カテゴリ: 福岡の思い出

私自身の以前のイメージでは、早良区は百道に代表されるように都会的な香りの漂う地区である、と思っていた。しかし実際に住んでみると、確かに百道はそうした場所ではあるが・・・。

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百道にある図書館。実はここでジェフリーディーバの本に出合った。エンプティチェアを借りたような気がする。早良区のバスセンターにも確か、図書館の分館があって、ジェフリーディーバーを求めて探し回った。

今であれば、アマゾンで検索、カートに入れる、あるいはキンドルで読むというところであろうけれど・・・

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博物館。確か一度、人体という展示会を見に行ったような気がする。

こうした場所や、大学やドームがあり、医療センターもあり、華やかな街である。

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百道のビーチでは、いつも誰かこうやってプレーをしていた。帰りがけにホテルハイアットの紅茶屋さんで紅茶を購入していた。

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自転車でこれらのところを目的に動くと、結構その途中にさまざまなことに気が付くわけで、昔の百道の松林や堤防の痕跡があったり、ドームの向こう側に小さな漁港があって、そこで土曜日にの午後に小さな魚市場が開かれていて、華やかな部分もあれば、生活の香りの漂う場所もあった。

ちなみに、私の住んでいた場所は、室見と藤崎であって、百道はちょっと遠い。百道自体は地下鉄が通っているわけではないので、車か公共のバスを使うか、そして私のように自転車でいくか、ということになる。潮の香、そして様々な生活の香りをかぐこと、それらがすべて発見であり、私はもっぱら自転車であった。







雨が続くし、カーテンを開けても曇天だし、たぶんどこかに行っても雨。おまけにやはりコロナもあるいし、さらに言えば私の仕事柄遠出は難しい。そこで、久しぶりに昔を思い出すことにした。

開業前に福岡に約5年ほど住んでいた。最初の半年は粕屋という場所に。それから福岡市内に移動して、4年ほど住んだ。当時の勤務先は、福岡市内にある産婦人科クリニックで、3か所の勤務先があり、車や自転車で通勤していた。その後、そのクリニックを離れ、古賀市にある産婦人科で1年ほど働いた。

福岡市は、海が近く、そしてちょっと足を伸ばせば、あちこちに自然が広がり、程よい都会で交通の便もよく、食べ物屋さんも多く、人が集まるはずだ、と強く感じた。私としては、事情があり、福岡に転居することになったのであるが、せっかく福岡に住むなら、といる間は私なりに楽しませていただいた。

とはいえ、いまから15年くらい前の話であるから、今とは変わっているかもしれない。変化の大きい町であるから。

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室見川から百道方面を眺める。今から16年前の写真なので、マンションなどですこし感じがかわっていると思う。住んでいるところ(室見と藤崎)から、室見川は近く、程よく走るにもいいコースであったので、時に朝に走っていた。

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カーリーサイモンの何とかという歌(ワーキングガールという映画のイントロに流れる、Let the River Run)というメロディーをハミングしながら、私なりに都会を走るというイメージで楽しんでいた。(映画そのものは、NYを舞台として、今はなくなってしまったワールドトレードセンターが舞台であったか)

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お気にいりの場所が、大濠公園の中之島の石のベンチ。行く途中に西新商店街によって蜂楽饅頭を買って、この石の上で寝転んで本を読む、というのがベストであった。暑くても程よい日影があり、水面を渡る風は心地よかった。

住んでいる場所から、自転車であちこちめぐる、というのが当時の私の趣味であった。福岡市といっても、ちょっと離れるといろいろな発見があった。

18年くらい前福岡に住んでいた。最初は福岡市の近郊の粕屋町に、それから福岡市早良区に移って、おおよそ5年ほど福岡で過ごした。最初は車で移動することを考え、福岡インターのそばであった。福岡市内に住むにあたって、地下鉄で移動することとして、地下鉄の沿線を考え、藤崎駅のそばに住んだ。

藤崎駅のいいところは、周辺に商店街(藤崎商店街)があり、普通のお店(敷居の低い、高額ではないお店ということであるが)が普通にあるので、週末にはそうしたところを訪れて、十分に楽しむことができた。歩いて行って、よっぱらっても歩いて帰れる距離、というのがいい。個人的には宮崎料理の店と魚屋と焼き鳥屋さんが好きであった。

先日10年ぶりくらいに福岡を訪れる機会があった。以前住んでいたところも少し雰囲気が変わっていた。でも、まだ焼き鳥屋さんはあった。宮崎料理の店も残っていると聞く。魚屋さんも残っていることであろう。やはり福岡はすみやすかったな、と思いながら後にした。

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一方現在住んでいるこの熊本市東区界隈には、歩いて行ってちょっと飲んで食べて、という場所は少し遠い。でも以前の福岡の都市感で考えれば、大した距離ではないはずであるが、どうも最近は歩くことが少なくなってしまった。

そうした事情と、私自身の好みの変化と、私の置かれた環境の変化から、最近はもっぱらクリニックの自宅でちょっと料理をしながら一杯というのがスタイルとなってしまった。なので、かえって出歩くことが面倒となってしまった。

何らかの機会がないと街中に出ることはない。とはいえ、時に変化を人は求めるものである。それは私にも、スタッフにも。ということで、厨房のスタッフとタイ料理・ベトナム料理を先週と今週に訪れた。

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10年ほど前にも熊本にはタイ料理のお店はあったような気もする。でも、今回探してみたら、結構お店が増えていたような気がする。そしてベトナム料理もあった。福岡には及ばないけれど、さまざまな地方の料理が味わえるということは、やはり楽しい。

いつのひか郷土色豊かな郷土食を、その地方のお酒を飲みながら、味わうようなさすらいの旅をしたいものである、と最近考えるようになった。(南の島の夢をあきらめたわけでは無いけれど、こうした生活もしてみたいな、と)

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写真は、333(バーバーバー)にてフォー、生春巻き、ガパオライスを食した。これは当院のメニューにもあるけれど、風味がやはりちょっと違った。

観光でどちらかを訪れれば、それは観光が目的であり、楽しく過ごす仲間と一緒の瞬間ということになる。友人とどこかで待ち合わせをして酒を飲むとしても、やはりそれは楽しいひと時を気心の知れた仲間と過ごすことが目的である。

学会や講演会に行くことは、そこで少なくとも研鑚を積むことであり、そこで何かを得ないことには参加した意義そのものがない。

しかし、開業を意識していたころ(福岡あるいは熊本で)はあちこちに行くときには、つねに何か気になることがあれば、メモを取り、写真を撮っていた。その主たるものが、施設見学であった。片っ端から写真にとって、あとで、参考に、と。当時(2005年ごろ)はまだフィルムカメラとデジタルカメラの移行時期なので、データーの保存がネガからメモリーへと移行しつつあった。なので、それ以前の写真はすべてネガであり、そのネガをスキャンして取り込むことは結構面倒な作業なので、諦めた。なので、現在手元にある写真データーは、ほとんどが当時のNIKONで撮影したもの、ということになる。

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愛宕方面から百道方面を望む

2005年当時は福岡市の藤崎というところに住んでいた。室見川がちかくにあって、毎年春先にはシラウオ漁で小屋が建っていた。当時は週に何回か早朝に走って、それから勤務という生活をしていたような気がする。室見川の堤防沿いがお気に入りのコースであった。のちには古賀の海岸線がお気に入りのコースになったが。

藤崎から西新のクリニックまで自転車か歩いて通っていた。時には回り道も。その際にとあるクリニックの看板を見かけて、いいなと思った。とぼけた人の顔のように私には見える。ご存知の方もいらっしゃるであろう。私が福岡で一番惹かれた印章である。

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こちらのクリニックも印象的であった。わかりやすいよな、と。

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百道界隈の高額そうな自宅や建物も当然魅力的ではあったが、私自身はこうしたデザインがおもしろいな、と。そしてそれならば、私なりの好みのデザインにしたいな、という思いが深まった。

で、アルモニというデザイン事務所を紹介していただき、現在のクリニックの基本印章と封筒の形と名刺の原型を1年くらいかけて作った。

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最後の最後までどちらかに決めきれず、結局メインとサブのロゴという形で二つになった。文字のフォント、色、バックの花のデザインと色にこだわったものである。2006年6月が最終稿のようである。

封筒も、白と緑と薄桃色の3色とした。名刺の基本形も同様である。担当していただいたアルモニの小林様には今でも深く感謝申し上げている。



以前のブログやHPにはつづっていたが、現在のHPやブログにはそうした記載がないので、ちょっと忘れないうちに、と。

私は熊本大学出身で、卒業後は本の各地で産婦人科医として働いていた。事情により福岡に5年ほど住むこととなった。なかなか福岡は居心地がいいので、そのままそこで働き続けるつもりであった。藤崎商店街、百道の図書館、大濠公園中之島、そして当時存在したブルーノート福岡がお気に入りのスポットであった。

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ここが当時の一番のお気に入り。自転車で西新商店街で蜂楽饅頭と文庫本(お気にいりはジェフリーディーバもの)を買って、大濠公園の中之島のベンチに寝転がって昼寝をする至福のひと時であった。

諸事情時で熊本に帰り、産婦人科クリニックを開業することとなった。年齢的にも最後のチャンスだし、せっかく開業するなら自分好みの産婦人科を、ということで様々な方に相談し、現行の形となった。ちょうど福岡で働いていた施設が松山建築設計室の設計であったので、松山先生にお願いした。

今手元にある写真からすると、たぶん2005年ごろから各種施設に見学に行って、青写真を描き始めたのであろう。その後現地を選定し、本設計となり、建築となった。その間福岡から週1で熊本に通っていた。

クリニックの基本的なデザインは、松山建築設計室と私と当時助言をいただいていた方々との検討という形で詳細を詰め、実際の現場運営も進んだ。なので、現行のクリニックの基本的なところは松山建築設計室の案が基本である。

一方クリニックのロゴや開業当初のリーフレットは、私とデザイン事務所と友人との相談で検討した。現行のクリニックロゴは、そのまま使っている。リーフレットは、その後の増築と、時代の変化もあり、最近新規に一新した。

本当にいろいろな方にお世話になった。そうした方々のおかげで、今がある。中にはその後疎遠となった方もいらっしゃるわけであるが、でもやはり皆様のおかげでこのクリニックはできた。皆様に深く感謝申し上げる。厳密にいえば、会社組織のおかげでもあるが、担当者のおかげでもある。ここに担当者の方々の名前までは記載できないけれど、こうした方々にお世話頂いたし、各種の検討を行った。

松山建築設計室 ttp://www.matsuyama-a.co.jp/
ライティングスタジオ荒井 http://www.l-s-a.jp/
ブリッツスタジオ http://blitz-st.com/


グリーンホスピタルサプライ https://www.ghs-inc.co.jp/
協立機電工業 https://www.kyoritsu-kiden.co.jp/
小竹組 http://www.kotakegumi.jp/gaiyo/
九電工 https://www.kyudenko.co.jp/
広誠設備工業

有限会社アルモニ http://www.armoni.co.jp/
融和パートナーズ https://s-ket.com/
穴井労務士事務所 http://www.anai-office.jp/
明治乳業 https://www.meiji.co.jp/

これら以外にもいろいろな人のおかげであると思う。深く感謝申し上げる。

開業するまでもいろいろとあった。開業してからもいろいろとある。そして今も・・・・。諸事雑事がなくなることないし、避けて通ることもできない。でも、今後の存続のためにはきちんと過去をみて、今を見て、将来をみなければ、と。

当時の思いも含めて、しばらくそうしたことをつづってみたい。

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開業の少し前まで働いていた施設のそばの海岸線。この砂浜好きだったし、当直の時にはこの海岸線を走っていた。


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