2018年07月

7月16日、午後1時にクリニックを出て、午後5時に帰宅。残り40か所を、パンク修理した自転車とともに巡った。


まず、前回見つけられなかった34番礼所 薬師如来から。今回も残念ながら見つけられなかった。でもここかな、と。よそ様のお家の中の様で、声をかけてみたけれどお留守のようで・・・。遠くからわかる範囲でと。

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さて本来ならここで、54番礼所の不動明王に行くべきであるが、前回道がわからなかったので、反対方向から回ることとする。

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葬祭場のそばにある57番礼所阿弥陀如来。ここだけ金箔?がはってあった。

以下順路沿いに多数見つかる。しかし、熊本地震で被害となり、解体された場所が目立ち、そのため1か所(80番礼所千手観世音菩薩を見つけられなかった。

そしてついに49番礼所 釈迦如来に到達する。

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ここが、私の託麻新四国88ヶ所めぐりの発端である。去年の秋ごろ、見つけて、こんなものがあるのだと、思って興味を持って、探しはじめた。しかし、当時は正確な地図がなく、苦労した。

51番礼所薬師如来から、楳谷寺までの順路はとても通れそうになかった(地図にも歩行注意と記載がある)。で、いったん順路を外れて、楳谷寺いく。ここのその住職様に、裏山の54番礼所 不動明王への道を伺う。

納骨堂の横の細い道を上がっていく。途中で道が途切れたような気がして、あちこち探す。見つからない。返ろうかとしていた時に、また小道に出会う。その小道を上がっていくと、あった。

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この場所から、上がるのがまた大変。夏草が生い茂り、足元がよくわからない。でもようやく到達。30分ほど探し回った。

やぶ蚊とクモの巣にまみれ、おまけに体力消耗。もうこれでやめようかとも思ったが、なんと下山。セブンイレブンで一息入れた。そして小山山を離れ、戸島方面へ向かう。

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戸島山の登山口のふもとにパラソルをさした15番礼所の薬師如来。祠が地震でこわれたのか、と。

ここから38番礼所 千手観世音菩薩に行く道は、また夏草でよくわからないので後回しにする。そして昨年見つけられなかった33番礼所 薬師如来、55番礼所 大通智勝如来も見つけることができた。そして最後にまたクモの巣を払いながら、38番礼所 千手観世音菩薩に到達した。

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これにて終了である。

都合3回に分けて、自転車を使って、ようやく回ることができた。残念ながら、発見できなかった礼所もある。また88ヶ所といいながら、2か所は行方不明とも聞いている。

この神園山。小山山、戸島山の地域には、こうした礼所があり、廃寺がり、他にもさまざな史跡がある。よく目妊したのは、猿田彦の名前で、数か所で見かけた。

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また、地域の住宅に、結構小さな祠が祭ってある御家も多い。

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これはこの地域の、旧来からの信仰の厚い地域であったからかもしれないし、そうでないかもしれないが・・・

今回昨年できなかった88ヶ所めぐりがようやくできたのは、やはりより正確な地図とそれに掲載された順路のおかげであった。

さて、ようやく帰途につき、帰ってから冷たいふろに入って体を冷やし、水分を補給した。ちょっとだけ祝杯を挙げて疲れ切った体で床についた。

7月15日は朝からクリニックの雑用をこなして、昼過ぎにようやくひと段落。14時まだ暑い。で、その暑い中を自転車で、クリーニング屋さんとダイレックスとビデオ屋さんによって、帰る。15時である。少し日も陰り始めたと、まずは道路側の草取り。

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ここは本来県道の路側帯であり、私の所有区域ではない。しかし、ここが放置され、ここに雑草が茂ると、ここに不思議なことにごみが増えていって、風の吹く日には当院に流れ着く。なので、他人様が気にする程度に手入れをすることにした。

私自身も若干の目的があり、雑草を抜いて、お目当ての草花を育てたい。なかなか構想通りにはいかないけれど、それはそれで、と。8月になれば、構想が半分くらい成就するかなと、期待しているが・・・。

次に裏庭。こちらには明確な目的がある。

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なんてたって、採れたてのこの豆をゆでて食すること、これに限る。そろそろ鞘も太くなってきた。らいしゅうくらいかな、と。ただここにも、雑草が茂っている。

ということでこちらもおていれ。すこしでも日が当たって、いい実がなりますように、と。終了後にちょっとだけ散水。

ここまで約3時間の野外活動。汗をかいて、さすがにつかれた。

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夕暮れ時である。で、クリニックの新館の部分に腰を下ろすと、ちょうど木陰となっている。

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でおもむろに、これ。

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さて、これで来週は美味しい採れたての枝豆と。

本当はインゲンも作っていたが、こちらは枯れた。また、この裏庭は風が強いので、丈の高い作物は難しい。だからこの枝豆は成功。来年もまたやろう、と。

前回の話の続きである。

世の中には、資格を取ることが趣味のような人がいて、この資格を持っています、この資格ももっています、というような人がいらっしゃる。確かに、資格を持っている、それは正しい。

しかし、その資格に該当する技量の持ち主か、と尋ねられればどうであろうか。わかりやすく医師で考えれば、医師国家試験に合格すれば医師である。しかし、それは国の認めた資格ではあるけれど、そこに十分な技量や経験がないと、その資格は意味を持たない。仮に、国家試験に合格した、医師として開業した、だから成功するか、と。

医師として道を歩むのであれば、その判断や治療が適切に正確におこなえるかどうか、が大切なことであるとおもう。その判断ができなければ、医師としての資格を持っていても、その実践のできない能力の伴わない、医師ということになる。

世の中にはさまざまな資格があって、だからこそその資格をきちんと維持して、適正な形で表現できるためには、その維持・継続にそれなりの修練が必要であり、そこの努力を怠れば、その資格に値しないこととなりかねない。

だから、沢山資格を持っている人は、それなりにきっと努力をするのであろう。肩書の多い人は、大変であると思う。名誉職ならいいけれど・・・。でも、きちんと努力するからこそ、評価されるのであろうし、その資格を有効に生かせるのであろう、と思う。

当然その修練を怠っている人には、あまりそうした資格を持っていると言ってほしくないな、と個人的には思うけれど、それで相手を非難するつもりはない。自己の能力を適切に冷静に評価して、それが不適切であれば、おのずとそうした方々とのお付き合いは減るだけのことであろう。

私の場合は、産婦人科専門医の更新で精いっぱいであり、あとはできれば趣味の分野でと願っている。自分で責任をもって行動できる範囲で、と。

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こちらは趣味の裏庭。枝豆第二陣も仕上がりつつある。来週くらい収穫できそうである。

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私が熊大の医学部を卒業したのは、昭和60年の3月であったと思う。1月から2月は卒業試験で、それから医師国家試験の勉強をして、たぶん医師国家試験は4月1日頃で、合格発表はGW明けであったような・・。

当時私の所属することになった、熊大の産婦人科は不思議な慣習があって、合格発表のまえに医局に集められ、雑用を命じられていた。手術時の外回りを手伝ったり、摘出した臓器の写真撮影や、切り出しを手伝ったりと、と。合格発表は、そうしたときに聞いて、そのまま働き続けた。

厳密にいえば、合格といわれても、まだ医師免許証が交付されて手元に届いたわけではないので、実際に届いて、そして保険医の登録をしてから、保険診療の可能な医師となるわけである。しかし、やはりこの時点では、資格を持っている医学部卒業生にしか過ぎない。

血管路の確保もできないし、お産の介助ができるわけでもないし、薬の処方さえもわからない。ま、新人であるから当たり前のことであるけれど、まず、他人様のまねをして、必要最小限の医学的手技を身につけることが第一歩である。で、一人前になったような気がして、鼻を高くしていると、さまざまな場面で、その鼻をこっぴどく折られるような事態に遭遇して、反省して、勉強して、また・・というような繰り返しで、少しづつ医師らしくなっていくと思う。

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別にこれは、医師に限らず何でもそうであろう。資格を取得することは、さしあたり勉強すればできる。しかし、実際のその資格に見合った技量が発揮できるのは、その修練を積んでからであると思う。そして失敗をしないままの経験では、やはり常に危うさが付きまとうわけで・・・。まさにプライドばかり高くても、いっちょん役に立たん、と悪評が立っていないかどうか、いつも気にしていたような気もする。

そして、この最初のトレーニングを怠ると、後々大変なこととなる。鉄は熱いうちに打て、というわけではないけれど、やはり最初が肝心である。最初が残念ながら不適切な環境であると、なまくら刀となる。で、それを鍛えなおすのは、本当に大変である。

現在あちこちで働き方改革が叫ばれていて、医師の世界もその例外ではないとされつつある。たしかに、働き過ぎはよくないけれど、でも私のような人間の場合(本来がずぼらな性格である)、やはり周囲がそのような多忙な環境に最初から身をおいておかないと、たぶんもっとええころ加減の医師になっていたような気がする。

なお、これは医師の働き方改革を非難するわけでも、医師の残業が許される、といっているわけではない。ただ私のような人間もいるわけで、そうした人のトレーニング環境としては、朝駆け、夜討ちの世界が必要であったと思う。

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これは先日パンクした、私の自転車である。数年前に購入した。ちなみに、初代は福岡からもってきたら、いつのまにか盗難にあった。雨風にさらされ、そしてこの通路を吹く風に時に倒され、そして80kg超の私の体重にさらされている。でも、タイヤも好感したし、ブレーキ一式も交換した。電動自転車ではないけれど、十分に乗れる。

私自身もかくありたいと実は思っている。見てくれは白髪交じりで、髪の毛も薄くなり、爺の領域となった。でもその心には冷静なハートをもって、淡々と日々の診療をこなす、と。

昨年(2018年1月から12月まで)に当院で誕生した新生児は、過去最高で590名であった。ということは、大体1日1-2名の新生児が生まれるということになる。ちなみにその間の帝王切開はおよそ100なので、1回/3日くらいの割合であろうか。

ということは、私の感覚として、週に2回の帝王切開があって、1日に2名の赤ちゃんが誕生すれば、今日のお仕事終了、という感覚になる。よく働いた、あとは一休み、と。

とはいえ、私の仕事は、医師としての仕事があるけれど、管理者としての仕事もあるし、施設補修の現場担当者でもある。昨日の水曜も、そうした仕事と帝王切開で終わった。

でも赤ちゃんが生まれない日もあるわけで、ということはその日には仕事をしたような気にならない。まして、赤ちゃんが生まれない日が数日続くと、不安となる。いつか、どこかに集中しないかな、と。

過去に最高1日6名生まれたことがある。これは未明の1時から、夜の12時までであった。また、1日3回の帝王切開も過去に1回。これは昼間に2件、そして夜遅く1件であった。また夜勤の時間帯(18時から9時まで)に3-4名生まれることもある。

仕事の負担を考えれば、均等化しているほうがいいけれど、そうなるとオンとオフの区別がつかなくなるし・・・。といって、お産の生まれる日を調節することは難しい。予定帝王切開ならそれも可能であるけれど、すべてのお産が帝王切開ではない以上、仕方がない。

ちなみに、過去に当院では計画出産を行っていたが、生まれな人が多く、かえって仕事が増えて病室と人手がたりなくなる、という結果のため、現在はおこなっていない。現在では、よほど遠方の人である、破水して時間が経過した、などの場合に限って行っている。

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確か渡辺美里にささげられたバラと聞く。どこかにmisatoと名前のある、ピンクのバラ。


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