2018年01月

日曜日にいとこの内輪の披露宴があり、それに招待されていた。なので、院内待機の先生のお願いして、行くつもりで用意していた。すると、数日前に恩人二人の訃報の連絡があり、披露宴の前に一人お別れの会に参加して、月曜の夜にお通夜に行く、という予定であった。

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土曜の夜に破水の入院があり、朝までに生まれそうにない。そして私は原則として、当院で出産予定をされている方のお産には立ち会う方針である。なので、お別れの会は断念して、披露宴もあきらめた。ようやくお昼までに生まれたので、それから遅ればせながら、参加した。

月曜は、早朝から一人二人と生まれて、夕方までに4人生まれた。で、実はもう一人いて、生まれそうにないと思っていたら、その人も午後7時までにようやく生まれた。それからお通夜に行こうと思えば行けたけれど、お通夜の式自体は午後7時開始であること、当院からその斎場迄の時間を考慮し、あきらめた。(ただし私の代わりのものにこちらは参加してもらった)

このように、私があれこれ予定していて、予定通りにできることもあれば、やはりできないこともある。まこれが仕事だから、と思うし、そして陣痛が来て入院した方の立場になれば、いきなり代わりの医師が現れても、とも思う。そしてなにより、妊婦様のお産に立ち会うと決めたのは私であるし、それは大切なお約束であると思うので、仕方がない。

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玄関わきの白梅もそろそろつぼみが膨らんできた。ここ数日寒いし、咲くのはもう少し先だとおもうけれど・・・

そういえば、予定通りにいかないのは、旅行も同じである。昔々、どこそこを予定していたけれど、台風に予定を妨げられたことも一度ならずある。で、無理していっても、いいことはないわけで・・。でもそれもまた思い出として残ることでもある。

願うならば、いつの日か、台風が来ても過ぎ去るの待って、というようなゆったりした気分で、半年くらいどこかの南の島に滞在したいな、と思っている。狙っているのは、ハワイ、ガラパゴス、タヒチ、キリバス、バハカリフォルニアなどである。

戸島小山には史跡が意外と多い。新託麻四国88ヶ所めぐりもその一つであり、他にも結構ある。たぶん、これはまだ戸島・小山村のころに史跡としてある程度の保存がおこなわれていたため、熊本市編入後もそのままのこったということではないか、と思っている。

そしてこれだけの史跡がいくつかの場所に集中しているということは、昔からこの界隈に人の集まる何かがあった、ということであろうと思う。

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j県道戸島線の葉山のバス停のそばに、小高い場所があって、樹木が茂っている。掲示用のこの様なものがあり、羽山天満宮と葉山遺跡とある。文章からすると石器時代の痕跡があると記載がある。

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昭和63年に参道の改修が行われたとある。たぶん近隣の方々の尽力によるものである。

しかし、そこに平成28年の熊本地震で、この戸島小山地区の古い建物は大きなダメージを多数蒙った。この羽山神社(天満宮)もその例外ではない。

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お社の前の柱は浮いている。

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震災後に可能な範囲で修復されたというところであろう。人手とお金がまだまだ必要である。しかし、この界隈にそうした場所は少なくないので、とてもまだまだ復興はというところであろうか。

復興のため、解体された住居も多く、そのため建物の影に隠れていた施設も目につくようになった。でも壊れたままで何かがそこにあったくらいしかわからない場所も多い。

そうした戸島小山地区の史跡を、自転車に乗ってめぐってみることにした。(託麻新四国88ヶ所めぐりもその一環として)。何分、資料が乏しく、地図も地元の人にはわかるかもしれないが、私にはなかなか難しい。でも、やってみれば新たな発見もあるであろうし、道も広がることであろう。

そしてなにより、体を動かすことが一番である。戸島山の頂上でたべたおにぎりは美味しかった。体を動かして、なにかをして、腹減った、と感じられれば一番である。あとはその時間に及びのかからないことを願うが、こればっかりは仕方がない。なので、いつ呼ばれても帰れる範囲で、そして自転車で行動することとした。

毎年今頃、蝋梅と水仙に出会う。しかし、今年は水仙を植え替えたので、まだ咲いていない(そろそろ咲きそうであるけれどもあ)。

蝋梅は、この寒い時期に咲くこと、その淡い黄色、芳香などより個人的に好きで、どうしてもこの時期にさがしてしまう。

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この花は下を向いて咲く。そのため、この花をきれいに見ようと思ったら、下から見上げなくてはならない。そうすると背景が青空だとちょうどいいのである。青い空と、淡い黄色、そして漂う微香と。できれば咲き始めのころがいいかな、と。

クリニックの中庭の蝋梅もようやく咲き始めた。

次は水仙、白梅、クロッカス、ハナニラと続くかな、と。(これは院内での花の順番)

ここ1連の帝王切開の山場を超えた。(2週間で9件)。朝から天気もいい。お産の待機者もいない。よしそれでは、と。

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これが戸島山の南側にある戸島神社の参拝の道。ちなみに、自転車でここまでいって、それから自転車を担いで登った。

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この参道を登るのは少しきつかった。

のぼると戸島神社の本殿。

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横の道から、戸島山にのぼる。

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標高133mとある。

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ここから下界を見下ろすると、こんな感じ。

でさらに望遠をきかせると、当院が見える。

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さて、こうやって山に登るまであちこち移動して、腹も減った。頂上で蝋梅の匂いを味わいながら、おにぎりをたべる。

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たぶん蝋梅の匂いに誘われて登っているのかもしれない。

さて、帰りは別方向へ降りる(だから自転車を担いだ)。託麻新四国88ヶ所めぐりをちょっとしてかえる。午後も天気が良かったので、車の洗車をして過ごした。久しぶりに平穏な一日であった。


ま、これはしかたのないことであるけれど、時に当院の2階のフロアに、”痛い”という叫び声が響くことがある。

鼻からスイカが出るくらい痛いという表現をどこかで見たような気もするけれど、それくらい痛いのであろう。残念ながらというべきか、男でよかったというべきか、私は性別上男性であり、その分娩を体験することはできない。

2017年は590件のお産があり、ただ当院で、お産にたずさわる身としては、昨年は年間590のお産を横から眺めていたことになる。

この590の中には、106件の帝王切開があり、203件の無痛分娩があり、残り281件の通常の分娩があった。で、その中で1件だけ私の都合により立ち会えず、黒田先生にお願いしたので、280件のお産に立ち会って、縫合したこととなる。(昨年は、自宅出産はなかった)

自然な分娩であっても、つるりと生む人もいるし、眠れない思いをして産む人もいるし、やはり叫ぶ人もいるのである。こればっかりは、仕方がない、と思う。

お産という極限の状況であれば、やはりどうしてもその人の本性が出るようなきがする。でも、となるとつるりと自然なスタイルで生む人もいるわけで、そういう人は根本が常に平静なのかもしれない。あるいは隠しおおせているのかもしれない。

一方叫びだすと、次第にそれはエスカレートしていくようで・・・。自己陶酔というわけではないけれど、一線を超えてしまうと、青天井となるような気がする。叫ぶだけでもつかれるであろうに、そして叫んだからといって、お産が早く進むわけではない。でも叫ばずにはいられない、ということであろう。

そして二人目、あるいは三人目だから落ち着いてお産ができる、というわけでもない。時にお産に子供を立ち会わせるお母様がいら者るわけであるけれど、あまりの痛さに子供の前でも大きな声で叫んでしまう場合もないわけではない。

ただ、そうなると子供のお母さんを見る目が少し変わるようで、お子様をお産に立ち合わせる場合には、できるだけ平静を保つようにお願いしているし、不可であれば無痛分娩にすることをおすすめする。また、夫や実母に痛いと叫んでしまう自分をさらけ出したくないのであれば、そういう場合にも無痛分娩をおすすめする。

なお、誤解の無いように付け加えておくと、お産で叫んでいけない、ということではない。叫びたければ叫んでもいいけれど、そのままお産となってしまうと、余計なところに力が入って、産後に筋肉痛と咽頭痛になやまされることであろう、と私は心の中で思っている、ということである。(ちなみに、これまで産後に声が出なくなるほど叫んだ人にはまだであったことはない)

叫ぶお産であろうと、叫ばずに淡々と進むお産であっても、そして無痛分娩であろうと、帝王切開であろうと、お産に変わりはない。できれば、そうしたお産の経験が、妊婦様自身の人としての成長につながればと願っている。

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これは阿弥陀如来。斎場の入り口に鎮座するせいか、きちんとお参りの用意がしてある。ただ、花は萎れていた。

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