予定日とは、妊娠した女性が過去の経験則にのっとり、大体そこら辺の日程で出産を迎えることの多い日である、というように私は理解している。
具体的には、妊娠した女性の最後の生理(月経)の始まった日を起算として、予定日が計算される。そして妊娠初期の胎児の大きさにより予定日が補正されることもある。また、高度補助医療技術で妊娠された方の場合、胚移植の日から設定されることもある。
以後の胎児の発育は、この予定日から計算される胎児の日齢・月齢から相当する発育と比較して相応するかどうかで、大きいとか、小さいとかの評価がされる。当然日本人と、体型の大きな外国の方では、同一に比較することはできない(巨大児の定義もアメリカと日本では異なる)。が、最近は日本人と外国の方とのハーフ・クオターなどの場合もあり、判断に迷うけれど、適切な資料もないし、そのまま日本人のスケールで考えることにしている。
さてこの予定日という表現が、誤解を招きやすいとも感じる。なぜなら、予定日なので、妊娠したらその日に生まれる、というように理解されてしまうと、ちょっと困ったことになる。何故予定日を超えても生まれないのか、予定日前に生まれたけれど大丈夫か、と。
冒頭に述べたように、大体この日くらいで生まれるであろう、という大まかな目安なので、別にずれても問題はないのであるけれど・・・・。
当院での妊婦健診時に、数回妊婦健診を行った後に、妊婦様から最後の生理が始まった日が覚え違いをしていた、といわれることもある。(私自身男性なので、生理はないけれど、生理が仮にあるなら、いつもその最後の生理の始まった日をきちんと覚えているか、といわれれば自信はない。)勘違い・記憶違いは仕方のないことであり、あとは初期の胎児の発育があっていれば、1週間以内の誤差であれば、OKという程度のものであると思っている。
予定日の迫った妊婦様にとっては、この予定日は切実な問題でもある。いったいいつ生まれるのか、と。出るべきものが出ないと、肉体的にも、精神的にも不安定である。早くすっきりしたいという気持ちは十分に理解できる。しかし、真の陣痛がこないかぎり、やはり生まれないのである。
以前は当院で計画出産を行っていた。予定日をめどに大体ここら辺で入院して、薬剤で陣痛を付けて、と。計画出産の場合、それで生まれればOKであるが、問題は生まれない人がいるという事実であった。陣痛を薬剤でつけて、生まれないなら帝王切開という方向に進むのであれば、全例生まれる。しかしやはり帝王切開は嫌だ、といわれれば、あとは自然に陣痛が来るのを待つしかない、ということになる。
いまでも、遠方の方、予定日が過ぎた方に、誘導・計画出産を行うことがあるが、その成功率は必ずしも高くない。なので、そこら辺を理解していただいて行うこととさせていただいている。
一方、この予定日をクリニック側から考えると、ある月の予定日が登録されい方が、その月の予定分娩数ということになる。月ごとの予約分娩数は、制限を行っていない現況では、大きくばらつきがある。その数を見ながら、今月は急がしいかも、などと考えるわけである。
で、問題は、月末が近づいていも、その分娩数の半数以上がのこっていると、????ということにある。転院した妊婦様が多ければ、それはそれで仕方のないことである。しかし、妊婦健診で確認するたびに、予定日がすぐなのに、という人ばかりだと、・・・・・。もしこれらの方々がまとまってきたら、とんでもないことになるよな、と時に思うこともある。
しかし、そこが不思議なところで、そう簡単に陣痛は来ないのである。なので私もこうやって平穏に毎日を過ごすことができる。でもここ数日はいそがしかったかも、と。
あれこれ考えても、仕方がないし、それにどこに行けるわけでもなし、ま、釣り人の心境で、ということになる。策を弄せず、ありのままを受け入れ、その中で自分の許容範囲内であればいいし、それが私の手に余る事態であれば、早目に搬送で、と淡々と日々を重ねる。
写真は、熊本城の城彩苑界隈である。昔私が小学生だった頃、ここにあった場内プールによく来ていた。今は緑のこの場所に軽自動車のホットドッグ屋さんがあって、ここで帰りがけにコーラとホットドッグ1本がごちそうであった。
そしてその横には総合庁舎が並んでいた。何の建物だろう、と感じてはいたが、そののち時に気になる存在となる国税局とはおもってもいなかった。ここも今は更地である。
向こうに第一高校がみえる。
こちらには熊本医療センターもみえる。
具体的には、妊娠した女性の最後の生理(月経)の始まった日を起算として、予定日が計算される。そして妊娠初期の胎児の大きさにより予定日が補正されることもある。また、高度補助医療技術で妊娠された方の場合、胚移植の日から設定されることもある。
以後の胎児の発育は、この予定日から計算される胎児の日齢・月齢から相当する発育と比較して相応するかどうかで、大きいとか、小さいとかの評価がされる。当然日本人と、体型の大きな外国の方では、同一に比較することはできない(巨大児の定義もアメリカと日本では異なる)。が、最近は日本人と外国の方とのハーフ・クオターなどの場合もあり、判断に迷うけれど、適切な資料もないし、そのまま日本人のスケールで考えることにしている。
さてこの予定日という表現が、誤解を招きやすいとも感じる。なぜなら、予定日なので、妊娠したらその日に生まれる、というように理解されてしまうと、ちょっと困ったことになる。何故予定日を超えても生まれないのか、予定日前に生まれたけれど大丈夫か、と。
冒頭に述べたように、大体この日くらいで生まれるであろう、という大まかな目安なので、別にずれても問題はないのであるけれど・・・・。
当院での妊婦健診時に、数回妊婦健診を行った後に、妊婦様から最後の生理が始まった日が覚え違いをしていた、といわれることもある。(私自身男性なので、生理はないけれど、生理が仮にあるなら、いつもその最後の生理の始まった日をきちんと覚えているか、といわれれば自信はない。)勘違い・記憶違いは仕方のないことであり、あとは初期の胎児の発育があっていれば、1週間以内の誤差であれば、OKという程度のものであると思っている。
予定日の迫った妊婦様にとっては、この予定日は切実な問題でもある。いったいいつ生まれるのか、と。出るべきものが出ないと、肉体的にも、精神的にも不安定である。早くすっきりしたいという気持ちは十分に理解できる。しかし、真の陣痛がこないかぎり、やはり生まれないのである。
以前は当院で計画出産を行っていた。予定日をめどに大体ここら辺で入院して、薬剤で陣痛を付けて、と。計画出産の場合、それで生まれればOKであるが、問題は生まれない人がいるという事実であった。陣痛を薬剤でつけて、生まれないなら帝王切開という方向に進むのであれば、全例生まれる。しかしやはり帝王切開は嫌だ、といわれれば、あとは自然に陣痛が来るのを待つしかない、ということになる。
いまでも、遠方の方、予定日が過ぎた方に、誘導・計画出産を行うことがあるが、その成功率は必ずしも高くない。なので、そこら辺を理解していただいて行うこととさせていただいている。
一方、この予定日をクリニック側から考えると、ある月の予定日が登録されい方が、その月の予定分娩数ということになる。月ごとの予約分娩数は、制限を行っていない現況では、大きくばらつきがある。その数を見ながら、今月は急がしいかも、などと考えるわけである。
で、問題は、月末が近づいていも、その分娩数の半数以上がのこっていると、????ということにある。転院した妊婦様が多ければ、それはそれで仕方のないことである。しかし、妊婦健診で確認するたびに、予定日がすぐなのに、という人ばかりだと、・・・・・。もしこれらの方々がまとまってきたら、とんでもないことになるよな、と時に思うこともある。
しかし、そこが不思議なところで、そう簡単に陣痛は来ないのである。なので私もこうやって平穏に毎日を過ごすことができる。でもここ数日はいそがしかったかも、と。
あれこれ考えても、仕方がないし、それにどこに行けるわけでもなし、ま、釣り人の心境で、ということになる。策を弄せず、ありのままを受け入れ、その中で自分の許容範囲内であればいいし、それが私の手に余る事態であれば、早目に搬送で、と淡々と日々を重ねる。
写真は、熊本城の城彩苑界隈である。昔私が小学生だった頃、ここにあった場内プールによく来ていた。今は緑のこの場所に軽自動車のホットドッグ屋さんがあって、ここで帰りがけにコーラとホットドッグ1本がごちそうであった。
そしてその横には総合庁舎が並んでいた。何の建物だろう、と感じてはいたが、そののち時に気になる存在となる国税局とはおもってもいなかった。ここも今は更地である。
向こうに第一高校がみえる。
こちらには熊本医療センターもみえる。