2018年02月
もつ鍋
福岡に住む前には、もつ鍋といわれてもあまり好みではなかった。しかしそのご福岡界隈に5年ほど住んだ。その際に知人連れてもらったのが、もつ鍋、水炊きである。現地で食べて、その美味しさにびっくりした。以来、よく利用した。
当時、博多区のおおやまが一番の好みであった。当時はこのお店1件だけで、支店はなかったと思う。もつ鍋と焼酎で、至福の時間であった。ほかに山中にもいったような気もするが、結局このおおやまが一番のお気に入りで、決して便利な場所ではなかったが、確か中州のそばであったような気がする。いついっても、お客さんが多かった覚えがある。
福岡を離れ、熊本で開業しているときに、熊本に”大山”というもつ鍋屋ができた。同じ名前だな、と思ったし、博多風もつ鍋とあるので、このおおやまと関係がるのかもしれない。上乃裏通り店、九品寺店と数回利用した(最近九品寺店はなくなったようであるが)
ただ、最近は足が遠のき、お取り寄せとしていた(これは私の足が、座敷設定に堪えられなくなったためである。現在座敷胡坐をかいて座ると、翌日膝が痛くなる、加齢というか、古傷というか・・)。で、寒くなり、もつ鍋食べたいとネットで探したら、博多のおおやまのお取り寄せセットがあった。早速注文する。
土曜の夜は、もつ鍋であった。
確かにもつ鍋はうまいのである。私の場合、もつ鍋の中心は、キャベツとゴボウと豆腐であり、だしのもととしてモツがあればいい、程度のものである。つまりニンニクのみそ味の野菜鍋という感じである。
問題は、食べた後の私自身の匂いと、そして部屋で食べる場合、部屋にこもる独特の匂いである。この匂いを消すのが大変であるけれど・・・・。でもやはりやめられない、と。
そういえば、これでも福岡にいたころのもつ鍋で怪しげなお店があった。お店は古いお店で、天神から裏道に入ったところにある。中には老婦人が一人で切りも利するお店で、モツとニラしかない。おまけに、その老婦人の教育的指導で、最初はニラ場から食べろと。ニラのお代わりを重ねること数回、ようやくモツを食べていいい、という許可が出る。
いろいろなもつ鍋屋さんがあるものである。
私好みは、やはりキャベツとゴボウと豆腐と少々のモツ。辛いのは苦手なので、唐辛子はいれない。
掛け軸
クリニック内が味気ないから、と借用した。で、毎年この時期飾っていたのであるが、よく見るとあちこち傷んでいた。(これは借りておきながら、保存が悪い私の責任である)
で、12月末に骨董品屋さんに補修をお願いした。少なからぬ額の補修費用であった。ということは、この掛け軸のお値段はということになるけれど、しかしこうしたものの価値は人によって異なるものであろう。
これが1万円といわれても、100万円といわれても、専門家からそういわれたら、はいそうですか、としか答えられない程度の私の審美眼であり、力量である。こちらの方面に詳しくなるつもりはないけれど、四季折々にということで、今回あと2点補修してた(こちらは色紙を額にいれた)。
骨董品屋さんから、埃をきちんととって(はたきではたいて)、年に1回陰干しをといわれた。今回収納用の桐箱もきちんと補修したので、これで3月3日が終わったら、はたいて、陰干しをして、収納予定である。それまでの間、クリニックのレストランにて。
公開講座
どうしようかな、と迷っていたが、思い切って参加してみた。
4回講座で、月に1回11月から毎月あっていたようで、2月の最終回にようやく参加できた。
講座の内容は、残念ながら、私には少し難しい真言宗の講義の初心者向けのようなものであった。たぶん1回目が、88ヶ所めぐりの経緯を述べるものであったであろうだけに、残念であった。
しかし、参加することで、他の参加者との会話の機会があった。で、その結果私なりに88ヶ所めぐりに関する知識が深まった。
4月7日に年1回の全88ヶ所めぐりがあるらしく、参加をと呼びかけられのであるが、その日は土曜日で、たぶん診療もあるし、帝王切開も予定していたような気がするのでお断りした。
ちなみに、88ヶ所ちゅう、2か所は失われた場所であるらしい。最近1か所はわかった、と。あと1か所を探索中と。そしてこの88ヶ所めぐりを周知している方々は、どうもその88ヶ所のめぐりに何らかの関係のある人のようであった。
託麻新四国88ヶ所めぐり再開
今回は今後のことも考え、そのマップに基づく全88ヶ所踏破コース17kmを順にたどることとした。さすがに歩くと大変そうだし、万一呼ばれることも考え、自転車で回ることとした。
起点は、ここ託麻のまちづくりセンター(東区役所 託麻出張所)とした。たぶんここが昔の託麻村(小山村、戸島村、廣畑村の合併)の役場跡では、と思っている。ということは、この前の道路が、以前からの地域の基本的な堂であったのであろう。
そこに高速道路の建設とインターチェンジの設置、さらに地域の荒廃と新興がかさなり、以前の痕跡が残る形となったと推測する。
マップ一番目が薬師如来である。ここは、他人様の宅地内であること、門に仕切りがあり、中に入ることはできない。
さて、インターチェンジの下をくぐって次なる2番目に。しかしなかなか見つからない。地図があってもみつからないのであるから、私にはグレートレースの資格はないことを改めて痛感する。
ここはきれいに整備されている。順路に従い、3番から15番までは見つかった。
15番目の千手観世音菩薩さまは、きれいに整備された竹林の中に、安置され、お社もきれいで、きっと所有者の方が大切に手入れをされているのであろうと思った。(基本的には、この88ヶ所に安置される菩薩さまなどにはすべて所有者名が記載されていて、その方が管理されているのであろう)
さてここからが、地図の読み方がわからず、16番がみつからない、。あっちいって、こっちいって、と。でようやく見つかった、と思ったら、神園山荘に到着。ちなみに”しんえんさんそう”と思っていたが、”こうぞのさんそう”かもしれない。
くろうした16番目は、この88ヶ所めぐりの第1番と記載がある。ということは、ここから回り始めたのかもしれない。しかし、番所の番号通りにいくと、あっち行って、こっちいっての繰り返しなので、このマップに従う。
19から25番まではスムーズにみつかる。途中不動岩と不動明王にも出会う。(ここら辺は以前狸に遭遇した場所でもある)
で、次の25番目に苦労してが、ようやくみつかり、28番目まで回った。時間は午後5時前。約3時間弱の自転車散策であった。そろそろ入院もあるころだしと、帰途につく。
マップがあって、自転車があってこそ可能なことであった。これをマップなしに、歩き回れば、とんでもないことになったであろう。次回は、またのどこかの好天の日曜に。体を動かし、そして地域の歴史を知る機会と考えれば、有意義な時間であると思う。