2017年09月

当院での分娩についてまだ説明していなかった、ことに改めて気づく。そこで当院での分娩についてちょっと説明を。

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当院は、現在二つの分娩室(これは帝王切開の手術室を兼ねる)と、分娩までに妊婦様および家族の待機する待機室が6室ある。さらに、術後の観察室が1室ある。これらはすべて2階のナースステーションの近傍にある。(増築前は、2室が待機室、2室が観察室であったが、増築後にこの形に変更した)

流れとしては、陣痛が来た、破水した、などの訴えがあれば、お越しいただいて、診察して入院となり、その待機室に入っていただく。大体6室も待機室があれば、余裕のはずであるが、時に様々な事情で待機室が詰まってしまう場合もある。

さて待機室に入室後に、お産までそこで待機することとなる。静脈ルートを確保し、分娩監視装置を装着して、というのが通常のパターンである。世の中の流れなのか、あるいは当院独自の流れなのかそれは判断が難しいけれど、出産まで家族が付き添われることが多いので、現在当院の待機室は、一人の妊婦様当たり1室(これは開院以来この制度である)であり、家族がとまれるようにすべての待機室にソファベッドがある。

また今の出産の流れの中では、入院後は分娩監視装置を装着することが多い。当院においては、待機室あるいは分娩室にて分娩監視装置の端末を装着し、ベッドサイドあるいはナースステーション、必要時には院内の他の場所で、分娩監視装置の波形を観察することになる。

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あとは分娩の進行を見守りながら、ということになる。利用的介入は必要最小限と思っているけれど、そのためにはやはり分娩監視装置の装着という矛盾する問題が生じる。この装置をお腹につけると、妊婦様の活動性がきわめて制限されるのであるが、安全なお産という観点から、この装置の装着と、静脈ルートの確保は怠れない。

基本的には出産に関しては、病棟で当院のスタッフ(助産師)が経過を観察し、出産直前に医師が呼ばれるという形となる。その前に胎児心音が低下する、ということであれば私相談があり、私が診察をしたり、調音尾亜検査をおこなったり、という形となる。

分娩が進行しない場合には、薬剤の使用あるいは帝王切開の判断が必要となる。基本的には、経腟分娩であってほしいと私は願っているが、様々な理由で帝王切開へと移行する場合も少なくはない。

さて、待機室でお産の状態が近づくと、分娩室に移動となる。施設によってはLDRシステムを導入しているところも多い。実は増築時に、待機室にLDR用の分娩台を入れ、病室を1室だけLDR仕様としていた。しかし、その結果スタッフの導線が長くなること、LDR用の分娩台の寝心地は必ずしも良くないこと、などの点を考慮し、結果としてこのLDRシステムは当院では不適と判断し、待機室と分娩室の形に統一した。

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分娩室2室を、分娩室、帝王切開、小手術などの用途で使いまわしているので、時にかち合うと大変なのである。しかし、当院の現況の出産数、帝王切開数などを考慮し、かつスタッフの動線も併せて考えれば、やはり今のスタイルが好ましい。

さて、分娩室で出産後、新生児は2つの分娩室の間にある準備室上のインファントヲーマ上で初期蘇生を行い、児の状態が良好であれば、産着をきてお母様の横に登場となる。状態によっては、そのまま保育器に収容する場合もある。

なお、当院での分娩室は、分娩台の上に大きなモニターがあり、通常ここでグレートバリアリーフの推移ちゅう映像が流れている。(時にはお好みのDVDを持参される妊婦様もいらっしゃって、帝王切開や出産でノリノリの音楽で出産という場合もある)新生児誕生後は、この画像がインファントヲーマ上の新生児の処置する場面を移す映像となる。(新生児をこの様な大きな画面で写す施設は、そう多くはないとおもっているので、当院に特異的なものである)

出産後2時間はそこで待機し、2時間後に私が診察を行い、問題なければ3階の病室に移動となる。出血が多い、血腫がある、などの理由があれば、翌日まで待機室で観察続行あるいは他施設への搬送となる。

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写真は、明けの明星観察後から、日の出までの流れの写真である。こうやってみると、日の出そのものよりも、日の出前の空の変化のほうが楽しいし、個人的に好みである。

それでは夕日のほうはどうか、というと、夕日に関しては直接日が沈む瞬間、あるいは直前の真ん丸に見えるころがこのみかな、と。

当院で無痛分娩を行う場合、患者様が希望される場合と、当院スタッフが勧める場合がある。

過去のお産がとても痛かった、きつかった、眠れなかった、などの経験のある方は、次回は無痛で思われるようで、当院で初診時に無痛分娩希望と問診票にあることが多い。よほど大変であったのであろうと思う。

本来お産は、女性が自然の摂理に従い、女性に託された次世代の子供を誕生させるという大切な行為である。であるから大変であるのは仕方がないとしても、やはり眠れないこと、先が見えない状況で、いつまでこの陣痛が続くのか、というところが大変なところではないか、と私は見ていて思う(私は男性なので、出産を経験できないので)。

あと1時間で生まれるといわれたら、何とか耐えられるかもしれない。でも、その1時間が過ぎても生まれる気配がなく、さらに痛みは続いて、いつまにやら無限に続きそうで、と。それでもまだ眠れればいいかもしれないが、陣痛で眠れない、と。

その結果、お産の時には疲れ切って、その失われた体力の回復に数日を要する。正気に戻ったときにはもう退院、と。でも退院するときに習得すべきいくつかの練習が行えないと、退院してからも大変な日々である。

そうした経験をお持ちの方は、無痛にすることで、夜もしっかり眠って、食べるべきものをきちんと食べてお産に望めると、産後のスタートもらくであると思う。(個人的には、つかれたときこそ、きちんと食べて、眠ってが大切であると思っているので、そうできないお産は大変であろう思うし、最後の最後に力が振り絞れるように、食べて寝なさいと私は妊婦様にすすめている)

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だから、疲労困憊して、まだ先が長そうな方には無痛分娩をすすめる場合がおおい。また夜来て朝までに生まれる場合はOKであるが、夜来て朝が来て生まれなくて、そしてまた夜が来て、という場合にも無痛をすすめる場合が多い。また、根本的に分娩や痛みに対する不安の強すぎる人は、無痛のほうがいいかもしれない。痛みがないと思うと精神的に余裕も生まれるようで・・。

また、無痛分娩=硬膜外麻酔可能状態であるから、万一帝王切開を考慮しないといけない場合にも無痛をすすめることがある。この場合、その万一の状態になったとしても、すでに硬膜外チューブが留置されているから、最短20分程度で帝王切開を始めることができる。

なお、当院での無痛分娩は、いつでもOKであるので希望すればいつからでも行う。ただし、穿刺する行為にどうしても時間がかかるし、またチューブ留置後効果発現まで20分程度時間がかかる。さらに言うなら、穿刺する場所によっては、おしり付近から聞いてくる場合と、お腹から効いてくる場合がある。そのため、お産の進行が予想以上に速いと、麻酔効果発現までの時間が足りず、ここが痛い、ということになる。

また、時にせっかく無痛にしても、その後陣痛が遠ざかってしまう場合がある。そうなると、無痛分娩のために背中に留置したチューブが邪魔となるし、シャワーも浴びられない。なので、そうした場合には薬剤で増強する場合もある。でも、チューブを除去して、いったん退院という場合もある。

こうやって振り返ってみれば、無痛分娩にもいいとこともあるし、悪いところもある。そしてその無痛を行う状況によっても、その効果が最大限発揮される場合もあれば、あまり効果の無い場合もある、という当たり前の事実である。ただし、これはある程度の経験を積まないと理解できないかもしれない。

また私仁はそれなりの数を摘んだつもりであるが、でもまた数を積み重ねることで、今とはまた違った結論にいつの日か達する可能性もある。つまりここにまとめたことは、当院での過去10年での経験からということになる。

ただ、どんなに用意をしても、勉強をしてもし過ぎることはないし、予想以上の何かはいつか起こるかもしれない。いつか何か起こるかもしれない、と考えて、自分にできることを誠実に見極め、可能な限りの備えをするという基本的なスタイルを維持することが最も大切であろう、と思っている。

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写真は数日迄の朝日が出るまでの状態である。東の空が茜色にあかるくなり、よくみると明けの明星もみえる。(この写真の解像度ではわからないかもしれない)

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これが明星であるが、これだけ切り出しても・・。

つまり明けの明星と、夜明けの雰囲気は、やはり実物を眺めないと味わえないのである。


当院での無痛分娩および帝王切開における麻酔の基本的手技は硬膜外麻酔である。開業当初は、帝王切開は腰椎麻酔を併用していたこともあるが、現在は硬膜外麻酔のみで行っている。また、施設によっては無痛分娩のために2か所の硬膜外麻酔を行っているところもあるが、当院では1か所の穿刺のみで行っている。

ということで、年間に無痛分娩のためと帝王切開のために硬膜外穿刺を約300回程度行っていることになる。主に穿刺する人は私(院長)であり、どうしても手技的に困難な場合や、手術やお産が並行している場合などに麻酔科医に依頼している。その頻度は10%以下と思うので、おおよそ270回くらいは私が穿刺している。年に270回で、10年とすれば、最低でも2500回くらいは穿刺していることであろうから、十分な数をこなしていると思う。

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さて、私がそれだけの数をこなすということは、当院のスタッフもそれなりの経験を積むことになる。硬膜外穿刺に際して用意するもの、穿刺時の介助の姿勢、穿刺後の薬剤注入、薬剤による副作用など、基本的には私の下でスタッフが経験を積むことで、こうした硬膜外麻酔が安全に施行されると思っている。(私一人で安全にできるはずもなく、これはスタッフの支えがあって初めて可能なことである)

穿刺する場所は、基本的に腰椎のL3とL4の間を狙うけれど、時にはL2とL3の間であったり、L4とL5の間であることもある。これは様々な条件によりより変動する。

穿刺する針は、八光社の18G針の外套を用いている。17Gを用いる施設も多いと聞くが、私の場合より少しでも合併症の少ないことを期待して、細い針を使うこととしている。穿刺後にそこに硬膜外チューブを留置して、固定して、仰向けにして、テスト開始である。

薬剤は、商品名アナペインの0.75%を利用している。帝王切開の場合には、そのままの濃度で、無痛分娩の場合には2倍/3倍/4倍に希釈して用いている。施設によってはキシロカインやマーカインを用いたり、エピネフリンを添加したり、フェンタネストを併用したりとあるかもしれないが、当院ではアナペインのみである。

薬剤は持続注入ではなくて、その都度追加するという方式である。つまり痛くなってから、追加するということであるが、帝王切開においては痛くなってから追加すると面倒なことになるので、帝王切開においては時間を考慮しながらの追加となる。

できるだけ手技は簡単に、そしてスタッフと認識を共用化すること心がけている。幸い、これまでの間にこの硬膜外麻酔で大きな合併症は起きていない。これまでも起きていないから、今後もない、とは断言できないけれど、今後も合併症の怒らないように、努めたいと思っている。

ただし、私がどうしても穿刺できなくて、数回背中を刺す場合、穿刺後にしばらく背中の痛みを訴えられる場合もあるし、年に数回くらいは脊髄腔を穿刺する場合があり、その場合ブラッドパッチを使用している。また麻酔の効果により時に血圧が低下することはよくあることなので、こうした麻酔を行う際には、ルートの確保、昇圧剤の用意、そして胎児心拍モニタリングを常に行っている。

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さて写真は、4階の私の部屋から眺める、裏の田んぼである。結構田んぼのほうからちゅんちゅんと鳴き声がうるさい。人が来ると、さーっと飛んでいくけれど、しばらくするとこんな感じである。

雀が20-30羽くらいいるであろうか。鳩も1羽。

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雀は稲穂の上に乗ったり、稲穂を食いちぎったりと忙しい。鳩も地面から稲穂をひっぱっている。

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これが毎日続くなら、確かにお米の収量もへることであろう。農家の方のきもちもわからないでもない。

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烏も稲穂をとって、恩恵にあやかっていた。

すべての生き物にとっても、収穫の秋である。



計画出産という言葉が妥当かどうか、微妙なところであるが、基本的には何月何日に出産を予定してなにかをする、ということであると思う。

帝王切開であれば、予定した日に基本的に生まれるが、時には予定した日の前に破水したり、陣痛が来たりなどの例外的な場合には、予定した日以前に生まれることもある。

一方経腟分娩であれば、これは絶対生まれるとは言えない。かりに外子宮口が4-5cm開いていても、数日かかる場合もある。まして、外子宮口が閉じている初産の方の場合、生まれるかどうかはやってみないとわからないのが事実であると思う。

さて、当院で計画出産をという場合には、その前日までに入院し、当日の朝から薬剤(アトニンあるいはプロスタグランジンE)にて適切な子宮収縮を誘導し、出産に至らせるというものである。こうした薬剤を使用する場合、分娩監視装置で適切な陣痛間隔を確認し、児の状態を観察しながら、薬剤を使用する、ということになっているので、当然入院が前提である。

以前は、その前処置として、子宮頸管拡張という操作をメトロインテルという装置を用いて行っていたこともあったが、現在その使用には安全のため様々な付帯事項があるので、現在は原則としてこの頸管拡張という操作を行わない。そのため、ますます、薬剤による陣痛増強による出産の成功例が低下したような気がする。

つまり、薬剤を使っても見かけだけの陣痛で、一向に分娩が進まないことが多くなってきた。その結果1日かけても、2日かけても生まれず、いったん退院あるいは帝王切開を考慮という選択肢に追い込まれる。また妊婦様の気持ちになってみても、生まれると思って入院して、生まれなくて退院というのは複雑なところであろう。

そのような状況であるので、現在計画出産は行っていない。予定日が過ぎて、41週となった場合、あるいは破水が明らかな場合、などに限って行っている。

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開業当初は私自身計画出産に対する十分な経験がなかったこと、スタッフが少なく昼間にお産があることが望ましいこと、などより計画出産で、希望があれば無痛分娩併用としていた。

しかし、計画出産で生まれない人が意外と多いこと、やはり自然の陣痛のほうが分娩に至りやすいこと(自然の陣痛であっても途中で進まなくなることもある)、そして前回あるいは前々回に書いた病床数の問題、などより計画出産を原則行わない、こととした。

遠方である、家族の事情である、などの理由で時折引き受けないわけではないが、その場合にも計画出産では帝王切開以外には、必ずしも生まれる頻度は高くない、ということを前もって説明すると、計画出産を辞退される場合も多い。

こうしたことの背景には、やはり予定日までに産みたいという人間の心情というものがあるような気がする。予定日という言葉の響きが悪いような気もするが・・・。

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写真は、近隣の小学校中学校の間の銀杏並木である。上を見上げれば、茶色いものがついているし、この時期この近くをとおると独特の匂いがこもる。

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地面にはこれである。これを目当てに、この界隈を歩き回っている人も多い。銀杏の実の季節となりました。次はそろそろ稲刈りでしょう。秋も少しづつ深くなります。


過去10年の当院の出産を振り返ってみるのであれば、当院での無痛分娩を説明しなくてはならない。



以前のグラフに、無痛分娩総数を加えたものである。

グラフにわかるように、当院は開院当初より無痛分娩を行い、2010年ごろに、総出産の約6割が無痛、2割が帝王切開で、残り2割が自然分娩であった。そして無痛分娩に対する見直しを行い、以後は、総分娩の約4割が無痛分娩、2割が帝王切開、残り4割が自然分娩となり、その後その傾向が続いている。

なぜこのように変遷したか、それは前回の話(病床数と増築)の話も絡んでいる。

当院は、新規の有床診療所を開設した。(私の父は熊本市内で有床診療所を開設していたが、そことは全く別に開院した)。新規の有床診療所を、極めて有名な施設のある熊本市に開設するためには、それなりの対策が必要である。そのための対策として、立地、建物、サービス、医療などにおいて既存の施設との明確な独自性を保つことが必要であると私なりに考えた。

開院する前に、福岡の施設で5年ほど勤務し、当時その施設で無痛分娩を取り扱い、好評であった。そのため開院当初から無痛分娩を積極的に打ち出すことにした。当院の場合、開院当初から私の万年当直であったので、無痛分娩は希望があれば、いつでも引き受けていた。日曜祭日、夜間でもOKであった。

ただし、お産が増えてくると私の夜間の睡眠の問題が発生したので、深夜帯に院長が起こされて無痛の処置を行う場合には、通常の無痛分娩に加えて、夜間加算料金とさせていただいた。

開業当初スタッフが少なかったことと、当院の独自色という戦略もあり、無痛分娩は計画出産とコンビで行うことが多かった。(ここで、無痛分娩と計画出産の説明が必要であることに気が付いた。この話は、次回に回すことにして、総論をすすめます)

分娩数が少ない間は、計画出産中心でよかったのであるが、分娩数が増えてくると困った事態に気が付いた。簡単いえば、計画出産は予定通りにいかないという事実であった。生まれるという前提で計画していても、生まれなかった場合どうするか、ということである。帝王切開にするなら話は簡単であるが、そうなると帝王切開の頻度が増える。できれば下から生まれてほしい、と私は思うし、妊婦様も望むのである。

そこで、自然陣痛が来た時に、希望する人に間に合えば、無痛分娩にするほうがいい、という私なりの結論に達した。その方針に2011年ごろに移行した。その結果、二階の分娩待機室の慢性的満床状態からも解放された。(じつは増築を意識したのは、この計画出産にともない生じた分娩待機室の不足が契機であった)

この様なスタイルで現在にいたる。次回は無痛分娩と計画出産、実際の無痛分娩などについて順次説明していくつもりである。


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連休はあまり天気が良くなかった。日曜の午後から晴れてきた。裏の田んぼも稲穂が黄色くなってきた。空にはイワシ雲であろうか。

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