2017年10月

 私が大学を卒業したのは昭和60年。当時は土曜日は半ドンの世界が当たり前であった。学校は土曜日は午前だけ、大学も病院も午前中は業務、という時代であった。卒業する前後で、週休二日制が導入され、土曜日が休みになった。制度の導入当初は、土曜日の前の金曜日、あるいは木曜日は何となく楽しかった。

 大学卒業後、産婦人科医として研修が始まり、以後産婦人科医として歩み始めた。産婦人科医であるから、お産は常に意識しているけれど、勤務する施設によってお産の頻度が違う。当時(昭和60年/1985年)の熊本県の産科事情を私が正確に知っているはずはないけれど、大多数の産科の施設は開業医であり、毎月30前後のお産の数をこなし、多ければ50、少なければ10数件というていどではなかったろうか。公立病院もたぶん同じくらいであったと思う。

 当時は、医者の残業はあって当たり前で、奉仕の心というより、こうした残業は医師の研鑚の一環である、というような雰囲気であった。何もなくても土曜日曜に病棟に顔を出し、あるいは翌週の用意をして、そして緊急という匂いがあれば、その場に飛びこんでいく。経験することが何よりもの力の源と、となると思っているし、これはいまでもかわらない。

 鉄は熱いうちに打て、というわけではないけれど、何をするにしても、最初はがむしゃらにしないと、身につかない。最初から9時から17時までの勤務だけでは、さまざまな経験は身につかないし、またそれではお互いの連携も進まない。とはいえ、そんな勤務をずっと続けることは、体力的にも時に無理を生じる。そうしたときには、どこかで一休み、周りはそれを黙認する、というような雰囲気であったように思う。こうすることで、オーバーワークを予防していたような気がする。

 当時は、当直しても翌日勤務は普段通りで、当直時にお産に遭遇すると、睡眠不足で翌日が憂鬱であった、ことを今も覚えている。(とはいえ、これは今となっては、宿直業務であったから、ということであろうけれど、当時は宿直と当直の区別がわかっていなかった。そして、宿直という分類であっても、やっていることは当直であるから、やはり少し無理があることも、今となっては理解している)

 現在は、医療の世界においても、過労や残業代未払いの問題もあり、労働条件は私のころに比べてはるかに改善されているように思う。でも、そうした制度をすべてまもれば、お金も時間もたりなくなることであろう。

 しかし世の中に様々な情報があふれ、そうした情報に触れて不安になった方々は、やはり医療の世界の門をたたく。また実際に緊急時の病態で医療施設を訪れる方もいる。また、産科であれば、陣痛がきた、出血した、などの事象はいつでも起こりうる。

 門を開けば様々な方が訪れるわけで、それを取捨選択することはなかなか難しい。医療の世界に完全にAIが導入され、診断も治療も人工的に行われるようになれば、そうしたことはなくなるかもしれない。そうなる日がいつか訪れるかもしれないが、そうなれば医師の仕事はなるかのかな、と。

 ま、そうした日が訪れるのは、少なくとも私の存命中にはないであろうから、今しばらくは、私は医療の世界に身をおいて、日々通常の診療に身を浸して、と。日曜も、夜も、あまり関係のない、産婦人科であるけれども、きつかったらどこかで一休みすればいい、と。いまさら、鉄を熱いうちに打つつもりはないけれど、でも普段通りに何かを続けていくことが、今の診療レベルを保つことであり、そして私のライフワークであり、ボケ防止であろう。

DSCN6375 (640x480)

好天の一日、戸島山を望む。そろそろ冷え込みも始まった。

日本の年間出生数は100万人を下回ったというニュースを以前聞いたような気がする。そして熊本県の年間出生数は1万5千人くらいと聞いたような気もする。これらの数は、出生届から計算されているので、実際には熊本県外で生んでも、戸籍の届け出上熊本県の出生数となるらしい。しかし、ま話を簡単にするために、年間15000人熊本県で生まれているとする。

当院の年間出産数は、ちょっと前の当院の統計で示したように年間550前後である。帝王切開や吸引分娩も含めての数である。そして年間合計50名程度の母体搬送や新生児の搬送があるけれども、当院で出産された方は、大体赤ちゃんと一緒に退院である。550/15000=3.7%くらいであるから、単純に計算すれば、熊本県の通常の出産(帝王切開吸引分娩も含む)の約3%が当院で担当している、ということになる。

DSCN6362 (640x479)


当院は19床の有床診療所であり、熊本県内にも同様の施設がある。一方熊本には、当院をはるかに凌駕する有名な病院・診療所があり、これらの施設で生まれる新生児がおよそ年間7000-8000人程度いるといわれているので、仮に8000人とすると、15000-8000=7000人がそれ以外の施設で生まれているわけで、550/7000=7%が当院での担当分ということになる。

熊本地震後、熊本市民病院の産婦人科は休診状態であるので、現在熊本の産婦人科における高次医療は、熊大病院を含めた公立病院と福田病院で担当しているけれど、お産を取り扱う施設は限られている。当然病床数もか限られているので、これらの高次医療施設だけ手熊本県内のすべてのお産を取り扱うことは不可能であり、結果として、高次医療施設での出産と、当院のような通常の分娩施設での出産と二極化されることにある。この流れは、日本全国どこでも同様であるように思う。

こうした日本の出産の状況を、様々な理由から年間出産数1000以上の大規模病院に集約しよう、という話がある。でもたぶんそうしなくても、現在の少子化と、開業されている産婦人科開業医師の年齢を考えてみれば、20-30年後くらいにはそうならざるを得ないような気もする。とはいえ、そうなるのはまだ先の話であり、現実には今の状況がある。

グリーンヒルでの出産は、取り立てて何かがあるわけでも無くて、普通のお産であり、家族と一緒に退院できる普通のお産を目指しているし、そうであることが求められていると思う。異常な何らかの合併症がある、あるいは新生児のリスクがある、そうしたお産は高次医療施設にお願いする。で、大多数の有床診療所がそうであるように、当院も普通のお産に専念することによって、熊本県の産科事情に貢献していると思っている。

一人目を妊娠して、当院にお越しになり、出産。二人目を妊娠したら、また当院にお越しいただいて、と。3人目はあるかもしれない、ないかもしれない。一人目を他院で生んだけれども二人目は縁があって当院にお越しになったと。あるいは、妹や弟の出産で、またお越しになって、と。

妊娠したら、会笑顔で当院を受診いただければ、そしてそこにいつもの知った顔があると、安心である、と思っていただければ何よりである。当院でできることは限られているけれど、当院でできる範囲で、できる限りのことを、と思っている。信頼して受診いただける、そうしたクリニックであることが、当院に求められることかな、と思っている。

DSCN6372 (640x471)

写真は、当院の西側に新たに設けられつつある宅区域である。もう3軒の家が立ちつつある。

DSCN6361 (640x479)

19区画中、2区画が先行して建てられつつあるモデル住宅で、残り10区画がすでに契約済みである。セキスイハイムの家ができるのは早いから、あと半年もすれば、ここには人が集うようになるのであろう。

追加であるけれど、私の横切開の帝王切開の場合、手技上どうしても、浅腹壁動静脈を切断せざるを得ないことが多い。そして、この動静脈の走行に沿って、皮膚をつかさどる神経もそうこうしているため、これらの神経を切断していることも多い。(神経と血管を残して操作をすることは可能であるが、そうなると、十分な空間が確保できず、その結果として、児の娩出で苦労することなることがある)

動静脈は、切断しても側副血行路がある。しかし神経に関しては、・・・なので、横切開の場合、皮膚の異常知覚が生じる可能性が高い。触っているけれど、触っていると感じないような、と。これも時間の経過に伴い慣れてくるといわれている。

DSCN6342 (640x480)
DSCN6342 (640x480)

さて、おなかの中に到達したら、あとは漿膜(臓器の表面にある薄い膜)を切開して、子宮筋層より剥離する。ついで、子宮体部下部を筋層を切開して、子宮内に到達し、新生児の娩出となる。児娩出後は、胎盤を剥離し、切開創を縫合して、おしまい、ということになるわけである。

帝王切開時に卵巣腫瘍や子宮筋腫の手術を同時にされる方もいらっしゃるようであるが、基本的には私の場合帝王切開においては必要最小限にとどめることとしている。帝王切開時には子宮およびその周辺の血流が豊富で、出血が多く、止血が困難となることが多いので、と。

あとは私なりの工夫として、新生児が頭位である場合、吸引機で児頭を娩出することが多い。これは手で押し上げて余計なダメージを残したくないという思いであるが、残念ながら時にその配慮が及ばないこともある。

また開創器を帝王切開においては使わないことが多い。開創器の突出した金属の部分が時たま何かに接触することで損傷して出血するのを避けたいからである。

帝王切開においては、必要最小限、さっさと終わることを心がけている。しかし、そこで最後の関門が残っている。腹膜を閉じ、筋膜、脂肪層と来て、最後の皮膚の縫合である。たぶんこの皮膚縫合が意外と時間を要している。

というか、私なりの考えとして、この最後の工程こそ、傷の修復のためには大切なことではないかと思っている。できるだけ皮膚の上皮を傷つけないように、そして創面の上皮をできるだけ合わせて、と。とはいえ、15cm程度の傷を縫うわけであるから、これを均等に縫うことはなかなか難しい。で、ああでもない、こうでもない、やり直し、などとしているとあっという間にこの工程で10-20分が過ぎてしまう。でも、この最後の一手間で、傷が少しでもきれいに治れば、と願っている。

DSCN6339 (640x479)

写真は、ようやくオレンジ色に変わりつつある玄関前のきんもくせいである。まだ芳香はわずかである。ここ数日の好天に恵まれれば、そろそろであろう。



帝王切開において、私は横に切ることが多い。下腹部横切開ということである。施設によっては縦切開であり、その場合、下腹部正中縦切開となる。

横切開は、下着の内側に収まることが多いので、パンティラインと呼ばれることもあるかもしれない。慣れれば縦に切るのも、横に切るのも、どってことはないが、慣れないと横に切るのは難しい。以前は私は横に切ったことがなかったので、すべて縦切開であった。開業を意識したころから、自分で横切開を学び、他者の切開を見て学ぶ機会もあり、以来横切開を行うようになった。

横切開のメリットは皮膚の流れに沿っているので、傷が盛り上がりにくいし、目立ちにくい、といわれている。実際に人間が座った時に、下腹にできる皮膚が曲がって皺ができる部分をめどに切開をすることになる。皺の部分なので、張力がかかりにくく、ケロイドになりにくい、とされている。とはいえ、体質によって、ケロイドになりやすい人はいるし、また縫合後の修復の状態によってはやはりケロイドとなる人もいることも事実である。

一方縦切開は、どうしても縫合後に傷が左右に引っ張らられるため、ケロイドになりやすいし、また縫合不全もきたしやすい。時折、以前に帝王切開した、という人のおなかを見せてもらうことがあるのであるが、下腹部に長さ5-10cm、幅10-20mmの分厚いケロイドを確認させてもらうことがある。(これは今回の帝王切開のためにみせてもらうのである)できれば、そのケロイドをきれいに取り除いてあげたいが、結果としてまたケロイドになることも多い。これは建ての傷の宿命であろう。

とはいえ、縦の傷であっても、ケロイドにならず、目立たない人もいることも事実である。こればっかりは、その人の体質、縫合した人の技量の問題、術後の感染の有無などの複合的な要因によるものであろう。

DSCN6338 (640x480)

個人的には、横の傷のほうが回復も早いと思っているので、基本は横の切開をお勧めしている。私が縦の切開をするのは、以前の帝王切開が縦の切開である場合と、本当の緊急帝王切開の場合のみである。少し時間に余裕があるのであれば、数分程度しか変わらないので、横切開をすすめている。

さて、まず皮膚を横に切って、脂肪層も横に切る。そして筋膜にたどり着く。私の場合、この筋膜も横に切るけれど、施設によってはここで筋膜から脂肪層をヘソ下から恥骨上まで剥離して、筋膜を縦に切ることもある。以前私もそうしたこともある。

こうすると、あとの行程は縦に切っている場合と変わらないのである。しかし、これをすると、時たま脂肪層が均一にはがせないと後々に面倒なことが生じることがある。(血腫やお腹の不均一性)

なので、私は筋膜は横に切る。しかし横に切ると、その次の行程である筋膜と腹膜の剥離が次第に複雑になるの。1回目はいいけれど、2回目の帝王切開時にそこが瘢痕化して少し大変になり、3回目の帝王切開だとさらに大変なことになることが多い。なので、現在横に切る帝王切開は3回までにしてほしい、と妊婦様にお願いしている。

縦の傷はその点は楽である。皮膚の問題さえなければ、縦の傷のほうが皮膚下の問題で悩まされることはない。でも、術後に縦の傷が治りが悪く、外来に数日通院してもらうといのも微妙なところである。ただし、横の傷でも時に治りが悪く、外来に通ってもらう場合もあるのは事実である。(頻度は圧倒的に横の傷のほうが治りがいい)

縦の傷であっても、横の傷であっても、開腹するまでにいくつかの注意点を守れば何ら支障はない。ただいくつかの点を怠ると、児が大きい場合に少し大変なこととなる。十分な傷の長さ、皮下の緊張のある部分の十分な展開が守れないと、少し困る。これは常に心掛けている。

さて、お腹の中に達してからの話は、次回としよう。


DSCN6334 (640x480)

さて、写真は院長の好物”あんこ”である。友人から虎屋のアンペーストとフランスパンとバターをいただいた。これはつまり、こうやって食べてもいいよ、ということであり、またパン屋さんで購入することも可能なハイカロリー餡バターを自宅でお手軽に作れるということでもある。

パンのサクサクと、口の中で溶けるバターと、それと混ざった餡子の味と、最高であるけれども、カロリーは高い。でもとまらない、という禁断のパンである。友人に感謝、

お産後に、会陰部を診察して、縫合して、やれやれと一段落である。厳密にいえば、産後の出血と血腫に注意しながら状態を観察して、産後2時間と産後1日目に診察をする。経過中に異常があれば、その対応を行うこととなる。

産後4日目に再度診察を行い、この際に抜糸となる。抜糸するためには、糸のどこかをハサミで切断する場所を探さなければならない。私の場合、マットレス縫合を通常行うので、皮膚に露出している糸の部分があり、うまい具合に行くと、その部分だけを狙ってハサミでちょんちょんと切ればいいので、その場合はあまり痛くない(と思う)。

しかし、糸の露出がなければ(つまり縫合時にそこをぎゅっと締めていれば、ゆるみが少ないので、露出がない)m糸のどこかを引っ張って、切りしろを見つけて切断しなければならない。糸を引っ張るから痛いであろうと思う。

これは帝王切開においても同様である。ただし、帝王切開においては、現在初めての皮膚切開の場合のみホッチキス(ステープー)を使用しているので、この場合は思ったほど痛くない。2回目以降は原則としてナイロン糸で縫って、4日目に抜糸なので、抜糸時は同様である。

よく言われのであるが、抜糸時に麻酔をしてほしい、と。しかし、麻酔をするためには、局所を小さい針で刺すことになるので、それも痛いし、それなら瞬間的な痛みなので、我慢してほしいとお願いしている。即効性の浸潤性の麻酔、あるいは蚊の針による極小針なら痛くないかもしれないけれど、その麻酔による副作用も考慮すれば、不必要な薬剤は避けたいので、やはり無麻酔ということになるか、と。

なお、以前は帝王切開の抜糸は術後7日目、経腟分娩の方は産後5日目に抜糸していた。しかし、皮膚を縫った糸の跡が残るので、できるだけ早期の抜糸をと考え、現在帝王切開も産後の方も4日目の抜糸としている。

また生体糊による修復、特殊な抜糸扶養の糸による縫合など、いろいろあるけれども、やはり創面の癒合(特に上皮の癒合)という観点と、私自身でできることでという観点で(私は形成外科医ではないので)、現在のスタイルに落ち着いている。

抜糸をされると当然痛いので、抜糸直後は皆様顔が引きつっている。しかし、その数時間後には、糸の引っ張り感から解放されたこと、そしてなによりも抜糸という関門を突破したことで、皆様顔が明るくなり、行動も楽になっているように思われる。
DSCN2932 (640x462)

例年ならそろそろビオラを植えているはずである。しかし、今年は自前で種から育てようと思ったために、大きく遅れた。種から育てたビオラは、まだとてもこの様な状態には遠い。

あと1か月待って、ダメならやはり苗を購入しよう。

↑このページのトップヘ