2019年04月

予定日とは、妊娠した女性が過去の経験則にのっとり、大体そこら辺の日程で出産を迎えることの多い日である、というように私は理解している。


具体的には、妊娠した女性の最後の生理(月経)の始まった日を起算として、予定日が計算される。そして妊娠初期の胎児の大きさにより予定日が補正されることもある。また、高度補助医療技術で妊娠された方の場合、胚移植の日から設定されることもある。

以後の胎児の発育は、この予定日から計算される胎児の日齢・月齢から相当する発育と比較して相応するかどうかで、大きいとか、小さいとかの評価がされる。当然日本人と、体型の大きな外国の方では、同一に比較することはできない(巨大児の定義もアメリカと日本では異なる)。が、最近は日本人と外国の方とのハーフ・クオターなどの場合もあり、判断に迷うけれど、適切な資料もないし、そのまま日本人のスケールで考えることにしている。

IMG_0128 (1280x960)

さてこの予定日という表現が、誤解を招きやすいとも感じる。なぜなら、予定日なので、妊娠したらその日に生まれる、というように理解されてしまうと、ちょっと困ったことになる。何故予定日を超えても生まれないのか、予定日前に生まれたけれど大丈夫か、と。

冒頭に述べたように、大体この日くらいで生まれるであろう、という大まかな目安なので、別にずれても問題はないのであるけれど・・・・。

当院での妊婦健診時に、数回妊婦健診を行った後に、妊婦様から最後の生理が始まった日が覚え違いをしていた、といわれることもある。(私自身男性なので、生理はないけれど、生理が仮にあるなら、いつもその最後の生理の始まった日をきちんと覚えているか、といわれれば自信はない。)勘違い・記憶違いは仕方のないことであり、あとは初期の胎児の発育があっていれば、1週間以内の誤差であれば、OKという程度のものであると思っている。

予定日の迫った妊婦様にとっては、この予定日は切実な問題でもある。いったいいつ生まれるのか、と。出るべきものが出ないと、肉体的にも、精神的にも不安定である。早くすっきりしたいという気持ちは十分に理解できる。しかし、真の陣痛がこないかぎり、やはり生まれないのである。

以前は当院で計画出産を行っていた。予定日をめどに大体ここら辺で入院して、薬剤で陣痛を付けて、と。計画出産の場合、それで生まれればOKであるが、問題は生まれない人がいるという事実であった。陣痛を薬剤でつけて、生まれないなら帝王切開という方向に進むのであれば、全例生まれる。しかしやはり帝王切開は嫌だ、といわれれば、あとは自然に陣痛が来るのを待つしかない、ということになる。

いまでも、遠方の方、予定日が過ぎた方に、誘導・計画出産を行うことがあるが、その成功率は必ずしも高くない。なので、そこら辺を理解していただいて行うこととさせていただいている。

IMG_0126 (949x1280)

一方、この予定日をクリニック側から考えると、ある月の予定日が登録されい方が、その月の予定分娩数ということになる。月ごとの予約分娩数は、制限を行っていない現況では、大きくばらつきがある。その数を見ながら、今月は急がしいかも、などと考えるわけである。

で、問題は、月末が近づいていも、その分娩数の半数以上がのこっていると、????ということにある。転院した妊婦様が多ければ、それはそれで仕方のないことである。しかし、妊婦健診で確認するたびに、予定日がすぐなのに、という人ばかりだと、・・・・・。もしこれらの方々がまとまってきたら、とんでもないことになるよな、と時に思うこともある。

しかし、そこが不思議なところで、そう簡単に陣痛は来ないのである。なので私もこうやって平穏に毎日を過ごすことができる。でもここ数日はいそがしかったかも、と。

あれこれ考えても、仕方がないし、それにどこに行けるわけでもなし、ま、釣り人の心境で、ということになる。策を弄せず、ありのままを受け入れ、その中で自分の許容範囲内であればいいし、それが私の手に余る事態であれば、早目に搬送で、と淡々と日々を重ねる。

IMG_0127 (1280x918)

写真は、熊本城の城彩苑界隈である。昔私が小学生だった頃、ここにあった場内プールによく来ていた。今は緑のこの場所に軽自動車のホットドッグ屋さんがあって、ここで帰りがけにコーラとホットドッグ1本がごちそうであった。

そしてその横には総合庁舎が並んでいた。何の建物だろう、と感じてはいたが、そののち時に気になる存在となる国税局とはおもってもいなかった。ここも今は更地である。
IMG_0129 (1280x959)

向こうに第一高校がみえる。

IMG_0130 (1280x956)

こちらには熊本医療センターもみえる。


4月20日は午前の外来が少し多く、そのまま午後の帝王切開へと。ようやく帝王切開が終わったとおもったら、16時。好天の午後、いくつか果たしたい用事があったけど、時間の都合で一つに絞る。午後の外来は青木先生にお願いして、と。

生まれないだろうと思っていた方が、予想外に分娩が進行し、お産になるかもしれません、といわれて急きょ帰る。土曜の夜に夜お産となる。日曜の朝には帝王切開があって、それからもう1例お産があって、ようやくひと段落。日曜午後に参加したい講習会があり、青木先生に以前から待機をお願いしていたので、会場に向かう。こんなにいい天気なのに、と思いつつ・・・。

IMG_0114 (1280x947)

少し会場に早く着いたので1時間程度時間が余った。なので御堀端を少し歩いてみる。長塀はあちこち補修中である。
IMG_0124 (1280x958)

このような場所もまだある。

IMG_0115 (1280x940)

こちらの方向に足を延ばせば、旧NHK会館下のつづじに出会う。

IMG_0119 (1280x958)

IMG_0120 (1280x958)

そうか、立入禁止か、と思いつつ、ちょっと階段を上ってみる。

IMG_0121 (1280x959)

このNHK会館が使われていたころは、確かつづじはきれいに手入れをされていた。今は少し雑草も目立ってきた。でも、やはり昔通りに咲いていた。

そのあと13時に県医師会館に戻り、それから17時30分までみっちり講習会であった。天気もいいけど、つかれたので、そのまま帰った。

人生においても様々な事象が重なることもあれば、平穏な日々が続くこともある。クリニックの日々においても同様で、お産が重なることもあれば、病棟に赤ちゃんの声が途絶えることもある。こうしたことは天の配剤と考え、決してクリニックの不評が広まってお産の数が減ったなどと考えないようにしている。

DSCN2185 (1280x961)


不思議なもので、年によっても、月によっても、そして日によっても、生まれる赤ちゃんの数に変動がある。よく言われることが、満月の大潮の日は生まれる人も多いでしょう、と尋ねられることもある。確かに人間のさまざな営みの中には、月の運行と関与している面もあるかもしれない。が、大潮と満月なら、それでは大潮の時間は1日に2回、地域によって少しづつずれていくから、そのような事象が世界中で起こるとは私には理解しがたい。ましてや、それでは新月の時にどうなるか、と。

なので、あまり満月とか大潮に気を取られることなく、あるがまま、なすがまま、日々診療をつづけて、大波が来たらどっしりと構えて、というのが私なりのスタイルである。(というか当たり前のことかもしれないが)。

なので、小波が続く状態だと、時に息抜きを考えないでもない。できるときにできることをと、すこし刹那的であるけれど、これは産婦人科医でお産を取り扱う施設であれば、多少なりと同じような条件であろう、と思っている。適宜息抜きをしながら、航海をつづけるということで。
DSCN2175 (1280x960)


最近足の調子が悪いことと、夕暮れ時に最近病棟待機をせざるを得ない状態が続いたこともあり、ちょっとランニングをお休みしていた。ナイキのアプリから最近は知っていません、とアナウンスもあり、よし、と昨日1週間ぶりに走る。満月が大きく見えた。そして気温があがったことを肌で感じた。

そういえば、木々の緑も日増しに濃くなるし、診療中もあついかな、と感じることもある。もう初夏なのかな、と。ということは草刈りのシーズンでもある。週末は草刈りと園芸とおもっていたら、大切な講習会があった。GWまでお預けである。
DSCN2174 (1280x975)

写真は、先日の八代での撮影じのものである。松濱軒は、松井文庫管理の建物であり、実際に14代目の当主がお住いであると、聞いた。

DSCN2177 (1280x945)

少し離れてみると、屋根がきれいに葺かれている。しかし、壁の方を見るとすこし歪んでいるところもあるような・・・。文化財なので、修復するのも大変であろうし、これだけの広い家だと金額もかさむことであろうなと感じるばかりであった。庭の手入れも大変なことであろう。

DSCN2178 (1280x956)

DSCN2171 (1280x961)

制限のある中で、その環境を利用しながら、少しでも楽しく、と考えるは、素人の浅はかな考えかもしれないが・・・。

私は1960年生まれなので、今年で59である。60も近い。公的企業であれば、定年もちらつく。しかし当院は医療法人ではあるが、私的企業であり、おまけに絶滅危惧種の産科医なので、仮に当院を退職してもまだどこかで働き口(需要)はあると思う。まして、ここ数年の膨大な補修費用、そして今期に予想される電子カルテ更新の費用を考慮すると、まだしばらくは当院で働き続けることであろう、と思う。

ウィメンズクリニックとして開院したのが2007年、以来12年が経過したこととなる。開院する前にさまざな構想があり、それに基づきクリニックを設立し、その後の12年の中で変わったこともあれば、変わらないこともある。

DSCN2167 (1280x961)


①さっさとやってさっさと帰ろう
②特別はなしで、普段通り
③できるだけ物事は簡単に
④お産は院長が担当する

上記4つが基本方針かな、と思う。これらの基本方針は、私自身の過去の診療・日常から培われたものであり、とと同時に私がクリニックで診療するにあたっての、私自身の指針でもある。

①さっさとやって、さっさとかえる。これは過去に数回触れたことと思うけれど、づ思待ち時間が長いとか、渋滞とか、どうも私はこらえ性がないので、耐えられない。そのために、この場所を選び、車の流れの良いような配置を選んだ。診療も電子カルテ、スタッフの手分け、予約制、呼び出し、などのシステムを導入した。

②これは、当院には特別室はないし、特別食(ディナーサービス)もない。特別ということで別料金を取るなら、基本的なところで手を抜くのか、ということになりそうな気がして、なので、特別はなし。いつも通り、いつものサービスを当たり前に提供する、というスタイルとした。ただし、状況に応じたサービスは必要となるので、適宜必要な場合には変更する(悪阻の方、疲労著しい方などへの配慮)。

③できるだけ、開業当初のスタイルの維持に努めた。開業当初、物はすくなく、すっきりしていた。しかし、次第に物が増えてくる。仲にはどうしても必要な物ある。しかし、医師会や県から広報用にと送ってくる各種資料がある。これをすべて掲示すれば、壁は埋め尽くされ、どこに必要な情報があるかわからない。できるだけ必要最小限に、と思っているが、やはり最近あらゆるものが増えてきたような・・・。困ったことである。そろそろ様々意味で整理が必要かもしれない。

④当院を妊婦健診で通院される方の集大成は当院での出産である。なので、その場には院長が立ち会うことが原則である。どうしても立ち会えない場合(帝王切開とお産の同時並行、やむを得ない理由での院長の外出時の出産などの場合には、代理の医師に依頼せざるを得ない)を除き、基本的に私が立ち会うこととしている。すべてのお産がうまくいくわけではなくては、時に合併症を生じることもある。そうした場合も含めて、すべて私が窓口となり、責任をもって対応することとしている。

DSCN2170 (1280x911)

ほかにもいくつかのローカルルールがあるかもしれない。またルールを定めたことで、自分を縛ってしまい、行動が制限されると感じることもある。でもルールがあることで、迷ったらルールに従うということでこの12年間を続けることもできた。

診療を続けることで、私自身もボケることなく、健康に(私自身はぼけずに健康であると信じている)生きながらえている。できればもうあと5-10年ほどは、この調子でいきたいな、と思っている。逆にいえば、この方針の堅持ができなくなったときが、私のリタイヤするときかもしれない。

DSCN2169 (1280x960)

写真は八代 松濱軒にて。花しょうぶは6月が季節とのこと。

どこかで見たような方だなと思うことは、様々な機会で遭遇する。クリニック内であれば、私はユニフォームを着ているし、向こうの方も私を医師として認識しているのであろうから、その前提で話が進む。

私の記憶力に陰りがある、ということではなくて、私自身が患者様の顔と名前を一致させるようなトレーニングを怠っているので、顔だけはどこかで見覚えがあって、向こうから会釈をいただけて、横に子供さんが一緒であれば、たぶん当院でお産をされた方かなと。話しているうちに昔のことを思いだせば、やはり患者様であった、ということになる。(申し訳ないが私の記憶力とはこの程度のものである)

DSCN2095 (1280x961)

ただし、中には私の中に強力なイメージで名前と顔が刷り込まれる方もいらっしゃるわけで、そうした方々はフラッシュバックのように名前と当時の記憶が浮かび上がる。お産が大変であったとか、さま座な対応にくろうした、からということで覚えている人もいるが、実はそうしたなにかもなくても、意外と強力なイメージが残っている方も多い。

で、私がクリニック内で、ユニフォームを着ている場合には何も問題はないのであるが、私が私服に着替えて、院内の園芸作業をしていると、条件が異なる。気づかない人にとっては、園芸作業をするおじいちゃんであろう。一方院長が園芸作業をしていることをご存知の方だと、こんにちわ、と会釈もある。確か、国体通り沿いの路側帯の作業中には、道路を走る車から、”院長!”と呼びかけられたこともある。

さらに私がどこかに行ったときに、すれ違う時にどこかで見たような、と思うこともある。鶴屋であったり、上通りであったり、農業公園であったり、と。あれどこかであったような、と。でも声をかけるのには少しためらわれるし、向こうの方も私かどうか(グリーンヒル院長という認識)という自信がなければ声をかけにくいことであろう。間違ったらはずかしいしな、とでこかでみたような、と不思議な顔をして通り過ぎるのが大多数の場合である。

DSCN2097 (1280x960)

仕事柄、名前と顔を一致させたいものであるが、私の記憶整理の方法と、小さな記憶容量といういことで、仕方がないかな、と。それに、仕事は仕事、私は私でもいいかな、と。とはいえ、お互いを覚えているということはありがたいことでもあるし、うれしいことでもあると思う。

クリニックの診察券の番号は、通し番号で、1番から始まり、現在20000番台である。厳密には1番から100番くらいまでの間はカラの番号なのであるが、それでもおおよそ2万人の方が、通算で受診いただいたことになる。診察をしながらだと、受診番号を見て、あ、この方は昔お越しになった方であると、気がつく。

開業当初に当院をHPVワクチンで受診された方が、10数年後に妊娠した、ということでお越しになることもある。開業当初に当院でお産をされた方が、時に新たに妊娠したということもあれば、更年期やがん検診でお越しになることもある。あるいは自分の娘さんが妊娠した、生理痛で悩んでいる、などでおお越しになることもある。

以前当院を利用された方が、また何らかの理由で、当院を受診いただけるという事実は、私にとって、日々の診療の結果が評価されてよかったな、と思うばかりである。

とはいえ、当院で不愉快な思いをされた方は、たぶん当院を二度と受診されることはないから、顔を合わす機会もないのではあるが・・・。

DSCN2151 (1280x959)

写真は裏庭の芍薬。葉っぱも緑に変わり、繁ってきた。つぼみも大きくなった。この場所は、風が強いので、頭の大きな芍薬は、風が吹いて、そして雨が降ると頭を傾けてしまって、魅力が半減する。咲き始めのころが一番かもしれない。

↑このページのトップヘ