カテゴリ: 個人

東風吹かば・・・というわけではないが、ここ数日東方面からの風が強く、春一番、二番、三番と・・・。2月は、どうも父のことがあり、私もドタバタしていたこともある。そして膝の調子も悪く、(90度以上に曲げると、翌日に調子が悪くなる)、結果として部屋で悶々と過ごすことが多かった。で、葬儀その他に忙殺されて、その結果本業が滞り、慌ててするといいことない。

ということで、地方税の納付を忘れていた。昨日山鹿市から督促状が届いた。そろそろ他の自治体からもとどくかな、と。面倒なことになった。当然ながらこの場合、延滞料金が付加されている。ちなみに、当院においては、所得税や地方税は、電子納税で私がこの部屋でコツコツとやっている。また各種の月末の支払も私がやっている。給与の計算や有休の算定までは手が回らないが、給与振り込の操作も私がやっている。つまり、万が一私に何かが生じたら、これらの支払い行為はすべて停滞することになる。

さて、今日は山鹿市に問い合わせて、支払い方法を確認しなくては・・・・


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裏庭もそろそろ春を思わせる。芝桜がぽつぽつと。そしてチューリップが芽を出している。


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菜の花もあちこち咲いている。

そして草も茂ってきた。バラも手入れをするはずが怠ったまま、新シーズンを迎えつつある。今更バラの剪定も無理だし、まだ膝の調子は悪そうなので、草取りもあきらめた。しばらくはなすがままとなる。そして春を迎えるか、と。

でもその前に、通常の業務をやり遂げなくては・・・。


やはり安くてうまい、が一番であると思っている。その時の懐具合と腹具合とそして一緒に囲む仲間によっても状況は異なるが、やはり気の合う友人と、ゆっくり語り合える環境がベストであろう。ただ、コロナ過の昨今、友人との会合も人数が多ければむつかしい。もう少し落ち着けば、と思っている。

当然ながら、腹が減っていれば、何を食べてもおいしいのではあるが、やはりそこには好き嫌いの問題もある。またせっかくおいしいものを食べていても、その環境が悪ければおいしいとは感じないかもしれない。なので、立食は嫌いだし、あまりうるさくて声が通らないも嫌だし、時間制限で食べるのもいやである。

我儘かもしれない。しかし、これからいつかはなくなる日まであと何千回の食事の機会があるかわからないが、すくなくともこれまでの回数より長くなることはないであろう(つまり120歳までは生きるはずもないと思っている)。となれば、その限定された期間をどうやって過ごすか、と。

時にはお試しもするけれど、お試しは1回で十分。それで気に入らなければ、やはりいつもの定番の方がいい。そして定番であるならば、お気楽なお値段がいい。1万円の高級なお酒や料理よりも、2000円で5回安心して味わえる方がいい、と考える次第である。

まだ時には見栄を張らないといけないこともあるかもしれない。でもそうした年齢は過ぎつつあるし、あとはスタッフや家族の結婚式くらいであろうか。幸いにもコロナ過で学会関係の行事が少ないのはありがたい。どうもスーツ姿では落ち着かない。

普段の姿で、いつものように、というのがいい。つまり父のなくなる前の姿でもある。ようやくそうした心境に達した。


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さて、そうなると、次の段階は?と。

多分シンプルライフということになるであろう。そろそろいろいろなものを整理して、必要最小限での生活を目指したいな、と。

と思いながら、丸尾焼と十郎窯で器を求めてしまった。でもたぶんこれは私の中での一つの区切りかもしれない。丸尾焼は少しスタイルが変わった。十郎窯は、窯の場所が変わり、灰の種類が変わり、焼き方も変わったし、奥様の絵付けも増えてきた。こちらもやはり変わった。

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人は変わるし、時代も変わる、と。その中で、私の好みのものがあればいい。

写真は十郎窯のボタン柄の絵付け皿と小鉢、そして茶碗と湯呑。(湯呑はサービスでいただいた)

取り立てて何もなくても、通常の日常があり、仕事があり、食事があり、それが一番ではないか、と最近感じるようになった。それは時に、天草に行ったり、阿蘇に行ったり、鶴屋に行ったりもするけれど、基本は自分なりのスタイルで、と。

それなりに仕事が忙しく、仕事が終われば、オフに切り替えてあとはゆっくり。自分のペースで、と。それは産婦人科医だから、時にお産で呼ばれ、診療で呼ばれ、眠れない夜もある。でもそれもまた私の日常でもある。ときにゆっくり眠れればそれでいいし、週末に時間があれば、ちょっと趣味の時間に専念してもいい。

特別な何かはいらない、単に普通にそこにあるもので、それなりに過ごせればいいなと。昔はちょっと奮発して高い何かをと思うこともあった。それは何らかの行事に出なければならない、ということであれば身なりに気を遣う必要はあるかもしれない。しかし、単に食事ということであれば、気の合う友人と外食でも、ウチノミでもいい。一人でゆっくり過ごす、あるいは家族でゆっくり過ごす、ならばそれはそれでいい。特別な何かだと、かえってこれはこんなに高いのに好みでなかった、と思うとせっかくのひと時が・・・。

ということで、程よいお値段でいつもの味が一番である。もうそろそろ新しい味の冒険は、と思うが、趣味の調理ばかりは仕方がない。なぜなら趣味の調理なので、作ることが一つの楽しみであり、酒を飲みながらがいい。どうせ味はほかの人に食べさせるわけでもないし、眠たくなったら気兼ねせず寝ればいい。

そしてこうした生活を実践していた人が、私の父であった、と今更のように気づく。


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特別な何か入らない、と書いておきながら・・・。丸尾焼で求めた片口。最初はコーヒーを飲むつもりであったが、徳利とすることにした。好きな器でと。

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でも、丸尾焼も私知っていた時代に比べると、生活臭が薄れて、少し高級感が出てきた。個人的には素焼風味の器が良かったのであるが、たぶん作陶者の世代がいれかわったからかな、と。となると、もう少し生活臭のある身の回りの器を探してみるべきかもしれない。

そういえば、健軍小代焼があったな、と。

まだ私がダイビングにはまっていたころの話である。当時熊本のダイビングショップ(ブルーアース21新屋敷店)に通い、夏も冬も、週1くらいで天草に通っていた。妙見ヶ浦が一番多かったが、時に牛深の海中公園や小森などでも潜った。またナイトダイブで、大矢野島の弓ヶ浜海水浴場や、西港の反対側などにも潜った。

でも一番潜ったのは、やはり妙見ヶ浦であった。一番最初の講習もここであった。左の湾は大きな石が多くビーチエントリーには向かないので、右の湾の左側から潜った。

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20日は結構風が強くて、白波もたっていた。これだとビーチエントリーはきついかも。でも、そうしたことも次第に慣れてくる。

最初はウエットスーツで潜っていたが、冬場に潜るとさすがに寒いので、ドライスーツも購入した。当時のライセンスではオープンウォーターが1と2があって、その上にアドバンスがあって、そのさらに上にインストラクターがあったような気がする。アドバンスまではライセンスを取った。

海の中の地形は、ある意味陸上の地形の延長である。なので、海の中もその延長のような風景が広がるはずであるが、あとは潮の流れが悪いと視界が悪くてよく見えない。妙見では条件が良ければ10mほどは見渡せたような気がする。

朝6時ごろ熊本をでて、11時ごろ1本目を潜って、上がって昼休み。昼食をとって、午後の1本目。15時ごろ妙見を出て、17時ごろ本渡の温泉センターによって塩を流して、ビールを一杯。それからバスに揺られて20時ごろ熊本着。というのが当時の流れであったような。

ダイビングにはまっていた当時は、大学院生であったので、時間の都合がついた。しかし、大学院を出て、産婦人科の常勤となるとそうもいかない。まして、熊本を離れると・・・・。それこそ夏休みをもらって、どこかのリゾートに行かないと難しい話で、確か、石垣と宮古に入ったような気がする。ちなみに、大学院時代には、吐噶喇列島や西表や渡嘉敷に行った。今となっては遠い思い出となった。またハネムーンでは家内に頼み込んでモルジブに一緒に行った。

ダイビング機材も、年月が経ち劣化したこともあり、処分してしまった。でも、いつの日か、と心の中で思っている。目標は、バハカリフォアルニア・タヒチ・インドネシアをワインを味わいながらゆっくりいけたらいいな、と(このブログのタイトルの南の島である)

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だいたいここら辺からビーチエントリー。




父のこと、コロナのこと、そして私自身の年齢のこと、などさまざまな思いがある。頭の中を真っ白にするために、土曜日半日休暇を取ることにした。

2月20日土曜日、12時に大学の先生に業務を委託して、退出する。スターバックスによって、珈琲と軽食を手に入れて、高速に入る。松橋で降りて、三角半島を回り、戸馳島を眺めながら、三角港へ。戸馳で蘭を観たいという思いもあったが、時間の都合で先に進んだ。三角港にも、魚釣りの思い出があるが、波止場にもよらずと。

そこで一つ躊躇したのが、新1号橋。結果として、旧1号橋を渡り、昔ながらのルートをすすむ。(昔ながら、といっても、天草五橋のルートが完成したのは、昭和41年らしいから、私が小学校入学前後である。なじみ深いのは、”彼女が水着に着替えたら”という映画がはやったころ、私はスキューバダイビングにはまっていたので、毎週1回はこの道を通っていた。当時は、熊本を出て、大矢のヒライで昼食を調達、下田の妙見ヶ浦を目指し、片道3時間であった。

そして今は、五橋の終わりに、松島から有料道路がある。ここから四郎ヶ浜までショートカットすることで時間が短縮される。200円の通行料。熊本のスターバックスを出たのが12時30分で、14時過ぎに本渡についた。

本渡には天草中央病院時代に1年6か月住んだ。本土の町中も少し変わったような・・・。マックができているし、新しい橋も作られつつある。時間があればと思いつつ、先を急ぐ。で、丸尾焼を探す。

丸尾焼も20年前とは少し変わった。ここで素焼風味の器を探すつもりであったが、残念ながらなかった。丸尾焼も、中心となる世代がかわったのか、あるいは作風をかえたのか、と思いつつ、片口の器を一つ購入する。本日の主たる目的はここではなくて、小田港の十郎窯である。以前いくつかお願いをしていたことがあり、そのお礼かたがたと。


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こちらの窯元は以前は下田の北にあったのであるが、この小田港の傍に10数年前に移転された。


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展示場のすぐ裏には海岸線が広がる。この日は風が強く、潮騒の日であった。こちらも依然と少し作風が変った。本当は以前の作風のものを探したが、残念ながらない。


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ただ最近自分ですこし片言調理をするようになったせいか、どうせこの先生きていくなら、好きなものに囲まれて生きたいと思うようになった。なので、お好みの皿と小鉢皿と茶碗をお願いした。また少し思うところがあり、ちょっと依頼をお願いした。この結果は1年後となる。

さてこれで4時過ぎ。今日の目的はこの窯元の訪問、あとは高浜ワインか、夕日である。どちらにするか悩んだが、夕日を選択した。そしてこの界隈も現在あちこち工事中である。この十郎窯も、上に有料道路が通るらしく、トンネルと橋げたの工事中である。

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明治40年、この天草の下島を富岡から高浜まで5人の文化人が歩いた道がある。文学遊歩道となっている。で、その道をちょっと歩いてみる。

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今でこそ歩きやすく整備されているけれど、その当時はきっと・・・・

そこら辺の話がどこかに書き継がれているらしいし、この後に北原白秋が邪宗門という詩集をだしたとある。

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中ほどに程よい展望台があった。

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ここから海を見ると、海面が白く光る。そして夕暮れ時になれば、と。ただ、残念ながら、少しかすんでいて、この日は海に沈む夕日は少し難しそうである。なので、思い出の妙見に足を伸ばして、写真を撮って17時過ぎに帰途に就いた。熊本着は20時。


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