カテゴリ: 開業について

現在私の日記帳と化している、この”いつか南の島に”のブログは、2014年10月開設である。で、その前には別なブログに書いていて、そのブログが閉鎖されるため、こちらに移って、以来6年と6か月である。開業の思い、日々の思い、思い出、医療に対する考えなどを好き勝手につづっている。

その前のブログも、後半はだいたいそのようなものであったが、前半はクリニック開業をアピールするための戦略的な思いもあったので、たぶん開業前からつづっていた。開業は2007年6月であるから、たぶん開業前の2007年あるいは2006年末から始めていたかもしれない。ということは、ざっと15年ほどこうしたブログを続けていることになる。

開業当初は、まだFBもツイッターもインスタもなかったかもしれないし、あったけどそれほどメジャーでもなかったと思う。なので、ミクシィーとブログとHPでせっせと発信していた。しかし次第に本業が忙しくなり、時間の余裕がなくなり、HPとブログの維持で精いっぱいとなった。そしてブログ変更、HP変更というながれのなかで、FBを始めて、ちょっとだけインスタを始めて、今に至る。

開業前は少しでも失敗したくない、早く皆様に認めてもらわなければ、という気持ちが先行していた。しかし、いまでは産婦人科診療を続けることは当たり前となり、万が一当院を閉院することがあっても、皆様に迷惑をかけることなく幕を引くことはできるであろうし、私自身の働き口はどこかにみつかるであろう。なので、今の状態を少しでもいい形で続けられるように、と淡々と日々を重ねているような状況である。

その一環としてブログを続けている。以前は個人のブログとクリニックのブログと分けていたが、両方書く余力はないので、いまはブログ一つ、FBでの発信にとどめる。大体、朝起きて、コーヒーを淹れて、メールをチェックして、それからFBを更新して、ブログを更新して、それからクリニックの仕事を始める、というスタイルである。

この朝方が、一番私自身の頭がすっきりしている時間であり、いろいろなことを余裕をもって考えられる時間でもある。なので、この時間をじゃまされたくはないけれど、しかし、そこに時に何かが起こるのが、お産の世界である。まして、12時過ぎから数回起こされると、とてもこの時間の維持は不可能である。時に昼間や夜に更新することもないわけではないが、ほとんどのブログは、朝の日課であり、私の行動開始の一連の儀式である。なので、この儀式がないまま、仕事が始まると、なんとなく具合が悪い。

DSCN5163

さて、そうして書き綴っているブログである。ときたま、患者様からブログみてます、といわれることもあれば、ブログのコメントに連絡をいただくこともある。どちらかというと、ブログ自体は私の一方的なものであるから、双方向通信というわけにはいかないけれど、ま、今のグリーンヒルで院長がこう考えている、こう行動している、と皆様に理解してもられば、と思っている。

少しは格好をつけないわけも出ないが、あまり格好をつけても、維持できないので、写真も含めてできるだけ素のままであるようにと心がけている。

時にはネタに困ることもあるので、その時は写真を見直して、そういえばこれこれ、と思って書くこともあれば、一回で表現できないと思えば、シリーズにしてみたりと。

と考えると、このブログの維持に貢献しているのは、写真ということになる。どうも動画は苦手で、やはり写真がいい。そういえば私は昔からカメラ小僧であった。いまはスマホで写真も動画もとれる時代であるけれど、昔はカメラを持ち歩くか、自分でスケッチをしないと風景は残らなかった。で、スケッチの才能のない私は、カメラに頼らざるを得なかった。そのカメラも、昔は現像して、それをスキャンしてあるいはCDに落として、という時代から、今ではダイレクトにメモリーとして保存するようになった。

DSCN5164

私はキーボードがないと文字の文字の入力が苦手なので、スマホでのブログ更新はできない。インスタだけはちょっとだけスマホでやっているけれど、あれが精いっぱいである。グリーンヒルの院長、あるいは西村宏祐の個人的な状態を暴露しているようなものであるけれど、私の日記帳のようなものであり、それを皆様に開示して、私個人あるいはグリーンヒルという院長の内面を理解いただければ、と。

一種の情報開示のようなもので、なので、現在では、あまり宣伝という意味合いはない、と思っている。

さて、そろそろ6時となった。今朝はお産の入院はなかったようで、朝まで静かに眠ることもできたし、ブログの中断もなかった。本格的に仕事でも始めるとしよう。

写真は中庭のハナニラ。今が盛りかもしれない。高さ15cmくらいの白い花である。にらの一種であるから葉っぱはニラそのものである。近づくとニラ独特のにおいもすこし。この時期、緑と白で、風にたなびき、お日様に向けて花が咲く。今が盛りである。

時たま、患者様から尋ねられます。どうして産婦人科医になったのか、と。で、大体そういうときには、父が産婦人科であったから、と答えています。しかし、果たして本当にそうであったろうか、とおもわないでもない。

医学部は6年制度で、大体3年目の頃から様々進路を考える。4年目5年目は、あれこれ考え、麻酔科、外科、精神科、産婦人科、基礎の教室、などで悩んで、少しづつ絞って、最後は麻酔科・外科・産婦人科で検討して、結果として産婦人科となった。

私の父は口下手で、私にどちらに進めとは言わなかった。しかし、私が産婦人科にすすむというと、父も母も喜んでくれたような気がする。当時、私の父は熊本市内での産婦人科開業医であった(昭和42年開業の西村産婦人科医院)。産婦人科にすすむといっても、かならすしも父の後を継ぐことを意味しないが、同じ分野にすすむことで、父なりに喜んでいたような気がする。

私なりにあれこれ考えて、結果として産婦人科を選んだのであるが、私自身が取り立てて産婦人科をやりたいという気持ちはそのころにはまだあまりなかったような気がする。父と母の喜ぶかを見たいから選んだのか、あるいは産婦人科医のなり手が少ないから選んだのか、今となっては正直言ってよくわからない。

でもそれを言うなら、大学受験も微妙であることに気が付いた。最初は、関西の大学に行きたかったけれど、いつのまにやら地元の大学に。その動機はと思えば、地元だから、ということかもしれないが・・・。そう考えると、あまり私はどこそこに飛び込んで冒険をするというより、手堅く進むということかもしれないし、自分で選ぶというより周りの意向を気にして、というめんもあるかもしれないな、と今更のように感じるのである。

DSCN5011


あの時、別の選択をしていれば、別の道があった。これは何でも当たり前のことであり、仕事でもプライベートでも。そこには様々な選択肢があった。でも結果として今の状況に至る道を選んだのは、私自身であり、自分自身なりに当時一生懸命考えたうえでの選択である。今更その選択をどうこう言っても、現況が変わるわけではないし、今の現況に自分なりに満足しているので、それをどうこう言うつもりもない。時たま、酒でも飲んで、友人と語り合うときに、あの時こうしていれば、という話になることもあるが、それはあくまでも仮定の話である。

きっと生まれ変わったとしても、今と同じような道を進むような気がする。私はきっとそんな人間である。なので、なんで産婦人科を選んだのか、なぜ開業医を選んだのか、と問われれば、いまなら、私はそれが私の運命であり、天職であったから、と答えるような気がする。

DSCN5008

私自身、植物に興味を持つなんて、と思わないでもない。でも、まこれも天命でしょう。開業して、ここから動けないので、この院内のさまざまな植物を見て、好奇心を満たしている。掘り上げたバラ(ブルームーン)もようやく芽が出てきた。今年の初夏は、ここで青い花が開き、芳香がただようといいな(ブルー系統のバラは強香なので)。

10月1日の混乱に比べれば、少し落ち着きつつあるクリニックである。その混乱の原因は、消費税増税よりも、システム変更によるものである。これほどとは思っていなかが、やはり大変。でも、この大変を乗り越えた先には、これまでとはことなる少し新しい未来が開けるような気もしてきた。

DSCN3668

今回電子カルテを含めたシステム変更を行った最大の理由は、やはり既存のシステムに比べて、新システムが便利そうである、との思いによる。既存のシステムは、20年前に開業前に私なりにあちこち見学して、たまたま見学した先でつ割れていたシステムにほれ込んで、それを採用した。これは2000年ごろの話である。

で、そのシステムを採用して開業に臨み、途中で私がソノクリニックを退職したたものの、そのクリニックではそのシステムがそのまま数年程度は残っていた、と思う。現時点では別なシステムに変更されたと聞き及んでいる。

退職後私は福岡の勤務医で、開業なんて、とおもっていたら、ひょんなことから再度開業を熊本で、ということになった。そこで、2005年から2006年にかけてあちこち見学して、そして2000年当時に採用したシステムの進化版(電子カルテバージョン)で2007年に開業を迎えた。

残念ながら、開業当初のシステムは、電子カルテでありながら、さまざまな制約があり、結果としてワードエクセルで補完し、いくつかの工程は旧態的な工程も残っていた。ウィンドウズ10に乗り換えることは可能であるけれど、システム自体の将来性は制限されていた(今後電子カルテ自体としての発展は期待できない事情があった)

私自身が一代限りで運用するのであれば、それでもよかったけれど、クリニック自体をなんとか将来に残すことを考えるならば、将来性への道を閉ざすことはできない。そしてそうしたシステムに移行するなら、今しかないと判断した。10年もたてば、私の記憶もさらにあやふやとなり、もしかしてたらぼけてるかもしれないし、大病を患っているかもしれない。今なら、まだなんとかなる、と。

ということで再度電子カルテで各社を検討し、その納入実績、運用上の快適性、などを考慮し、この10月からのシステムに変更することにした。見学に行ったいくつかの施設での、快適そうな操作性、様々な使用方法などが魅力的であった。

今回の更新に際して、その運用会社のスタッフからの献身的な作業、誠実な対応により、なんとか10月1日の運用が始まった。振り返ってみれば、2000年当時のシステムから、大きく離れ、そして電子カルテという方向では進化してきたように思う。

私個人の判断なので、その判断が果たして20年後にどうなっていか、わかるすべはない。20年もたてば、私はぼけているかもしれないし、あるいは鬼籍にはいっているかもしれないし、あるいは南の島でワインを飲み呆けているかもしれないが・・・。

DSCN3679


さて、現実に目を向ければ、まだまだ混乱の続く外来業務である。混乱の続く理由の最大のものは、スタッフ自体がまだシステムに未熟であること、である。そしてその次の要因が、カルテ情報の新たな入力ということである。どんなにカルテシステムが優れていても、中身がなければ運用できない。中身を入力するという作業は、手間のかかることであり、そしてそこには日々の診療の積み重ねが必要である。

現在、旧システムのカルテの中身を閲覧できるようにとあれこれ工夫しているけれど、この運用はもう少し先である。でも、そのまえ上記2点の対応が必要であり、その2点がうまくいけば、より有機的な結合によるカルテの運用が可能になると信じている。

ちなみに、今回採用したのは、

株式会社ニューウェイブ URL   http://www.fkartet.com/

株式会社 テクノネットワーク URL: http://tnw-net.com/

株式会社 オフショア OFFSHOREURL: http://www.kobeoffshore.com


となる。

DSCN3667


写真は10月4日、夕暮れ時。クリニックに向かってくる飛行機(熊本空港に着陸する飛行機は大体クリニックの上を通る)、そして空に浮かぶ半月。

ボルソンという超音波機種にであったとき、最初は単に4Dなんて、と思っていた。機器は高額だし、4Dなんて不要と思っていた。しかし、福岡での勤務時に、その機種に触れる機会があった。4Dプローブ(手に握る探触子の部分)は大きいし、重たい。しかし、4D機種のプローブで見ると、2Dの画像もよく見えるような気がした。

実際は、4D(立体画像)が見えるということは、超音波機器の内部の画像処理の能力があがり、その結果として立体画像が作成されていたわけで、そうした能力の向上の結果、通常の2Dの画像もよく見えるようになった、ということではないかな、と思う。

その立体画像の処理の能力とその表現において、当時のボルソン(GE)は他社を凌駕していたので、この超音波は一世を風靡した。とくに開業医において、お母さんのおなかの中のわかりやすい胎児の画像を見せられられる、ということもあり、高額な機種であるけれど、導入可能な施設で導入された。

わたしはたまたま福岡の施設で勤務している際にこの超音波と触れる機会があった。立体画像を見せるのにも、実は微妙なテクニックが必要であるけれど、それは数回4D超音波を実践すれば取得すことはたやすい。

DSCN3493

福岡での経験があり、熊本に帰ってきて、2007年6月開業した。最初は別のメーカーの超音波を使っていた。しかし、やはりきれいな立体画像が開業医には必要であり、他のクリニックにまけないものでないと、と2007年12月にこのボルソン730プロを購入した。

730シリーズには、確かより高額なエキスパートモデルと、その廉価版のプロモデルがあり、当時のクリニックの経済力ではこのプロモデルで精いっぱいであった。ただ、この730モデルは、GE横河(ジェネラルエレクトリック社)のこのシリーズでは最終型であり、このあとはEシリーズに移行する。当時E8の販売も始まっていたかもしれない。

最終型であったことで、あれこれついてお得です、というようなタイプであった。でも、それでもそれなりのお値段であり、それこそ清水の舞台から飛び降りるつもりでの購入額であった。

さて導入後に、今度はこの超音波を立体画像だけを見せるのはもったいないと、胎児スクリーニング検査を行うこととした。4Dプローブが重たくて、時に落としそうになるけれど、それでもそれなりの画像が提供できたし、その結果としていくつかの胎児の疾患の発見にもつながり、患者様の紹介にもつながった。

あれこれ修理をしながら、6-8年ほど使った。で、ついに最終型の定めであるけれど、ついに部品がなくなった。ということで、新たな機種を購入せざるを得なくなった。GEのEシリーズはE10からE6までがラインナップとしてそろい、なかでもE10の立体画像なんてとんでもなく、素晴らしい。しかしお値段もとんでもなく素晴らしい。

それなりの立体画像が見えれば十分であるし、S8という機種を2016年ごろ導入した。とはいえ、このS8のお値段も、730プロ導入時に価格とほぼ同じくらいである。なのでE10やE8がごろごろ転がっている大きな病院やクリニックがうらやましいけれど、ま、分相応ということで・・・。

以来、730は予備の超音波となった。S8が時に調子が悪い時、あるいは患者様が多い時、などに使っていたが、この2019年9月、ついに立ち上がらなくなった。GEに尋ねてみたが、やはり修理不可と断られた。

さて、となればこの730は診察室2を占める大きながらくたとなってしまった。クリニックの立ち上がりの時を支えてくれた大切な超音波であるけれど、そしてまだブラウン管モニターが付いているという今どき珍しいガラクタである。廃棄するのにはそれなりのお金が必要で・・・。

DSCN3438

さて、こちらは内診室1の内診台である。こちらもやはり一世を風靡したモデルであると思う。森田製作所製で、アトムというメーカーが販売していた。回転しながら上に上がる(スパイラルに上昇する)というモデルで、開業時に2台購入し使っていた。こちらも1台が最近調子が悪くなった。こちらも残念ながらもう修理ができない。買い替えを検討中である。

2007年開業だから現在2019年であり、開業当初のものは13年目となる。ここ数年、建物の補修や、様々な機械の更新が必要であり、毎年何かしている。現在電子カルテとレセコンと予約システムもかわりつつあるし、と。ようやくこれで片が付いたと思ったら、今度はこちらが、というような具合である。

これがクリニックを運営するということかもしれない、と改めて感じるばかりである。

実は、クリニックの開業にあたり、この場所に中華料理屋の香味彩の存在は大きかった。残念ながら、店主の都合で店はたたまれ、内部の改装で数年前に前川珈琲になってしまったけれど・・・。

DSC_00592005-08-13

2005年の下見に写真でもきちんと写っている。開業さかのぼりまだ私が日赤で勤務していたころ、香味彩はまだ県道戸島線沿いの小さな店であった。日赤で勤務していたころ(平成12年ごろ)このお店を教えてもらって、よく通っていた。

時は流れ、私は菊陽、福岡をへて、帰ってきたわけであるが、その際にここに香味彩があることは心強かった。食べるものに困ったら、ここに通っていた。しかし、諸事情により閉店となった。噂では、店主は、世界をめぐって、いつの日か帰ってきたら、ラーメン屋をするという話であったが、どうなったことやら・・・。

で、香味彩は数年前に前川珈琲に変わった。で、その横に実はリンガーハットがあった。たぶんリンガーハットの方が香味彩より古くから存在していたような気もするが、このリンガーハットも数年前に取り壊されて、前川珈琲系列の山賊前川開拓団になった。

ホルモンを中心とした焼き肉屋で、周囲に強烈なにおいが立ち込め、夕方は知っていると、今日も匂うな、と思っていた。

DSCN5874

写真の日付は2017年9月である。

1回ホルモンをたべにいったけれど、強烈で、においが服につくというような古典的なホルモンやであった。リンガーハットの建物を壊して、あらたに作って、わざと開拓団風にぼろく見せた建物であった。

しかし、どうも駐車場の止まる車が少ないな、と思っていた。メニューがそのごだご汁専門店に変わった。そしてついに新たに改装中である。

DSCN3252

今度は前川水軍になるらしい。外装もきれいに塗りなおしている。これは塗りなおす前。

変わらないのは、この看板の柱の部分。

DSCN3251

以前クリニックを作ったときに、こうした高い立て看板を作ろうと計画した。しかしあまりの費用の高額さに諦めた。セブンイレブンの看板も高額であろうな、と思う。

確か、リンガーハット時代は、この看板は回転していた。しかし2回の台風で回らなくなり、その都度修理していた。前川開拓団になってからは固定式である。

変わるものもあれば、変わらないものもある。クリニックは変わらないようで、微妙に少しづつかわっている。経年変化は避けられない。

↑このページのトップヘ