カテゴリ: 福岡の思い出

スぺシャライズドという自転車メーカーがある。熊本にもその特約店が紺屋町にある。超高級ロードバイクを扱う、私には縁のない存在と思っていた。ただ、現在自転車を思案中で、たまたまいった自転車が、その特約店もグループ会社であった。そして、昔の写真を見てみたら・・・


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福岡にいたのは、今から約20年前である。当時も院長を務めていたが、結構時間に余裕があり、この自転車であちこち行っていた。東、南、西、北(といっても北は港までであるが)。どこで購入したのかは記憶が定かでない。福岡で購入したのか、熊本で購入したのか。

ただ福岡にいる間約5年はこれに乗っていた。熊本に帰ってきて、開院した時もこれを持ってきた。当院の立地条件(当時は人里離れ、周囲に田んぼしかない場所)で、お越しになる方は大体車である。ということは、自転車を持っていくような人はいるはずがない、と思ってカギを掛けなかったら、いつのまにかなくなってしまった。

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開業当初、こうやって置いていた。で、今になってよく見ると、自転車の車体のロゴが残されていることに気が付いた。なんとこの自転車はスペシャライズドのマウンテンバイクであった。最廉価盤で、hardrockというタイプであった。調べてみると、いまでもこの自転車なら手に入ることが判明した。

さすがに20年前のモデルはないが、今風のモデルとなって存続している。最廉価盤とはいえ、それなりのお値段でもある。乗りやすかった事、そして何よりも私自身が5年以上は乗っていたこと、そして窃盗にあって不満足な思い出がのこっていること、などからすればやはりこれにすべきかもしれない。

そう思って、スペシャライズド熊本に行ってみた。しかし行くと、様々自転車を観て、また考えも変わるわけで、2回通ってようやく決まった。近日中には届くことであろう。

残念ながら体力的な問題で、以前の様に(福岡にいたころの様に)あちこち乗ることはないかもしれない。また遠くに行ってしまえば、お産に間に合わない、ということもあるかもっ知れない。ということで今回は少し味の違うものとした。

小学生のころから自転車に乗っていたような気がする。小学校時代、まだ変速機のない自転車で、辛島公園くらいまで行って、帰りがけに坂で苦労したような・・・・。そして中学時代、といっても中学と高校は寮であったから、学校内に私の自転車はない。でも、たぶん実家で変速機付きの自転車を購入して、楠のテニススクールに通ったような覚えもある。また、高校卒業後の春休みに、熊本久留米間を自転車で往復して小旅行気分を味わったような気もする。

そして大学時代。黒髪のキャンパスまで最初は自転車で通っていた。しかし遠いこと、そしてとある苦い思い出(酔っ払って自転車に乗ってこけて、二日酔いして、と)があり、免許も取って、原付、そして車の生活へと移行した。でも、時には本莊の病院まで自転車で通ったこともある。

そして医師となり、あちこちで勤務したわけであるが、その都度の足として車を使うことが多く、しばらく自転車は眠っていた。その自転車が復活したのが、たぶん福岡にいたころであろう。ただし、熊本赤十字病院で勤務していたころは、上熊本の住居から日赤まで自転車で通っていたこともある。(日赤には当直用勤務者のための風呂があり、汗をかいて、ひと風呂浴びて、勤務と)


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当時の私の自転車。百道の海浜公園にて。

熊本にいたころは、雑用が多く、あちこち行けたような気があまりしない。福岡に関しては、私自身知らないことが多かったので探求心があったこと、子供が大きくなったこと、そして勤務先のクリニックでは勤務日以外は結構フリーであったこと、などから、自転車であちこち行った。

竹下の朝日のビール工場にいったときに、自転車できたといったら、飲酒運転なので試飲できません、といわれたときにはがっかりしたことを覚えている。また、百道の球場の北側に港があって、そこで土曜市があることをしって、格安の魚を求めて通ったこともあった。

歩くとき、自転車で通る時、車で通る時、やはり視点が違うわけで、それなりの新しい出会いがある。そうした出会いと、福岡にいたときには開業を考えていたので、各地のきれいな建物を写真を撮るのに、自転車は好都合であった。


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そうやってあちこち行って、いろいろなことを学んだような・・・・・・

そうして熊本に帰ってきて、と。でしばらくはあの自転車に乗っていたわけであるが、無くなってしまって、非常に残念であった。福岡の苦楽を共にした仲間を失ってしまった。

そしてまた自転車を購入して、またダメになりつつあるわけで・・・。そろそろ年齢を考慮すれば、電動自転車という選択肢もあるかもしれない。ただ、電動にするとやはり重いような気もする。今回の理想は、軽くて山でも街中でも乗れるような自転車である。

しかし、どんなものでの壊れるわけで、メンテナンスは必須である。そうなると、やはりお付き合いする自転車屋さんも考えなくてはいけないし、またその自転車屋までどうやって運ぶのか、という問題もある。折り畳み式、あるいは解体できればそれが一番であるが、そこにはまた別の問題もあるわけで・・・・。

ただ、そうやって、悩んで、いろいろなお店に足を運んでいるうちに、すこしづつ現時点での回答に近づきつつあるような気もする。

昔、福岡に住んでいたころ、福岡市の利便性を痛感したし、人々が福岡市に引き寄せられるわけも何となく理解した。食べ物屋さんも多いし、交通の利便もいいし、なにより海が近い。私も、福岡市に多少なりと住んだことがあり、おかげで、もつ鍋、海鮮料理、炉端焼き、宮崎料理、イタ飯、寿司屋と堪能させてもらったし、当時はブルーノート福岡があったので、ここにも時に訪れていた。また、海が近く、休日には自転車で百道のドームの裏にある漁港に行って夕市(魚とアワビが安かった)にもいった。

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私にとっては、都会と地元の共存する町であり、海を身近に感じられる街であり、離れがたかった。

そして居を移し、熊本に帰り15年。でも考えてみれば、熊本の中でも、勤務の都合で、荒尾に住んだり、本渡に住んだり、と。で、振り返ってみれば、どこもそれなりに楽しかった。

要は、気持ちの持ち方かもしれない。そこに住む、生活する、という観点で、そこを拠点と定める以上、そこで楽しめる何かを探す。すると、きっと何か見つかる。探さなければ、あるいは不遇を嘆いていては見つからない。ということかな、と感じる。

人が生きていく以上、そこに何らかの制限がある。何らかの制限があるなかで、その制限を前提に、楽しめることを探せば何過密化ということであろうし、そういう何か楽しいことがなければ私は続かない。

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程よい金額でうまいものがあって、うまい酒があって、それでひと時を過ごせれば、翌日への活力は出る。

そう考えれば、この熊本市での戸島の生活に何も問題はないし、私なりに十分堪能している。ただし、一つだけ不満があって、それは潮の香りがかげないこと。海は遠い。

写真は福岡市の自転車探索で見つけたドームの裏にある漁港での夕市。今も開催されているかどうか自信がないが、確か土曜日の午後であったと思う。アジやアワビが安く手に入った。写真撮影は2006年12月23日であるから、約15年前となる。



20年くらい前に5年ほど福岡に住んだ。まだ最初は右も左もわからず、おまけに最初は粕屋に住んでいたので、福岡市内はとんとわからなかった。友人や知人に教えてもらいいくつかのお店を教えてもらった。また、後半の4年くらいは福岡市の早良区の藤崎というところに住んた。クリニックは西新にあり、藤崎から西新までもっぱら自転車通勤をしていた。そのため自転車であちこちめぐって、少し土地勘ができた。

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そうした際に、さいしょにつれていってもらったのが稚加栄 福岡・博多の和食、会席料理 | 博多料亭稚加榮 (chikae.co.jp) で、ある意味、衝撃的であった。大きないけす、そしてそれを取り囲むようにあるカウンター。料亭であり、実は中のお座敷に座ったことはないような気もする。もっぱらカウンターに座っていた。

次にはまったのがもつ鍋屋であった。とくにおおやまの本店 本店 | もつ鍋 おおやま (motu-ooyama.com) が好みであった。ただし、その当時はおおやまの座席は板張りで、そこに胡坐をかいて座ったような気がする。熊本に帰っておおやまの持つ鍋が恋しかった。で、しばらくすると熊本にも大山というもつ鍋屋さんができて、ここにも通った。

しかし、次第に町中に行くことが億劫になったこと、そしてなにより私が胡坐をかいて座るとよく時に膝が痛くなること、などより通販に切り替えた。しかし、そのころ熊本の大山のもつ鍋はてにはいったが、福岡のおおやまの通販はなかった。

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で、最近ふと思って探したらあった。早速お取り寄せをした。

以前知人から言われた。もつ鍋はモツを食べるのではない。野菜を食べるのだ、と。

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ということで、私の場合、キャベツ一玉、ゴボウ2本、木綿豆腐1丁、モツ200gとなる。ニラも唐辛子も苦手なので入れない。汁が飛び散ると面倒なので、新聞紙を敷いて、と。ちゃんぽんもいらない。懐かしい味であったが、でも考えてみれば、そこそこ美味しければ、たぶん熊本でも、福岡でも、どこでもいいような気がするから、福岡にこだわる必要はない。

ただし、福岡のおおやまは発注後2日目で届いた。これは思い立ったら、なんとやらで、ありがたかった。

あとは藤崎駅の傍にある磯貝。ここもよくいった。酒飲んで歩いて帰れることで重宝した。博多漁家 磯貝 / しらすくじら (hakata-isogai.net)

それから藤崎商店街にある宮崎郷土料理の店 招ふく アクセス | 西新・藤崎の居酒屋 招ふく (shou-fuku.com) にも通った。ここの冷汁と宮崎の焼酎が好きだった。

その当時と、今と当然違うであろうし、私の環境も変わった。そしてコロナによる影響もあることであろう。おいしいことも大切であるけれど、今の私にとっては大切なことは、安心してゆっくり食べられること、いつでも呼ばれてもいいこと、となる。なので、そうなると、やはりお取り寄せで自分の部屋で、と。



当院の電話回線は、光回線が2本と、アナログ回線が1本である。過去に落雷で電話機が使えなかったときでも、光あるいは旧ISDN回線がだめになることはあっても、アナログ回線は生き残っていた。しかし、今回はどちらもだめになったようである。

朝になり、電話交換機本体の破損に加えて、どうも一部の機器に接続するケーブルの断線、一部の機器のブレーカの作動、という事態が判明した。そして応急処置により、さしあたり電話回線(096-360-5511/6611)は使用可能となった。Wi-Fiもインターネットも使用可能となった。ただし、本体電話交換機自体は、これから基盤の交換その他に時間を要すると連絡をいただいた。

電話交換機は、PHSとの連動と、インターネット回線との振り分けを担ったいたので、インターネット回線を切り離しインターネット回線は使用可能となった。しかしPHSは無用の長物と化した。また仮の電話交換機で、それに対応できる電話は7台しかない、ということも判明したので、しばらく内線は7か所でしか使えない。

ちなみに、こうした破損の大本は落雷である。この落雷で当院の停電はなかったので、どこかで落雷があり、それがその場所に生じた過大の電流が、そこから電話回線や電気の回線を逆流して、この地域の各施設に影響をもたらしたと予想される。なので、電話に限らず、この界隈の施設は多少なりと当院と似たような状況ではないか、と思う。修理に来た業者の方も、昨日は数か所掛け持ちであったようである。

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生じたことをくよくよ悔やんでも始まらないので、あとはその環境に適応する、というのが基本的な私のスタイルなので、電話にかいしては、この環境でということになる。スタッフに申し訳ないのが、ナースコールへの対応である。以前はPHSで対応できたが、今はそれができないので、ナースコールがなったらナースステーションへダッシュということなる。

また院内を巡視するスタッフがPHSを持ち歩けないので、連絡は各人に直接会って、ということにもなる。さしあたり、7か所は内線が使えるので、厨房と2階と1階の連絡のために移動する必要はなくなった。そういえばありがたいのは、院長用の首輪のPHSも作動しなくなった。でもかわりに院長用の携帯を持ち歩いているが・・・・。

これを機に、直接スタッフ間で確実に伝達するというスタイルを再確認する機会と思えばいいのかな、と考えことにした。

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写真は、私の好みのもの、ということで・・・。いつのまにやら、紅茶はアールグレイが好みになった。アールグレイは以前は何でこんな紅茶えをと思っていた(チョコミントと同じ)。実家に紅茶のプレゼントをいただいて、トワイニングの黒ラベルがアールグレイであったと思う。おいしくない、と尾も思っていた。しかしここ20年ほどはアールグレイである。なかでも、ルピシアのオレンジペコのブロークンタイプでミルクティーが一番である。

ルピシアというお店に直接であったのは、福岡であった。

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20年くらい前に福岡に5年ほど住んでいた。粕屋、室見、藤崎と移り、藤崎が3年ほど住んでいたような。福岡に住んでいる頃から、休日子供の相手をしなくていい日には、カメラを背負って、自転車であちこち行った。

好んでいったのが、百道浜である。当時からビーチでこのように興じる人が多かった。

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当時の私の相棒の自転車。熊本に持ってきたが、盗難にあい行方不明となった。

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その百道の一角にこのホテルがある。私自身としてはご縁のない高級ホテルと認識している。ただこの中にルピシアがあった。

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これだけ紅茶や日本茶などが並ぶと壮観である。このホテルの前にみすぼらしい自転車を止めるのは、気が引けるけれど、堂々と入って、アールグレイを購入していた。

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実はもう一つ目的があり、この界隈に焼き物屋さんもあった。中里さんという著名な女性が店主を構えていた。

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器自体は、高額であるし、私の場合よく落とすので、あまり購入した覚えはない。でも、不思議とこのお店にひかれた。今もあるのか、そして中里さんが店主として対応してくれるのか不明であるが・・・。

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私はルピシアは東京あたりの会社の全国チェーンと思っていた。ところがその本社が北海道にあることを最近知った。なので、最近はオンラインで注文することも多いが、時に葉っぱが切れたときにオークス通りのお店に行くこともある。

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