カテゴリ: 託麻新四国88ヶ所めぐり

正直に言うと、託麻88ヶ所めぐりのなかで、2か所はうしなわれているので、86ヶ所めぐりであり、今回3回に分けてめぐり、その内数か所は到達できなかった。ただそのために、あちこち回ってみたわけで、それでまたいろいろなことに気がつき、私なりの推測を立ててみた。

もともと、この戸島小山界隈は、戸島小山村であり、そこが一つの行政区画であった。さらにいうなら、戸島村、小山村であったかもしれない。そうした村の基本はどこかに中心があり、それは役場であったかもしれないし、神社であったかもしれないし、山であったかもしれない。

神園山、小山山、戸島山は信仰の対象であったともきく。実際のその山の周辺にはさまざまな史跡が多い。寺、神社、地蔵堂、薬師堂・・・と。人口の荒廃、神仏混合、と様々な歴史の中で、失われたものもあれば、残ったものもある。そしてその残ったもの、あるいは痕跡があったものを、たぶん誰かが(戸島小山村の教育委員会?)がいったん整備してその歴史を残したのであろう。その一覧のようなものが、そういえば託麻公民館に表示されている。

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また、今回はからずも小山山と戸島山にちょっとだけ登ったのであるが、やはり山の中に入ってしまうと、右も左もわからない。夏草が生い茂り、小道が残っていなければ、高さ300-400mの山であっても迷子になりかねない。そうし際に、数か所水が湧いている場所を見つけた。

戸島小山地区は、阿蘇の外輪山につづく丘陵地帯で、基本は台地であり、水が自然に湧き出すところは少ない。人の営みにおいて、水が得られるということは大切なことで、水と山があって、人が集い、さまざまな信仰が発達したのかなと。さらに言うなら、自然の破壊力は時にすさまじいものがあり、時に人知ではどうしようもないことがあったことであろう。その犠牲になった人々、そして自然への恐れがあり、さまざな地域の地蔵様がつくられたのな、と。その流れで88ヶ所めぐりもつくられたのか、と。

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猿田彦命の石柱も数か所で見かけた。また、ここらへんのお宅には、門の一角に小さな祠を作って、地蔵様あるいは仏様を待つってあるところが多い。

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部屋にこもってあれこれするより、こうやって外に出て、あれこれ見て回ることは、健康のために、頭のためにもいいことと思う。しかし、不動明王を探して、小山山の中腹で迷いかけたときには、いまここで携帯が鳴っても帰れないよな、と感じた。おまけに、不動明王到達後には体力の喪失著しく、やはり夏場は、十分な水分とカロリーの補給、さらに山の中に入るならそれ相応のいでたちでと、感じるばかりであった。

さて秋口からまた託麻88ヶ所めぐりの講座も再開することであろう。そうした会や、託麻公民館にのこる戸島小山村史などからもうすこし学んでみることとしよう。

7月16日、午後1時にクリニックを出て、午後5時に帰宅。残り40か所を、パンク修理した自転車とともに巡った。


まず、前回見つけられなかった34番礼所 薬師如来から。今回も残念ながら見つけられなかった。でもここかな、と。よそ様のお家の中の様で、声をかけてみたけれどお留守のようで・・・。遠くからわかる範囲でと。

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さて本来ならここで、54番礼所の不動明王に行くべきであるが、前回道がわからなかったので、反対方向から回ることとする。

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葬祭場のそばにある57番礼所阿弥陀如来。ここだけ金箔?がはってあった。

以下順路沿いに多数見つかる。しかし、熊本地震で被害となり、解体された場所が目立ち、そのため1か所(80番礼所千手観世音菩薩を見つけられなかった。

そしてついに49番礼所 釈迦如来に到達する。

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ここが、私の託麻新四国88ヶ所めぐりの発端である。去年の秋ごろ、見つけて、こんなものがあるのだと、思って興味を持って、探しはじめた。しかし、当時は正確な地図がなく、苦労した。

51番礼所薬師如来から、楳谷寺までの順路はとても通れそうになかった(地図にも歩行注意と記載がある)。で、いったん順路を外れて、楳谷寺いく。ここのその住職様に、裏山の54番礼所 不動明王への道を伺う。

納骨堂の横の細い道を上がっていく。途中で道が途切れたような気がして、あちこち探す。見つからない。返ろうかとしていた時に、また小道に出会う。その小道を上がっていくと、あった。

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この場所から、上がるのがまた大変。夏草が生い茂り、足元がよくわからない。でもようやく到達。30分ほど探し回った。

やぶ蚊とクモの巣にまみれ、おまけに体力消耗。もうこれでやめようかとも思ったが、なんと下山。セブンイレブンで一息入れた。そして小山山を離れ、戸島方面へ向かう。

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戸島山の登山口のふもとにパラソルをさした15番礼所の薬師如来。祠が地震でこわれたのか、と。

ここから38番礼所 千手観世音菩薩に行く道は、また夏草でよくわからないので後回しにする。そして昨年見つけられなかった33番礼所 薬師如来、55番礼所 大通智勝如来も見つけることができた。そして最後にまたクモの巣を払いながら、38番礼所 千手観世音菩薩に到達した。

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これにて終了である。

都合3回に分けて、自転車を使って、ようやく回ることができた。残念ながら、発見できなかった礼所もある。また88ヶ所といいながら、2か所は行方不明とも聞いている。

この神園山。小山山、戸島山の地域には、こうした礼所があり、廃寺がり、他にもさまざな史跡がある。よく目妊したのは、猿田彦の名前で、数か所で見かけた。

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また、地域の住宅に、結構小さな祠が祭ってある御家も多い。

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これはこの地域の、旧来からの信仰の厚い地域であったからかもしれないし、そうでないかもしれないが・・・

今回昨年できなかった88ヶ所めぐりがようやくできたのは、やはりより正確な地図とそれに掲載された順路のおかげであった。

さて、ようやく帰途につき、帰ってから冷たいふろに入って体を冷やし、水分を補給した。ちょっとだけ祝杯を挙げて疲れ切った体で床についた。

私が自転車と触れるようになったのは、たぶん小学生ごろであると思う。自転車に乗って、一人で遠くに出かけることができるようになったのが一番うれしかったと思う。ただ、当時の私の実家は、熊本城の北の尾根の様な場所なので、下通に行くにも、上熊本駅にいくにも、浄行寺にいくにも、行きはすべて下り坂、帰りはすべて登り坂というものであった。

そういえば大学時代を始めたころは、黒髪のキャンパスまで自転車で通っていた。高校時代の寮生活から解放され、大学生と、すべてが新しかった。友人の下宿によったり、クラブ活動をしたりと、これもすべて自転車であった。今にして思えば、自宅(出町)から黒髪、そして黒髪から九品寺、九品寺から出町と良く自転車で行動したものである。今となっては信じられないけれど・・・。

もともと自転車がすきであったけれど、この時点ではまだバイクの免許がなかった。原付の免許を取り、原付にかわり、そして車の免許を取り車にいつしか変わっていった。

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上熊本に住んでいたころ、健康のため、と称して日赤病院まで自転車で通ったこともある。日赤到着なり、シャワーを浴びるのが日課であった。自転車で通勤あるいは帰宅中に、電話がなって、緊急で呼ばれた時がつらかった。この時点では、運動不足の解消が一番であり、日赤帰りにジムによって練習に汗を流す、ことも楽しかった。当時はステップにはまっていた。

福岡に住んでいたころには、町の探索に自転車が重宝した。当時は自由な時間が比較的今より多く、自転車で知らない街を探索することが楽しかった。でも一番の楽しみは、大濠公園の中の島である。ここに本と蜂楽饅頭をもって昼寝するのが楽しみであった。

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この地で開業して、約12年。最初は福岡の自転車を持ってきたけれど、ある日突然いなくなってしまった。で、今の自転車はこの地で購入した。玄関前においている黄色い自転車である。しばらく乗らない時期があって、タイヤがダメになったので、1年くらい前にタイヤを交換した。以来時にまた乗るようになった。

で、久しぶりに、託麻88ヶ所めぐりに登用した。小山山の下山が行けななかったのか、あるいは小山諏訪神社の参道で自転車に乗って罰が当たったのか、パンクをした。この場所は、小山山のふもとなので、結構距離がある。

昔は至るところとはいかないまでも、地域にそれなりの自転車屋さんがあったような気がするが、今はそうした自転車屋を見かけることは少ない。おまけに日曜日、ほとんどのお店は休みである。クリニックのそばにも、アサヒ輪業しかない。そこまで行くためにははるかに遠い。

さしあたり、押して歩いていると、このおにぎり池があった。蓮の花がピンク色、あるいは黄色にきれいに咲いていた。

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さらにこのような黒いものが動いている。食用カエルであろうか、大きい。オタマジャクシか、久しぶりにみたな、と。

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さて、それから押してクリニックにつくまで約30分を要した。帰りがけには雨も降り、濡れて帰った。

一息入れて、自転車の修理のためサイクルベース アサヒへ。タイヤ交換も必要かな、と危惧していたが、修理だけで済んだ。よし、これで、また来週も託麻88か所めぐりに挑戦である。

昨日患者様から、ブログを拝見している、託麻88ヶ所めぐりはどうしたのですか、という問いあわせをいただいた。


忘れたわけではないのであるが、そういえばご無沙汰していた。4月以来、園芸作業が忙しかったこと、いくつかの行事が重なったこと、週末に院内待機をせざるを得ない状況がつづいていたこと、などの条件がご無沙汰していた。

そうした中に、心残りの案件があったので、日曜日にその件もついに済ませた(内牧の花あそ美の訪問)。ということで、今週末天気が良くて、お産の人がいなければ再開しようかなと考えている。ただ、さすがに暑くなってきたので、自転車で行動する予定であるが、暑すぎても、雨が降っても心配である。

行程は前回でとん挫した部分からの再開をと思っている。すべては、土曜日の天候次第である。

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さて、7月1日日曜の午後である。芝刈りは、バッテリー充電不良でとん挫した。なのでバラの手入れをしたら、へとへとで、とても作業のできる状態ではなかった。幸いお産の患者さんもいない。問い合わせもない。

よし、いこう、と阿蘇へ向かう。天気も下り坂で、午後3時過ぎ。思ったほど道も混んでいない。クリニックから1時間少々で着いた。春のバラ祭りも過ぎ、訪れる人もなく、無料開放であった。

ほとんどのバラは、選定され、咲いているバラのほうが少ない。それでもあちこち咲いているバラを見てまわる。

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やはり雨に打たれないほうが花は長持ちする。この様に咲かせたいものであるが・・・

でも、雨に打たれたバラもいい。

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葉っぱが生き生きとしている。

一方当院のバラは、どうも葉っぱが黄色くなったり、おちてしまったものもある。病気発生かと、日曜におていれをしたけれど・・・。

週末の託麻88ヶ所めぐり再開したなら、運動公園のバラ園にもよってみよう。また戸島のバラのきれいなお宅もまた訪問してみたいものである。

託麻公民館で、この様な掲示を以前見かけた。

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どうしようかな、と迷っていたが、思い切って参加してみた。

4回講座で、月に1回11月から毎月あっていたようで、2月の最終回にようやく参加できた。

講座の内容は、残念ながら、私には少し難しい真言宗の講義の初心者向けのようなものであった。たぶん1回目が、88ヶ所めぐりの経緯を述べるものであったであろうだけに、残念であった。

しかし、参加することで、他の参加者との会話の機会があった。で、その結果私なりに88ヶ所めぐりに関する知識が深まった。

4月7日に年1回の全88ヶ所めぐりがあるらしく、参加をと呼びかけられのであるが、その日は土曜日で、たぶん診療もあるし、帝王切開も予定していたような気がするのでお断りした。

ちなみに、88ヶ所ちゅう、2か所は失われた場所であるらしい。最近1か所はわかった、と。あと1か所を探索中と。そしてこの88ヶ所めぐりを周知している方々は、どうもその88ヶ所のめぐりに何らかの関係のある人のようであった。

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