カテゴリ: 福岡の思い出

観光でどちらかを訪れれば、それは観光が目的であり、楽しく過ごす仲間と一緒の瞬間ということになる。友人とどこかで待ち合わせをして酒を飲むとしても、やはりそれは楽しいひと時を気心の知れた仲間と過ごすことが目的である。

学会や講演会に行くことは、そこで少なくとも研鑚を積むことであり、そこで何かを得ないことには参加した意義そのものがない。

しかし、開業を意識していたころ(福岡あるいは熊本で)はあちこちに行くときには、つねに何か気になることがあれば、メモを取り、写真を撮っていた。その主たるものが、施設見学であった。片っ端から写真にとって、あとで、参考に、と。当時(2005年ごろ)はまだフィルムカメラとデジタルカメラの移行時期なので、データーの保存がネガからメモリーへと移行しつつあった。なので、それ以前の写真はすべてネガであり、そのネガをスキャンして取り込むことは結構面倒な作業なので、諦めた。なので、現在手元にある写真データーは、ほとんどが当時のNIKONで撮影したもの、ということになる。

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愛宕方面から百道方面を望む

2005年当時は福岡市の藤崎というところに住んでいた。室見川がちかくにあって、毎年春先にはシラウオ漁で小屋が建っていた。当時は週に何回か早朝に走って、それから勤務という生活をしていたような気がする。室見川の堤防沿いがお気に入りのコースであった。のちには古賀の海岸線がお気に入りのコースになったが。

藤崎から西新のクリニックまで自転車か歩いて通っていた。時には回り道も。その際にとあるクリニックの看板を見かけて、いいなと思った。とぼけた人の顔のように私には見える。ご存知の方もいらっしゃるであろう。私が福岡で一番惹かれた印章である。

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こちらのクリニックも印象的であった。わかりやすいよな、と。

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百道界隈の高額そうな自宅や建物も当然魅力的ではあったが、私自身はこうしたデザインがおもしろいな、と。そしてそれならば、私なりの好みのデザインにしたいな、という思いが深まった。

で、アルモニというデザイン事務所を紹介していただき、現在のクリニックの基本印章と封筒の形と名刺の原型を1年くらいかけて作った。

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最後の最後までどちらかに決めきれず、結局メインとサブのロゴという形で二つになった。文字のフォント、色、バックの花のデザインと色にこだわったものである。2006年6月が最終稿のようである。

封筒も、白と緑と薄桃色の3色とした。名刺の基本形も同様である。担当していただいたアルモニの小林様には今でも深く感謝申し上げている。



以前のブログやHPにはつづっていたが、現在のHPやブログにはそうした記載がないので、ちょっと忘れないうちに、と。

私は熊本大学出身で、卒業後は本の各地で産婦人科医として働いていた。事情により福岡に5年ほど住むこととなった。なかなか福岡は居心地がいいので、そのままそこで働き続けるつもりであった。藤崎商店街、百道の図書館、大濠公園中之島、そして当時存在したブルーノート福岡がお気に入りのスポットであった。

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ここが当時の一番のお気に入り。自転車で西新商店街で蜂楽饅頭と文庫本(お気にいりはジェフリーディーバもの)を買って、大濠公園の中之島のベンチに寝転がって昼寝をする至福のひと時であった。

諸事情時で熊本に帰り、産婦人科クリニックを開業することとなった。年齢的にも最後のチャンスだし、せっかく開業するなら自分好みの産婦人科を、ということで様々な方に相談し、現行の形となった。ちょうど福岡で働いていた施設が松山建築設計室の設計であったので、松山先生にお願いした。

今手元にある写真からすると、たぶん2005年ごろから各種施設に見学に行って、青写真を描き始めたのであろう。その後現地を選定し、本設計となり、建築となった。その間福岡から週1で熊本に通っていた。

クリニックの基本的なデザインは、松山建築設計室と私と当時助言をいただいていた方々との検討という形で詳細を詰め、実際の現場運営も進んだ。なので、現行のクリニックの基本的なところは松山建築設計室の案が基本である。

一方クリニックのロゴや開業当初のリーフレットは、私とデザイン事務所と友人との相談で検討した。現行のクリニックロゴは、そのまま使っている。リーフレットは、その後の増築と、時代の変化もあり、最近新規に一新した。

本当にいろいろな方にお世話になった。そうした方々のおかげで、今がある。中にはその後疎遠となった方もいらっしゃるわけであるが、でもやはり皆様のおかげでこのクリニックはできた。皆様に深く感謝申し上げる。厳密にいえば、会社組織のおかげでもあるが、担当者のおかげでもある。ここに担当者の方々の名前までは記載できないけれど、こうした方々にお世話頂いたし、各種の検討を行った。

松山建築設計室 ttp://www.matsuyama-a.co.jp/
ライティングスタジオ荒井 http://www.l-s-a.jp/
ブリッツスタジオ http://blitz-st.com/


グリーンホスピタルサプライ https://www.ghs-inc.co.jp/
協立機電工業 https://www.kyoritsu-kiden.co.jp/
小竹組 http://www.kotakegumi.jp/gaiyo/
九電工 https://www.kyudenko.co.jp/
広誠設備工業

有限会社アルモニ http://www.armoni.co.jp/
融和パートナーズ https://s-ket.com/
穴井労務士事務所 http://www.anai-office.jp/
明治乳業 https://www.meiji.co.jp/

これら以外にもいろいろな人のおかげであると思う。深く感謝申し上げる。

開業するまでもいろいろとあった。開業してからもいろいろとある。そして今も・・・・。諸事雑事がなくなることないし、避けて通ることもできない。でも、今後の存続のためにはきちんと過去をみて、今を見て、将来をみなければ、と。

当時の思いも含めて、しばらくそうしたことをつづってみたい。

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開業の少し前まで働いていた施設のそばの海岸線。この砂浜好きだったし、当直の時にはこの海岸線を走っていた。


日本人はコメが主食といいながら、結構あちこちにパン屋さんも多い。そして私も糖質制限といいながら、パン屋さんをめぐるのは好きである。昔は、フランスパンとバターか、デニッシュの組み合わせであった。九品寺に住んでいたころは、よくタカラ屋?に行っていたような気がする。菊陽に一時期住んでいた時期には、アリスを始め、武蔵丘界隈のパン屋さんを朝訪問していたような気もする。

それから福岡に5年ほど住んだけれど、比較的自由な時間も多く、あちこち自転車で散策していた。その時に、パン屋さんめぐりを結構楽しんだ。そうこうするうちに、だんだん自分なりのパンの好みが変わってきた。きっかけは、今はもうない、セトレボンの勅使道店でであった天然酵母のパンであった。大西かおりさんだったとおもうけど、その人の働く姿も、そしてそこでちょっとだけ会話する機会もあった。(現在は、フランスでパン屋さんを開業されいてる http://tresbon.blog.bbiq.jp/ )

それから熊本に帰ってきたのが2007年で、その当時。トレボンのパンが恋しくて、冷凍で送ってもらっていた。熊本でも、ニュイテジェール https://ameblo.jp/nuit-et-jour/ と出会ったので、ここをよく利用するようになった。その後この界隈にもさまざなパン屋さんができたし、また個人的にも一時期シナモンパンとか、餡バターとかにハマって、いろいろとお店を探した。

でも、いろいろと回って、一回り。結局ニュイテジェールがやはり好みである。こちらの天然酵母のパンを薄く切って、トースターでちょっと焼いて、何かを付けて、というのが一番である。

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土曜日に、友人からこのパンもいいかもと紹介いただいた。で、早速日曜日に出かける。

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これだけ手に入れいれた。こんなに購入しては糖質制限なんて、また遠のいてしまうが・・・。

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このパンを薄く切ってもらうために、出来立てのパンが冷えるのを2時間ほど待って、冷えてから切ってもらった。このパンの見た目は、あの勅使道店のパンと似ているような・・・。食べるのが楽しみである。タンドルマンはFBにHPあります。タンドルマンで検索ください。

ウィメンズクリニック グリーンヒルは2007年6月1日が公式開院日である。2006年6月が地鎮祭である。クリニックの設計図を松山先生と検討したのは、2005年ごろから1年くらいかけたような気がする。ということは2004年ごろから開業を意識して各地を見学していたような気がする。

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https://www.withthestyle.com/


ま、厳密にいえば、私の場合、3回くらい開業を計画したことがあり、開業のために各地を見学に行ったわけであるから、その最初のころはたぶん1995年前後であろう。で、いったん断念して複数の施設で働き、その後開業を変則的な形で行うこととなり、そこで2000年前後に各施設を再度見学に行った。で、そうした経験をもとに、設計士の先生と検討し、開業に至った。しかし、その後その施設を離れ、福岡に移り、5年ほど住んでいた。

各施設を見学に行くことは楽しかった。その施設を作った人のいろいろなアイデアに触れるのも楽しかったし、何より素敵な施設をみることは私なりの眼福であった。思い起こせば、本当にあちこち行った。遠くは東京、岐阜、京都、大阪、松江、北九州、鹿児島、福岡、そして熊本県内各所と。福岡に住んでいた時には、自由度も高かったせいもあるが、あちこち自転車で散策した(これは単に散策であり、見学ではないけれど)。

福岡在住当時、3回転居し、2か所の施設で勤務した。福岡市の西の方に住んでいた。当時、福岡市の医師会館で各種の講習が開催されることも多く、地下鉄で博多駅にいって、そこからてくてく歩いて医師会館に向かった。みちすがら、この建物があり、いつも気になっていた。

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で、開業を意識しこともあり、施設見学をしようと思い立ち、カメラを持参してお願いしたら、OKと。写真撮影をさせていただいた。ちなみに、写真はその当時のものなので、2005年11月8日撮影であるから、今とは少し異なる。(というか、昨日当地に行ったら、木が大きく育っていた)

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当時は、ここがフロントだった。このフロントは今はない。

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各病室にこのようなベッドがあり、福岡市内でありながら、リゾートの雰囲気の漂う不思議なホテルであった。

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自分の容姿に自信がないので、とてもこのようなシャワーやふろを使う勇気はないけれど・・・。

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圧巻は屋上にジャグジーあったことである。ジャグジー側からほてるをみるとこんな感じで。

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3月6日、電子カルテの検討のために、福岡の施設を2か所見学に行った。その間に昼ご飯をということで、久しぶりにこのホテル(ウィズザスタイル)を訪れた。フロントの雰囲気は少し変わっていた。また木が大きく成長していた。10年以上前に訪れていたし・・・。

ちなみに、ここで私の一番のお気に入りは、その奥まった空間にあった寿司屋であるった。残念ながら今はなかった。この大将はどこにいったかな、と。

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9月26日、ちょっと福岡に行く。ここ1年ほど県外に出たことはなかったので、久しぶりである。福岡県の粕屋郡粕屋町へ。

私は10年以上前に福岡に約5年住み、福岡市内の産婦人科で4年、古賀市の産婦人科で1年ほど働いた。その際にお世話になった先生が、新たに開業されるということで、ご挨拶に伺った。

https://yui-lc.com/

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場所は粕屋。ここもまた懐かしい。福岡に住んでいたときに最初に住んだ場所がこの近くである。海が近く、川や池もあり、自然も豊富である。(というか、この地にとある事情で住むために、そこに住むという前提で、仕事を探して、福岡市内の産婦人科で働いた、というのが順調であった)

15年ぶりくらいに現地を訪れる。粕屋は自然が豊かで、まだ畑や田んぼが広がっていた、というの当時の印象である。しかし、福岡市の発展に伴い、その周辺の開発もすさまじく、風景は一変していた。ただ、基本的には道路や交差点は変わるはずもないので、この道は何となく覚えているな、と感じながら、ナビを頼りにすすむ。

ナビを頼りにしても、道に迷うというのが悲しいところであるが・・・。それでもようやく無事到着。

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10月1日、診療開始とのことで、そのために準備中のなかにお邪魔した。写真は外観と待合室である。

設計は松山建築設計室である。当院の待合室と相通じる雰囲気はあるが、やはり少し変わったな、と感じる。

1時間ほど見せていただいた。さまざまな工夫があり、新しい試みがあり、まさに今が旬であるな、と感じるばかりである。あとは順調に診療が開始されることを願うばかりである。

それから足を延ばして、福岡市博多区の松山建築設計室へ。
http://www.matsuyama-a.co.jp/

当院の現況や問題点その他の相談でうかがう。1時間ほど過ごす。福岡市内の変貌はさらにすごいな、と。おまけにえらくパトカーが多かった。交差点でもあちこちに警察の方が。何かあっているのかな、とおもうけれど、これが福岡の日常かもしれない。

本当はそれからもう1か所個人的に行きたいところがあったけれど、時間的に難しかったので帰宅する。またの機会に、と。




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