当クリニックのデザインは、開業当初から松山建築設計室である。そしてその施工は、小竹組である。増築の際も祖の組み合わせであり、ささやかな補修や改装においても、そして今回の熊本地震後の補修も同様である。
施設によっては、初回の建築は別なところで、増築時には別な組み合わせということもあるかもしれない。それは施工側の考え方の問題であると思う。たしかに、費用削減のためにその都度見積もりの照らし合わせをして、その都度、業者を選定するほうがいいかもしれない。
しかし、公共建築のように保存期間が長く、そして担当者の変わることが予想され、作成資料も厳密に保存されている場合ならともかく、個人の建物であれば、と私は思う。なぜなら、どんな建物においても、使用開始後に様々な不具合が発生することはよくあることで、最初から完璧はないことであろう。
またメンテナンスを怠れば、どんな建物であっても、数年でみすぼらしい外観となり、実際の使用においても問題が生じるであろう。そう考えると、建物は、作った時の費用と同額が、以後のメンテナンスに必要であると最近確信している。
そして建物のメンテナンスということで考えると、建築設計にまつわる様々な問題が根底にあったこと知っていないと、後々大変たなこととなる。なぜ途中で仕様が変更されたのか、その理由は何か、と。そのようなさまざまな経緯は、初回建築設計時の大切な経緯であり、それを覚えているのは、私と、建築設計の担当者のみである。こうした情報をけつらくしたまま、新たな補修や改修を行うと、結果として後々取り返しのつかないことになりかねない。
つまりいくら見積もり合わせで経費削減したとしても、その分を上回る出費や取り返しのつかないことになりかねない。その取り返しつかないことを、膨大な時間をかけておこなうくらいなら、私の一生ではとても不可能である。
ということで、私の目の届く期間ということで考えれば、結果として単独の設計事務所と建設会社と契約を結ぶ方がはるかに楽であり、合理的である。ただし、その前提は、お互いが誠実であり、信頼関係があるということが前提である。
現時点ではそのお互いの信頼関係と誠実さは、結果として出来上がったものが証明しているので、今の関係を壊すつもりはないし、今後お願いすることであろう。
さてそれでは、松山建築設計とのなれそめは、となると、少し古い話となる。以前私はとあるクリニックの院長を務めることになり、その建築設計のためにあちこち移動した。そのクリニックにおいてはすでに設計士は決まっていた。その設計師の方に、私なりに希望する産婦人科を理解していただくために、九州に限らずあちこちの産婦人科を見学に行った。
そうした中に、当時福岡市から少し北に行ったろことに、すごい産婦人科あるという評判をとある方から伺って、見学に行った。実際に行ってみると、まだ完成目前の状態であったから、そのクリニックの評判は建設中から立っていたことになる。
厚かましくも、完成目前のクリニックの見学の許可を前もっていただき、内部を見せていただいた。心底びっくりした。これが産婦人科、と。残念ながら当時の写真は手元にはない。白い建物で、美術館のようだ、と思ってことを覚えている。
そして月日が流れ、私が院長を務めたクリニックの院長職を離れ、福岡で働くことになった。当時反映していた、産婦人科で、結果として4件の産婦人科クリニックを経営していた(しかし実質はあと1件ある)。そしてその不思議なご縁は、このクリニックの3件目(実質4件目)の建物が松山建築設計室であった。
あのきれいな産婦人科と、こ3件目の建物に関係があることはこの時点ではまだ知らなかった。
続きは次回に、
最近赤いバラに凝っている。目的は白と赤の交わるフェンスであり、その赤ができれば深紅であったほしい、という単純な動機である。
施設によっては、初回の建築は別なところで、増築時には別な組み合わせということもあるかもしれない。それは施工側の考え方の問題であると思う。たしかに、費用削減のためにその都度見積もりの照らし合わせをして、その都度、業者を選定するほうがいいかもしれない。
しかし、公共建築のように保存期間が長く、そして担当者の変わることが予想され、作成資料も厳密に保存されている場合ならともかく、個人の建物であれば、と私は思う。なぜなら、どんな建物においても、使用開始後に様々な不具合が発生することはよくあることで、最初から完璧はないことであろう。
またメンテナンスを怠れば、どんな建物であっても、数年でみすぼらしい外観となり、実際の使用においても問題が生じるであろう。そう考えると、建物は、作った時の費用と同額が、以後のメンテナンスに必要であると最近確信している。
そして建物のメンテナンスということで考えると、建築設計にまつわる様々な問題が根底にあったこと知っていないと、後々大変たなこととなる。なぜ途中で仕様が変更されたのか、その理由は何か、と。そのようなさまざまな経緯は、初回建築設計時の大切な経緯であり、それを覚えているのは、私と、建築設計の担当者のみである。こうした情報をけつらくしたまま、新たな補修や改修を行うと、結果として後々取り返しのつかないことになりかねない。
つまりいくら見積もり合わせで経費削減したとしても、その分を上回る出費や取り返しのつかないことになりかねない。その取り返しつかないことを、膨大な時間をかけておこなうくらいなら、私の一生ではとても不可能である。
ということで、私の目の届く期間ということで考えれば、結果として単独の設計事務所と建設会社と契約を結ぶ方がはるかに楽であり、合理的である。ただし、その前提は、お互いが誠実であり、信頼関係があるということが前提である。
現時点ではそのお互いの信頼関係と誠実さは、結果として出来上がったものが証明しているので、今の関係を壊すつもりはないし、今後お願いすることであろう。
さてそれでは、松山建築設計とのなれそめは、となると、少し古い話となる。以前私はとあるクリニックの院長を務めることになり、その建築設計のためにあちこち移動した。そのクリニックにおいてはすでに設計士は決まっていた。その設計師の方に、私なりに希望する産婦人科を理解していただくために、九州に限らずあちこちの産婦人科を見学に行った。
そうした中に、当時福岡市から少し北に行ったろことに、すごい産婦人科あるという評判をとある方から伺って、見学に行った。実際に行ってみると、まだ完成目前の状態であったから、そのクリニックの評判は建設中から立っていたことになる。
厚かましくも、完成目前のクリニックの見学の許可を前もっていただき、内部を見せていただいた。心底びっくりした。これが産婦人科、と。残念ながら当時の写真は手元にはない。白い建物で、美術館のようだ、と思ってことを覚えている。
そして月日が流れ、私が院長を務めたクリニックの院長職を離れ、福岡で働くことになった。当時反映していた、産婦人科で、結果として4件の産婦人科クリニックを経営していた(しかし実質はあと1件ある)。そしてその不思議なご縁は、このクリニックの3件目(実質4件目)の建物が松山建築設計室であった。
あのきれいな産婦人科と、こ3件目の建物に関係があることはこの時点ではまだ知らなかった。
続きは次回に、
最近赤いバラに凝っている。目的は白と赤の交わるフェンスであり、その赤ができれば深紅であったほしい、という単純な動機である。