2017年03月

私は中学高校と進学校生活で、その間部活をすることもなく、大学に入って始めて部活をした。ラグビーであった。おかげでさまざまな経験を積ませていただいた。しかし、そこで膝の靭帯を痛めるという思いもした。たしか2か月くらいギブス生活をした。たぶん左であったとおもうけど、右だったかもしれない。

大学の後半からスキーを少しだけたしなんだ。その延長で、医師になってから、休みが取れたときに家族サービスということで北海道に行ってスキーをした。しかしこの時に大きく転倒して、たぶんその時にまたひざを痛めた。この時はギブスはしなかったけれど、しばらく足をかばって生活をしていた。

以前は、正座がなんとかできたけれど、ここ数年正座をすると、その後しばらくして膝が痛くて動かせなくなることに気が付いた。これはきっと膝の損傷の影響であろうと思う。リハビリを兼ねて、少しづつでも動かさなければ、と思うが、今も少し膝に違和感がある。

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こうした肉体的な問題は、怪我した当時も痛い思いをするわけであるが、その10年後、20年後、30年後にこうやって再び痛い思いを味わっているわけ、まこれも人間として生きて入れば、仕方のないことでもあろうと、思っている。というか、死ぬまで、五体健康という人はそう多くはないであろう。何らかの形でダメージがあっても、それをリカバーしつつ、五体に満足して、折り合いがとれれば、それはそれでいいのでは、と思っている。

だから、年を取っても、必要最小限の運動ができるように、そしてそのためにも自分のことは自分でする、というごく当たり前のことが、結果として自分の生活を支え、痴呆の帽子につながるのでは、と信じている。

今の膝の状態を考えると、園芸作業はどうしてもしゃがむので、あまり望ましくないのであるが、でも、この週末には念願の園芸作業をしたいものである。

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中庭のハナニラがそろそろ咲きそろってきた。微妙な風にゆらゆらとたなびく、その風情がいいのである。


前回の話の続きというか・・・。ま、私の考えということで。

人間は痛い思い、心底つらい思いをしないと、やはり同じことを繰り返すような気がする。その結果、あつものに懲りて、なますを吹くということもないかもしれないが・・・。でもやはり失敗は成功の母であり、失敗という経験が、その人を育てると思う。

ただし、そこには、その失敗の原因をそれなりに分析することが必要である。なぜ失敗したのか、どこに原因があったのか、と。時にはそうした過程は苦痛を伴うこともある。思いだすだけでつらい経験がない、といえばうそになる。でも、前に進むためには、そしてその失敗を繰り返さないためには、どこかでその失敗を認め、冷静に分析できれば、次は同じ失敗は繰り返さないかもしれない。

次に同じ事態はないかもしれないが、あるかもしれない。と同時に、そうした失敗時の経験をもとに、予想もつかない事態に対応する基本的心構えをつくる、ということかな、と思う。

こうした考えは、私自身の基本的な今の考えである。そして失敗するためには、何かをやってみないと始まらないことも事実である。ということは、まずは最初はなんでもやってみること、経験すること、ということかもしれない。いくら経験を積んでも、経験のない事象に当たることは十分に予想される。そうしたときにしり込みすることなく、過去の経験をもとに対応し、それで失敗したら、もとからやりなおせばいい。

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ただし、医療の世界においては、そこには医療安全性の問題があるので、やってみなはれ、というわけにはいかない。今の現時点での私とスタッフの技量において、対応できる事態であると考えれば対応するけれども、対応できないと考えれば、さっさと高次医療施設に患者様を紹介することである、と理解している。

そういえば、先日の連休前後はなかなか忙しかった。救急車で当院にお越しになった方が1名。妊婦様の腹痛ということで引き受けたけれども、どうも違うような気がして、結局高次医療施設を紹介した。胆石が疑われた。外来にお越しになった妊婦様で、緊急搬送が必要と判断し、午前の外来の忙しい中、緊急搬送した。妊娠初期の方で腹痛を訴え、典型的ではないかもしれないけれども子宮外妊娠も否定できないので、紹介した。と

医療においては、私がどこそこに紹介しても、結果として私の見立てが外れることもあるかもしれない。でも、医療においてはあとに戻ってやり直し、だけはできないので、私の見立てが外れても結果が良ければすべてよしと考えることにしている。ここだけはなかなか反省が難しい。ただ、その判断(見立て)の過程においては、過去に経験に基づくものであることは事実である。

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さて、こう考えを述べてくると、あとは個人の生活である。私個人の生活は、クリニックを中心にさまざまな形で制限されている。そのため、制限された中で、限られた時間を私なりに有効に使うしかない。

お取り寄せもいろいろやってみた。近場のお店で行けそうなところも行ってみた。たまには新しいお店を探さないでもない。でも、私個人の生活からすれば、その貴重な私個人の生活と時間を失敗で過ごしたくないなという思いは強い。そうなると、個人の生活は8割くらいは型にはまった生活優先で(過去の経験から失敗のないこと)、1-2割くらいが新しいことに挑戦というところであろうか。

写真は、玄関前の中庭。ここは冷え込みが冬場厳しいということに気付いたので、ビオラだけ植えているが、1-2月はそのビオラも元気がなかった。ここに植えていた水仙とチューリップを全部移した、とおもっていたら、チューリップが3か所くらいから芽をだしてきた。このままここで咲いてもらって、夏場にでも移植しよう。

ちなみに、この中庭の部分は、将来的には芝生とバラと樹木のみとしようと思っている。

昔は、美味しい話があったら、飛びついていた。しかし、美味しい話には、美味しいこともあるけれども、それにともなうリスク・責任がともなっているのである、と気づくまでに時間がかかった。美味しいことは餌であり、それで呼び寄せられ、なにもないこともあるかもしれないが、何かあることもある。なかにはその何かがとても大変なこともある。

いつになっても、そうした美味しい話があると飛びついていたので、懲りないやつであったが、ようやく最近はそうした話に懐疑の目を向けるようになった。つまり、利点と欠点、責任と義務の伴わない話は聞いても仕方がない、としているが、今でもまだひっかかっているかもしれない・・・。(やはり心底懲りていないのかもしれない)

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そう考えると人におごられる、あるいは人のお金で食べたり、物を購入することも微妙である。人のお金だと、自分の懐が痛まないので、太っ腹である。そしてそうして購入したものが本当にためになっているのか、その結果として余計な義務が生じていないかな、と。

と考えれば、自分のお金でものをかって、物を食べる。時には友人におごってもらうことがあれば、次回は自分からおごる。そのような関係のほうが、結果として楽である。仮に購入したもの食べたものが、自分の中では失敗だと感じたとしても、それは自己の責任であり、選んだ私が悪いのである。そして次回は別なものを選べばいいだけのことである。

それが人のお金であれば、美味しければいいけれど、美味しくない場合、美味しくないものを美味しくないと表現できるかということも一つであるが、仮に高額であればその分お金の引け目が生じることであろう。

そう考えると、やはり分相応の暮らしが一番である。自分にできる範囲で、自分のお金で、自由に行動することが一番である、と。どこからが高いお金かという問題もあるかもしれない。そのために、自分でお金を稼いで、自分でものを買って、自分なりのお金の評価基準をもつこと、は大切なことであると思う。

長々と書いていたが、これが私の基本的な今の考えである。そしてそう考える私が診療に当たる以上、診療においても、当院の医療においても当院規模に応じた医療をするべきであると、考えている。

写真は裏庭で咲いたクロッカス?かな。紫の花、なかなかいいのである。

巷では、連休である。もしかすると、3連休というところもあるかもしれない。

開業時に、土曜は診療すると決めたので、当院では3連休はない。また、当院は出産を取り扱う施設なので、日曜祭日の対応を行うわけで、結果として外来診療はないけれど、病棟の診療が存続することとなる。

とはいえ、この連休は昨日までは天気も良いし、幸いというか、ここ数日お産も少ないので、夜もぐっすり、昼間ものんびりが続く。ということで、昨日は久しぶりに庭仕事。天気もよくて、少し日に焼けたかもしれない。

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これは去年に植えたチューリップ。10個植えて2個は発芽しないな、と思っていたら、遅れて2個現れた。10個中、10個がそだつ、当たり前のことかもしれないが、やはりうれしい。

この場所は、ちょっとわけありなので、あまり大ぴらにはできないが、できるならこの場所は、チューリップと水仙と芝桜で群生させたいと願っている。そのために、すこしずつと。なので、このチューリップが咲き終わったころに、配置換えをできればしたいと願っているが、どうなることやら・・・。

次に中庭の草取りをしたけれど、どうも植えていたビオラから種がまかれていたようで、小さなビオラをいくつか発見。ただいまから咲いても、と思わないでもない。それなら、いっそのこと発芽した分は、夏を越させてみようかとも思わないでもない。

最後に裏庭とおもったけれど、暑くてつかれた、と断念した。今日もできればしたいけれど、今日は天気が崩れそうなので・・・また来週かな。そろそろ桜も咲くであろうか?

排泄に関することで恐縮であるが、今朝新生児を診察していて、ふと頭に浮かんだので・・・。

赤ちゃんは寝たままで、ウンチをするし、おしっこをするのである。時に、赤ちゃんの顔がまっかになってうなっているように見えることがあり、これはやってるな、と思わる顔であり、しばらくすればそこはかとなく、独特の臭いが漂うのである。

新生児は、母乳あるいは人工乳を中心としているので、腸内細菌は乳酸菌優位と聞いたような気がする。そのため新生児のウンチは独特の甘酸っぱい匂い(臭い)が漂う。ペースト状であったり、コロコロうんちであったり、そして時にはおむつをはみ出すくらいのウンチであったりと、と。

寝たままうんちをすることは実はなかなか難しい。通常の生活をしている人間であれば、ウンチをする場合は、しゃがむ姿勢となることであろう。しゃがむことで腹圧をかけてウンチをする、と理解している。

最近の子供は立ちションが苦手という話も聞いた。座っておしっこをするほうが、腹圧もかけやすい。立ったままであれば、腹圧をかけ、そして括約筋を開いて、という動作には学習が必要である、ということであろう。とはいえ、しゃがんでするのにも学習が必要であるとも思う。

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野生の動物はどうであろうか。確かスキューバダイビング中に、魚の後方からたなびくようにあるいは勢いよく発射される見たような気がする。また、駐車場を歩いていると時たま頭上で音がして、何かが落ちてくることもある。この場合、鳥は止まっていることもあれば、羽ばたきながら落としていくときおもある酔うような。

犬や猫は排泄の際の姿勢がある。犬は少なくとも半分くらいしゃがんだような姿勢である。

それではサルやゴリラはどうであろうか。これは私にはわからない。人と同じようにしゃがむのか、あるいは立ったままするのか、と。

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以前フリースタイルの出産ということが話題になった。そしてたぶん今でもフリースタイルを続けている施設もあるかもしれない。昨今の分娩状況からすると、分娩監視装置を装着しない出産は推奨されないであろうし、また胎児心音の低下した場合に急速に出産にもっていかないといけない場合などを考慮すると、フリースタイルでそうした対応はなかなか難しいような気がするし、最近はあまり耳にしない。(たしか水中出産はあまり望ましくない、という話は聞いた)

人間の出産の際に、しゃがむ、あるいは背中を付けて分娩台の上で仰向けになり足を上げる姿勢は、しゃがむ姿勢と同様であるので、分娩の姿勢としては理に適っているかもしれない。でも、寝たままでも、あるいは立ったままでもウンチができることを考えれば、寝たままの姿勢、立ったままの姿勢でも出産はたぶん可能であろう。

あとは問題は、その出産に対する様々な安全性の確保ができるかどうか、緊急時の対応が可能かどうか、ということになる。そして現在のそうした事項を遵守するという立場であれば、やはり当院では分娩台の上でのお産しか対応できないな、と思うばかりである。

写真は、ようやく咲き始めたハナニラ。もう少したくさん咲いて、風にたなびくくらいのころがベストシーズンである。

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