カテゴリ: 開業について

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これは開業当初の診療日と時間である。(2007年5月13日に玄関の表示を撮影したもの)

当時、水曜日は半ドンで、昼休みを2時間としていた。で、これで開業したのであるが、当然開業当初は来院される方も少なかった。当然まだスタッフも少なく、私と看護職6名、事務職2名、厨房2名、補助職2名でやりくりしていた。昼休みを2時間としたのは、小手術を昼休みに、帝王切開は水曜の午後にという目論見であった。

しばらくして、診療時間を延長した。来院される方の状況と当院の立地を考え(当院は熊本市の東のはずれにある)、月・火・木・金曜日の診療は午後8時までとした。仕事が終わってからおこしいただけるように、と。ただそうなると、スタッフの負担が増えるので、スタッフは午後7時まで勤務として、あとは院長が一人でこなすこととした。薬を処方して、会計をして、終業して、とやっていた。

また、朝には早起きして(これはいまも早起きであるけれど)、クリニック内を巡回して、外来のトイレ掃除をしていた。当時はまだ47-48歳のころでまだ体力的に余裕があった。

しかし次第に来院される患者様も増え、お産も多くなり、帝王切開の頻度も増えた。そうなると、この診療体制ではとても私の負担が大きいことに気がついた。なので、水曜日を1日休診として、午後の外来は19時までとした。その際に昼休みを1時間減らして、午後2時から午後7時までの外来とした。

以来その診療時間を守っている。診療時間には受付時間というのものがあるので、午前の診療の受付は12時30分まで、午後は18時30までとしたはずであるが、現実的には19時ぎりぎりに起こしなる方も時にいらっしゃる。それは仕事帰りであったり、子供さんを保育園に迎えに行ってそのあとにとか、あるいは、ご主人と仕事帰りに一緒に、ということであろうし、また遠方から薬のために、ということでお越しになるので、午後7時までの受付は大目に見ている。

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ただ、開業以来10年が過ぎ、当然私の年齢も10上がるわけで、そうなると少しづつ体力的には厳しいこともある。私(西村宏祐)は院長であり、産婦人科医師であり、そして法人グリーンヒルの理事長である。その結果として、産婦人科医師としての業務以外に、さまざまな仕事がある。

開業以来そうした医師以外の仕事もしていた。というか、そうせざるを得ない事情もある。なぜなら、建物建築設計に関することは私以外しらない。銀行とのお付き合いも私しか知らない。そしてあまり好ましくないが、九州厚生局とのお付き合い(個別指導)したことがあるのも私だけである。

最初のころは余裕もあったし、何でも知っておいて損はない、と考えワンマンアーミーのつもりですべてやろうとしたけれど、だんだん自分で自分の首を絞める自殺行為であると、ようやく理解して、私の種々の業務を各スタッフにお願いすることとした。

その結果、私の業務はへったはずであるけれど、相変わらず様々な業務が存在している。これらをすべて割り振ってしまえば、もう少し楽になるような気もする。でもそうなると、忘れてしまう。面倒でも自分でしているから覚えていられるが、面倒で手放してしまったら、たぶん忘れる。そうなると、かえって後悔するし、忘れてしまったら、別な意味で院長として継続できないような気がする。


なので、今の形態を続ける限りは、必要最低限は維持しながら、委譲可能なものだけ委譲をというのが無難なところであろうか。なので、そうした私の目的にかなう方と出会えたらいいな、と。

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写真は1枚目が開業当初の玄関の診療の表示、2枚目、3枚目は月曜日の午後に、芝刈り後の写真を撮りました。刈り上げすっきり。

クリニックの名称である、ウィメンズクリニック グリーンヒルは、開業前に私の考えた名称である。単に産婦人科とかクリニックとか嫌だな、と。またレディースクリニックという名前(和製英語と言われている)にも少し抵抗があった。

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ちょうど名前を考えて、あちこち見学していたころ、福岡にとあるクリニックがあった。なのでその名前いいな、と思ってそれに倣ってこのような名前とさせていただいた。ちなみにそのクリックは、現在も福岡の中央区の小笹にある。探してみれば、なるほど似たような名前と納得いただけるかもしれない。残念ながら、そのクリニックのHPに名前の由来はなかったように思うが、そのクリニックも、その名称にかける何らかの思いがあったことと思う。

時間系列でいけば、土地探しのころに名称を考え、場所が決まり、名前もそれから決まったのでは、と思う。名前をグリーンヒルとしたけれど、これは日本語にすれば、緑ヶ丘産婦人科であるけれど、あえてカタガナのままとした。さらに日本国内の産婦人科の名前を検索して、似たような名前がないかを考え、かつ産婦人科あることを明確にするために、頭をウィメンズクリニックとして、そのあとにグリーンヒルとした。

実は、グリーンヒルという名前だけで検索すれば、ゴルフ場やら様々な企業がヒットする。しかし、ウィメンズクリニック グリーンヒルとすれば、たぶん当院がきちんとヒットすると思う。

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そういえば、開業前にグーグルの名前検索で少しでも上位に来るようにと、私なり考えたのが、ブログとHPを私なりに開設して、お互いがリンクするようにとせっせとブログを更新していた。これは大変であった。HP2つとブログ4つくらいの記事の更新である。さらに開業前には、確かミクシーもやっていた。クリニックの知名度を上げるために、私なりにできることをということである。

本業が次第に忙しくなったこと、SNSの活動の場が少しづつ変わったこと、などより、現在はHP1つ、ブログ1つ、あとはFBで個人とクリニックで一つ、が精いっぱいとなった。インスタは残念ながらクリニックのインスタは断念した。個人のインスタはま、なんとか維持している、という程度であろうか。

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さて、本文に戻る。名前も決まり、設計も始まった。名称をグリーンヒルとし、ロゴも決まった。で、設計の先生にお願いして、グリーンヒルというイメージをお願いした。その結果、周囲の植栽が考慮された。芝生の庭に傾斜が付けられ、様々植栽が行われた。

しかし、残念ながら熊本の気候とそして周辺の環境との問題が、開業後植栽を変更せざるを得なくなった。個人的には白い花と甘い匂いはすきであったが、あまりに青虫が大量発生するので、姫クチナシは撤去した。さつきも日当たりが悪く、枯れるものがあり、撤去した。姫クチナシの部分は現在芝生となり、ゴールデンベアが植えれている。さつきは白い丸石が敷き詰められている。

中庭も少しイメージと離れてしまったので、数年前に植栽を少し変えた。できれば四季折々の花が咲くように、と。そして昨年、散水用の施設を設置したことで、この中庭の植栽は格段に元気になった。ということは散水がっていてしていれば、最初の植栽でもよかったのかもしれない、とも思っている。

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写真は、1枚目が福岡のクリニック、2枚目が姫クチナシの白い花、3枚目が開院当時に中庭。
最後の写真は、福岡で乗っていた自転車。熊本に持ってきて、駐輪場に置いていたら、取られてなくなった。鍵をかけていなかった私が悪いのであるが、この界隈にはそうした人のいない田んぼと畑だけだからと思っていた。

建物に限らず、すべてのものは完成した時から、崩壊が始まる。永遠に完成した時のまま状態を保持できるはずはないし、永遠に同じ形であり続けることこそ、逆に不思議である。経年変化は当然であって、経年変化のないものの方が逆に不思議である。これは人でも、物でも、おなじことであると私は思っている。

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とはいえ、当院にとって、建物が最大の看板であるので、その看板たる建物の変化は、ご利用頂く皆様にとって、好ましい変化であると受け取ってもらえればいいけれど、ぼろくなった、あるいは安全性がかんじられなくなった、と受け取られたら困るな、と。

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建物が10年を経過したころには最初の補修が必要かな、と思っていた。そうした10年の前に熊本地震があって、まずそれで建物の外観の大掛かりな補修を行った。十分な補修を行った、これであと10年は大丈夫と思っていたら、不十分であった。建物はよくても、それに付属していた各施設・機械自体の長時間使用に伴う変化や劣化のために、交換補修が必要となり、ここ2年ほどそうした機器の更新・補修に追われている。これで終わりかな、と思っているが、でもまだ探せばいろいろとありそうである。

ある意味ではウィメンズクリニック グリーンヒルという施設も生き物であり、長く健康に生きていくためにはそれなりのメンテナンスが必要であり、それを怠れば、何かが起こる、と。人の体と同じことである。

と考えれば、やはり建物は出来上がったときが一番きれいである。その一番きれいな時を狙って、当院の完成写真が撮影された。スタジオブリッツの石井様に撮影頂いた(厳密に行けば、設計事務所からの依頼で撮影となった)。

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なぜきれいに仕上がったか、といえば、それはプロの人がきれいに撮ったというのが一番の理由であるが、じつは建物を利用する前に撮影したというのも大きな要因である。クリニックを利用を始めれば、少しづつものが増えていく。国や県や医師会から、掲示用のポスターが届いたり、患者様説明用の何かが必要となったり、と。そうなると所せましに物が増えていって、いつのまにやら物に囲まれると、最初のすっきりした姿からは程遠くなる。

クリニックにお越しになる方々の目の届く範囲は、できるだけすっきりさせることを心がけているけれど、やはり物が増えてしまう。そうなると、最初の出来上がったころのイメージには及ばない。

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今回の写真は、すべて石井様の作品である。開業後にいただいた。実はこの写真の撮影はたぶん5月になるとおもうけれど、この当時は南側の国体通りに面した吹き抜けの部分には、白いカーテンはなかった。本来は最初の設計ではカーテンを付ける構想であった。しかし、開業当初の予算削減で点が削られた。でも、出来上がったら、このGW期間中の好天で、子の吹き抜け部分の温度管理が難しく、やはりカーテン設置をお願いして、後付けで作った。

なので、撮影当時はカーテンはなかった。なので、写真撮影の時点では、中身丸見えの状態となった。

これらの写真ができたときからいろいろなことがあったので(LED電球変更、熊本地震の補修、植栽の変化、カーテンの交換、家具の補修あるいは交換)、これと同じ姿を現況ではお見せすることはもうできない。

補足
クリニック西側の白壁の上にある、women's clinic GREENHILL の文字は、開業当初はそのバックに蛍光?を配置していた。熊本地震後の補修の際に、そのバックのライトをすべてLEDに置き換えた。なので、この文字の夜間の光り方が以前に比べれば、あきらかに明るくなったはずである。

開業にあたって、自分の中で漠としたイメージがあっても、それを具体化しないと、実現はできない。なので、そのために、自分の理想とするものを探し求めて、いくつかの施設を見学に行く、ということなる。

日本全国で、産婦人科の優勝診療所がいくつあるのか、正直言ってよくわからない。多分1000から2000前後と思うけれど、さらに産科の病院があって、総合病院があるわけで・・・。でも私に必要なのは、産科施設の有床診療所で、かつそれなりにお産があって、にぎやかな施設である。

で、できれば他施設と競合しながらお互い切磋琢磨しているような施設を探せばいい、と気づいた。なので、当時お付き合いのあった乳業会社にお尋ねして、いろいろな地域で評判の良い産科施設を教えてもらって、そこをきちんと見学に行くことにした。

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福岡にいたとき好きだったホテル


実は正直言うと、19年くらい前(2000年ごろ)にも同じようなことがあって、福岡・島根・大阪・東京の施設を見学に行った。そこで見た施設の中で採用されているシステムも見せてもらって、それをもとに熊本で様々な方と議論をして、そして設立に至ったのが、とあるクリニックである。その後事情があり、私はそこを離れ、2002年ごろから福岡で勤務していた。

最初の3年で勤務していた施設は、4つの産科施設を持ち、そのうちの二つが松山建築設計室の設計であった。(公式には、姪浜にあった施設が松山建築設計室の産科施設の1軒目であったと思う)残念ながら、そのクリニックは現在取り壊され、その場所には別な施設が建てられている。そのため、基本的な雰囲気をのこしているのは唐津にある施設となった。

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唐津のクリニック

その施設を離れた後は、1年ほど福岡県の古賀市の施設で働いた。それから開業に専念するため、勤務医を離れ、アルバイト生活となった。各施設で診療をしたり、当直をしたり、あるいは子宮がん検診にあちこち行った。

もともとカメラが好きであったと思う。で開業を意識するに様になって、あちこち行く際に写真をとるようになった。当時はガラケーの時代であり、ガラケーの写真よりカメラの写真が大切で、当時はニコンD80あるいはD8を使用していたような気がする。

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伊万里のクリニック

広島、大阪、京都、大津、福岡、佐賀とあちこち行った。あちこちであれこれ考え、食べて飲んで、建物の基本構想を設計関連のスタッフと語り合うことは、楽しかった。

2005年前半に今の場所を選定し、青写真を描き、本設計が始まり、2006年夏に地鎮祭であった。そして2007年5月に開院である。

ということは、2004年から2005年の前半までが検討期間で、以後は実際の設計図との検討というこになる。松山建築設計室の建物はすべて見て回ったような気がする。(当院は松山建築設計室の手掛ける7件目の産婦人科であったと思う)。

なんでも最初はマネから始まる。真似をしてある程度自分の中で理解が進んでから、自分の中でオリジナルの形となる、ということではないかと思うし、たぶんこれは皆様も同じであり、そしてそれはすべてに当てはまるような気がする。

なかには、最初からオリジナルで突き進むという方もいらっしゃると思うけれど、私にはそうしたオリジナリティは乏しい。

そうしてマネから始まったものであっても、数年たてば色があせ、劣化する場所もでてくる。そうしたときにオリジナリティで補修するか、あるいは原型に戻すか、これはなかなか難しい選択となる。でもそこでそうして考えることで、また原型への思いが深まるのかもしれない。

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百道の福岡市図書館。

当時は図書館に通って、いろいろな本を探していた。当時であったのが、ジェフリーディーバのリンカーンライムものである。現在も愛読しているし、最近ジェフリーディーバのインスタをフォローしている。



以前のブログやHPにはつづっていたが、現在のHPやブログにはそうした記載がないので、ちょっと忘れないうちに、と。

私は熊本大学出身で、卒業後は本の各地で産婦人科医として働いていた。事情により福岡に5年ほど住むこととなった。なかなか福岡は居心地がいいので、そのままそこで働き続けるつもりであった。藤崎商店街、百道の図書館、大濠公園中之島、そして当時存在したブルーノート福岡がお気に入りのスポットであった。

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ここが当時の一番のお気に入り。自転車で西新商店街で蜂楽饅頭と文庫本(お気にいりはジェフリーディーバもの)を買って、大濠公園の中之島のベンチに寝転がって昼寝をする至福のひと時であった。

諸事情時で熊本に帰り、産婦人科クリニックを開業することとなった。年齢的にも最後のチャンスだし、せっかく開業するなら自分好みの産婦人科を、ということで様々な方に相談し、現行の形となった。ちょうど福岡で働いていた施設が松山建築設計室の設計であったので、松山先生にお願いした。

今手元にある写真からすると、たぶん2005年ごろから各種施設に見学に行って、青写真を描き始めたのであろう。その後現地を選定し、本設計となり、建築となった。その間福岡から週1で熊本に通っていた。

クリニックの基本的なデザインは、松山建築設計室と私と当時助言をいただいていた方々との検討という形で詳細を詰め、実際の現場運営も進んだ。なので、現行のクリニックの基本的なところは松山建築設計室の案が基本である。

一方クリニックのロゴや開業当初のリーフレットは、私とデザイン事務所と友人との相談で検討した。現行のクリニックロゴは、そのまま使っている。リーフレットは、その後の増築と、時代の変化もあり、最近新規に一新した。

本当にいろいろな方にお世話になった。そうした方々のおかげで、今がある。中にはその後疎遠となった方もいらっしゃるわけであるが、でもやはり皆様のおかげでこのクリニックはできた。皆様に深く感謝申し上げる。厳密にいえば、会社組織のおかげでもあるが、担当者のおかげでもある。ここに担当者の方々の名前までは記載できないけれど、こうした方々にお世話頂いたし、各種の検討を行った。

松山建築設計室 ttp://www.matsuyama-a.co.jp/
ライティングスタジオ荒井 http://www.l-s-a.jp/
ブリッツスタジオ http://blitz-st.com/


グリーンホスピタルサプライ https://www.ghs-inc.co.jp/
協立機電工業 https://www.kyoritsu-kiden.co.jp/
小竹組 http://www.kotakegumi.jp/gaiyo/
九電工 https://www.kyudenko.co.jp/
広誠設備工業

有限会社アルモニ http://www.armoni.co.jp/
融和パートナーズ https://s-ket.com/
穴井労務士事務所 http://www.anai-office.jp/
明治乳業 https://www.meiji.co.jp/

これら以外にもいろいろな人のおかげであると思う。深く感謝申し上げる。

開業するまでもいろいろとあった。開業してからもいろいろとある。そして今も・・・・。諸事雑事がなくなることないし、避けて通ることもできない。でも、今後の存続のためにはきちんと過去をみて、今を見て、将来をみなければ、と。

当時の思いも含めて、しばらくそうしたことをつづってみたい。

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開業の少し前まで働いていた施設のそばの海岸線。この砂浜好きだったし、当直の時にはこの海岸線を走っていた。


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