだし、実家の両親と過ごす予定であった。土曜日の午後無事に帝王切開も済んで、やれやれとちょっと外出した。両親と風呂に入って、ご飯食べて、それからかえってこれを使って、と計画していた。

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しかし、急変した患者様のため急きょクリニックに帰り、その対応で大合わらわ。ようやく一息と思ったら、それからお産が日曜の朝までに3件。日曜の夜にも1件、月曜の早朝に1件、と身動きがとれない。朝お産も済んだし、と思っていたら、また新たな入院もあり、そして火曜(現在)までに4名ほど生まれたような気がする。

2017年の年明けが、静かであったので、今年は静かだなとおもっていたが、十分におつりのくる状態となった。そして今もまだお産予備軍の人がいるし、おまけに今日は外来もあるし・・・と少し憂鬱である。でも、まこれもまた私の一日である、と思えば、また明日があるさ、と。

この便利グッズは、今週末に活躍してもらおう。今日の外来は、たぶんあくびの連続である。患者様にお許しをいただくことを願おう。



南天は日当たりがいいところで育つと思っていた。で、当院で日当たりのよさそうな場所に植え変えてみた。しかしどうもうまくいかない。日当たりはいいが風が強いのかもしれない。あるいは日当たりが良すぎるのかもしれない、とふと思った。

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これは先日の自転車散策の際の、小山の諏訪神社の参道。半日蔭の参道に、赤い実がなっている。

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南天かな、と、。千両万両ではなさそうであるが・・・・。

葉っぱも青々としている。当院のフェンス沿いに植えた南天は、まだ小さいせいもあるが、葉っぱは赤くなり、元気がない。でも、夏場は繁っていたけれど・・・。

まさきも元気がない。思い付きで日当たりの良いところに植えてみたようなものである。樹木の性質を考え植えるべきであった。

一方桜は元気に育ちつつある。しかしこちらは、電柱の下に植えてしまったので、このままでは九電からお叱りが来る。こちらもいつかは植え替えなくてはならない。

樹木の性質を知り、ふさわしい場所に植えること、何にでも当てはまることである。


1月4日、朝方にお産が一例。外来にお越しの方が数名。午後はお産もなく、のんびり。で、そうだ、初詣と。私は個人的に人混み嫌い、ラッシュが嫌い、という性格なので、初詣でにぎわっている大きな神社はあまり行きたくない。正月三日をすぎて、のんびり歩いて行ける地元の神社が一番と思っている。

とはいえ、さすがに歩いて行ける範囲には神社はないので、自転車で。まず、下の看板のところまで行ってみる。88か所巡拝というわけであるから、結構史跡は多い。

以下は私の想像であるが、この地は、以前は熊本市ではなくて、戸島小山村であり、さらにその前は各地の集落に分かれていたことであろう。そうしたときに地域の氏神様を祭る場所として、山はわかりやすい場所であったことであろう。また地域の紛争がなかったとも言えない。

戸島小山には、神園山、小山山、戸島山とよばれる戸島3山があり、その山の周囲には神社がある。戸島神社、諏訪神社(分社)、阿蘇神社(分社)、それにあといくつか。地域の発展に伴い、いくつかが統合され、合祀され、そして時に戦乱や天変地異の変動に伴い、大きな社の分社が設けられたりと、あったのか、と。

地域の氏神様ということでは、男神・女紙様ということで、男根女陰が象徴的に祭られている神社も多い。実際志岐神社にはご神体となっていると聞いたような・・・。

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さて、この看板までまず行ってみた。最初は諏訪神社。縁起では、九州の戦乱の平定を願い平安時代ごろ諏訪神社の分社として設けられたとあったような・・・

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参道もこの様にきちんと整備されているが、残念ながら済んでいる人はわずか。

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鳥居は壊れたまま。これは昨年の大地震の前から壊れていたようである。

そこから長嶺阿蘇神社にまわる。この近くは、うっそうと木もしげり、野鳥の声も響く。個人的にはこうしたところの古い家に住んでみたい(理想は、青い海の近くがであるが、この地で働き続けるなら、という前提で)

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こちらは阿蘇神社の分社。鳥居や本殿は、どうも熊本地震の影響で壊れたようである。しかし、屋根瓦だけはきれいなので、どうもここだけは修復されたような・・・。本社も再建中と聞くので、この地もまだまだ今からであろう。

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こちらは志岐神社。阿蘇神社をお呼びした結果、その地にあった地域の神社がこちらに移転したような・・・。石垣が崩れ、鳥居も不安定。立ち入り禁止である。

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こちらは小山御領(おやまおみね)神社。どちらかというと、この御領という地域は古くからある地域の方々のお住まいのようで、すごい家が通りの裏にたたずんでいる。そうした家の氏神様である。しかし、この御領は、熊本地震での影響の大きかった場所で、その豪邸も修復中あるいは解体されているようである。

これ以外にも、地蔵堂や観音様の祭られている場所を数か所目にした。確かに88か所あるかもしれない。

きっと私の実家(熊本市西区)も昔はこの様に地域のお社があったのであろう。その地域の進行に伴い、新たに設けられたり、統廃合されたり、と。でもその名残はあちこちに。きっと残っているけれども、その気になって探さないとたぶん見つからないのであろう。

などと考えながら、1月4日の午後を過ごした。2017年、今日から本格診療開始である。


平成19年開院当初は、水曜日は午前中診療、午後休診としていた。次第に忙しくなり(当時は土曜日が結構忙しかった)、水曜日を手術日とすることで休診として、手術のない場合私の骨休みとした。さらに月日が流れ、雑用が少しづつ増えてくると、水曜日は手術のほかに事務仕事を処理する日となり、いつのまにやら骨休みの日はなくなった。

たまに予定していた手術がなくなると、水曜日の午後ぽっかり穴が開いて、そうしたときに、お産の人がいなければ、ちょっと外出したり、自分で夕食の支度をしたりして、ちょっとだけ休みを楽しんでいる。

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さて、今年は1月4日が水曜であった。当院の厚生局に届け出た年末年始の休みは12月30日から1月3日までなので、その間は原則は休診である。以前は当番医を引き受けることもあったが、どうせお産でどこにも行けないし、年末年始であっても帝王切開があるし、休診日は有って無きがごとし、と考え当番医はないけれど、毎年何かある。

旧年は、12月30,31日に帝王切開があった。新年は1月1日に一人生まれて、あとはどちらかというと静かであった。とはいえ、1月3日夜に患者様を一人母体搬送したし、1月4日早朝に1名生まれた。しかしその後の予定は今のところない。今日は事情により両親学級をお休みとしたので、両親学級もないし、面会者もない。ということは・・・・。

とはいえ、レセプト業務、会計業務がのこっている。これを片付ければ、ちょっとお暇。久しぶりに外出しても、あるいはデパ地下めぐりでも、とおもわないでもない。あるいは自転車散策でも、と。午後のお楽しみであるが、そのまえにレセプトを仕上げなくてはならない。

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写真は、初日の出の後の2階に朝日が差し始めたころの暖かくかんじる時間である。このオレンジ色の光につつまれると心もあたたかくなるのである。


年末によしこれで仕事納め、とおもって、帝王切開が30日にあった。すると、31日にも帝王切開があった。で、1月1日午前2時ごろ、起こされた。胎児心音が時に徐脈になります、と。

これで3日続けて帝王切開かと思ったが、体位変換と無痛分娩にすることで、心音は良好な状態となった。しかし、この状態で生まれるかな、とおもっていたら、朝9時に外子宮口は全開大となり、あとは時間の経過を待つこととなった。午前11時過ぎにようやく生まれた。2017年の第1例目である。

さて、これで年末からの課題がようやく解消した。(出産された方は、12月31日からの入院であった)。で、遅ればせあんがら実家に挨拶をして、その帰り道。ちょっと時間が余った。年末は大掃除もあったが、帝王切開も続き、どこにも行けなかった。天気もいいし、それではちょっとドライブにと。

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これは昨日掲載した写真である。この雪化粧をしたものはなにかな、と考えたら、たぶんこれは阿蘇の中岳が高岳かな、と思い立った。噂では、俵山トンネルルートも年末に変則ルートで開通したと聞く。それならば、と。

しかし結局阿蘇には至れなかった。近くに見えたけれども、遠かった。以前なら30分程度で行けたところが、やはりまだ通行止めも多い。震災の影響は、まだ阿蘇には色濃く残っている、と改めて痛感する。立野の大橋の手前まで行って(そこで通行止め)、震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りして、そして子の阿蘇方面の道路の早期の復旧を願って、帰途についた。

さてそうした1月1日、天気は穏やかで、お産も無事済み、そのあとは穏やかな1日にであった。今日も穏やかな一日であるといいのであるが・・・。

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写真は、1月1日の初日の出。隣にたなびく煙は、噴煙ではなくて、東部清掃工場の煙突から上る蒸気である。


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